村人総出で壊したがってるのに壊れない祠をよそ者だけどおれが壊してやるぜ
何故か絶対に壊せない、呪いの祠があるという話を聞いて、おれは電車を乗り継いでその村に来た。
世は空前の祠ブームである。おれも祠を壊したくてしょうがない。なぜ祠を壊すのか、そこに祠があるからさ。ただし自分も無宗教の普通の日本人、米粒は残さず食べるし毎年キリストの誕生日を欠かさず祝ってその一週間後には除夜の鐘を聞いて必ず初詣に行く、信心深き無宗教なので、祠を壊すなど恐れ多くてとてもできない。あーあ、どこかに村人全員に憎まれてて壊しても誰も怒らなくてバチも当たらなさそうな、取り壊しが決まってるけどまだ実行されてないだけのぶっ壊し専用祠が転がってればいいのにな、と探すこと一週間、何故か見つかったのでさっそく向かうはM県S市。貴重な休みを使ってすることか? という疑問は美味くて安い飯と綺麗な景色でもう気分が晴れたので良しとして、旅行のついでのようにその祠のところに来た。
さて事前に祠の所有者の人に許可だけ取っておいたので、壊してもいいよと言われてはいる。ほんとにいいんですか? ええよ、全然ええよ、もう好きにやっちゃって、飛び蹴りでもラリアットでもシャイニングウィザードでも、あんなシャイニングウィザードってのはプロレスのな、相手の膝を踏み台にしてアゴに膝蹴りをな、とここで電話を切ったので持ち主の真意はわからず仕舞いになってしまったが、とにかく壊してもいいのは間違いないらしい。
祠を見ると見るからにボロく、もう土台の石と祠本体の木とそこについた汚れと苔と蜘蛛の巣との境目がどこがどこなのか全くわからない。装飾の縄だか紙がついてるはずだがこの汚れた物体のどこが祠のどの部分なのか全くわからぬ。
噂で聞いた話では「災いを呼ぶ祠」とも「絶対に壊せない祠」とも「何度も破壊工事が持ち上がったのに、全て中止になっている」とも言われている。この祠のせいで村に災いが起こるのだ、だからこれはいつか壊してしまわねばならない、とけっこう強い語気で言う人もいた。いいでしょう、俺が壊してしんぜよう。こんな脆い石だか苔だかの塊、成人男性がガッと蹴ればグワっとなって一撃でしょう。
おれは助走をつけて、思いっきり祠に飛び蹴りした。成人男性、体重61kgの標準的な巨体である。身長169cmの身体による渾身の一撃、従ってBMI21.3の適正優良健康体から放たれる容赦ない飛び蹴りが祠に襲い掛かる。ものすごい勢い、足に重い感触。そして見事、一撃で祠を粉砕──────、
─────粉砕、した。がれきの中から立ち上がると、あたりに石が散らばっている。崩れた石の断面は今切り出したかのように綺麗である。
絶対に壊れない祠を、さっそく壊してしまった。えっ、壊れたが? いいのか? 壊れないと思ってやったのに、木枠は崩れ、苔は飛び散り、祠は土台こと崩れてがれきのひと山になった。
すると突然、崩れた祠の中から光がふわっと広がり始めた。まぶしい。そういえば祠の中には何があるんだ? せっかく壊したのだし見てやろうと思うが、まぶしくて目が開けられない。何が起きている? くらっと眩暈がする。ヤバい、これは祟りなのか。俺はどうなる……。
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目が覚めた。おれは何をしていたんだっけ? ベッドから起き上がる。よく寝て気分が良い。そうだ、今日は休日を使って祠を壊しに行く予定だったのだ。どんな予定だよと言われそうだが、事前にアポも取ってある。村人全員に疎まれている祠がある村だとかで、壊してもいいですかと所有者に聞いたら、飛び蹴りでもラリアットでもシャイニングウィザードでも、あのなシャイニングウィザードってのはな、と話が長いので途中で切ったが、ともかく許可も取ったのだ。壊しても良い祠のある村があるらしい。
お気に入りの服に着替えて部屋を出る。どちらかというと祠を壊しにというは半分都合のようなもので、もう半分はたまの休日に田舎を観光してみたいという気持ちである。ザ・観光地という場所はむしろ観光客のために洗練された外面を用意してあるのが気に食わない。綺麗ですねと言われ慣れた美女を改めて自分が褒める気になれないのと同じで、ちょっと芋っぽい自分の良さに本人も誰も気づいてないような女の人の、遠慮なく笑う顔とかアンニュイで真剣な伏し目が一番美しいのと同じで、観光するなら観光地じゃなくもう少し田舎のほうが良い。何の話をしているのだおれは。
ともかくその村に来た。美味い飯を食って綺麗な景色を見てもう気分が良い。
祠を見る。めちゃくちゃボロい。本当に手入れしているのか? 土台の石と木と苔と汚れとどこが境目なのかさっぱりわからない、土の塊のようにも見える。
これをどう壊すか? もちろん最もプリミティブで、最もフェティッシュで、何だっけ、最もシャイニングでウィザードな方法でいかせていただきます。飛び蹴りだ! 祠に飛び蹴りできる機会なんてそうそうない、というか飛び蹴りをする機会なんて一生で一度あるか無いかだ。いくぜ、と助走をつけようとしたら、木の枝に服がひっかかってしまい、ベキベキ、と枝を折ってしまった。ああ! この木が貴重な木なのかどうでもいい木なのかわからないが若干の罪悪感がある。祠は壊していいと聞いたが枝を折っていいとは、いやだめとも言われてないか。まあ気にしない。
折れた枝を見つめて、そんなにひどくないだろうか、大丈夫かな、と見ているうちに、祠の裏側が目についた。漢数字で「一三四」と書いてある。なんだ? 何の数だ。作った年だろうか。いや134年はまだ日本があるかどうか怪しい、さすがに古すぎる。桁が飛んでるのか? 1340年だとしても1034年だとしてもまだ古すぎる。何の数字だろうか。何かのメモか? 石をこんなデカデカと彫るなんて、大事な内容に違いない。134、何の数字だろう。
まあいいか。せっかく後ろに回ったので、ラリアットで壊すことにするか。せっかくって何だよと思うがそんな気分なのでしょうがない。祠にラリアットできる機会なんて一生ないので噛みしめていこう。エイ! 腕に確かな感触があって、祠は一瞬でガラガラと崩れた。えっ、ほんとに? 絶対に壊れない祠、災いの祠、工事を何度計画しても中止になる伝説の祠、と聞いていたのに、こんなラリアット一発で吹き飛んでしまった。そして、本当に祠を壊してしまった。おれが。人生で初めて。これでも信心深い日本人、ほんとにやってしまうと後悔もある。いや壊していいって許可貰ってたもんな。いいはずだ。
崩れた木やら石を拾い眺めていると、突然光がふわっと広がる。なんだ、これはなんなのだ。バチが当たるのか、おれ自身がシャイニングなウィザードにさせられてしまうのか、さらば武藤啓二、また会う日まで─────。
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目が覚めて、ベッドから起き上がる。気分が良い。朝の陽ざしが気持ち良い。
別に隣に誰かいるわけでもなし、一人鼻歌交じりに黙々と歩みを進める。今日は念願の祠を壊す日である。酔狂な所有者にもう許可も取っていて、壊すなら飛び蹴りでもラリアットでも、特にシャイニングウィザードがおすすめですよと言われている。田舎の観光ができるのも楽しみだ。絶対に壊せない祠との噂だが、一体どんなものか。
さっそく着き、美味い飯を食い景色を眺めて、満足した。満足したので、もう祠のことはいいかなと思った。いいか。帰っちゃうか。そんな日があってもいい。たまたま入った飯屋がめちゃくちゃ美味くて、しかも店主のおじさんの話もうまくて、祠にまつわる話を聞いてたら面白くて陽が傾いてしまい、まあいっか、と赤焼け空を眺めながら電車に乗っている次第である。
その日はぐっすり眠れた。たまの外出は健康に良い。
翌日友人と話して、祠を壊せたのかと聞かれた。壊さなかった。なんで? いや飯が美味すぎて、と言っても納得してもらえなかった。これが壊せない理由か?
おじさんも似たようなことを言っていたな。祠を壊そうと意気込む奴は何人もいて、子供のころみんな一回はやるんだけど、どうしてか邪魔が入ったり急用ができて、結局誰も壊してない。不思議な力で守られてるのかもな、とか。
そう聞くと神聖な感じがする。俺が満腹になって満足して帰ったのもその力によるのかもしれない。
でもおれはオカルトが嫌いなので、もう一回チャレンジする。なんとしても壊してやるぜ。おじさんだって「あの祠があるせいで、空襲は来るわ熊は出るわUFOは見るわで、災いが引き寄せられてるんだ」と気味悪がっている。空襲はだいぶ昔のことじゃないか、UFOはさすがに見間違えだろう、と思うが、どうもあの祠を嫌がる者は多いようで、それで壊してしまって構わんと例のシャイニングな所有者の人も言ってるんだろう。
さて後日、M県S市、二回目の挑戦である。今度は朝早くからやってきた。景色の綺麗さにも慣れてもうそんなに感動しない。空気はうまいが。飯も美味いが。
さっそく祠のとこまで来た。今回はとりあえず来れたな。初めて見るが、どう見てもただの寂れた祠である。祠ってこんなんだっけかとすら思う。ずたぼろの石の上に朽ちかけた木が乗っていて、苔やら汚れやらが付いて何が何やらわからない。本当に壊してしまっていいものか? というかどうしてこれが壊せないんだ? 不思議な力で守られているのか?
祠、壊してみよっかな~、と一人考えてみる。例えばだ、この祠が何らかの力で周りの人の思考をハックして「祠を壊そうとするマン」を検知したらそいつの精神に干渉する、というのが考えられる。もしくは周囲の因果律に干渉して、祠を壊そうとする人を邪魔するように何かを起こすとか。
祠を睨みつけて、壊すぜ、うおおおおお、と念じてみる。何も起こらない。カバンをえいと振りかぶってみる。これを振りぬくぜ、と思ってみる。何も起こらない。そおら! カバンを思いきり祠に向かって叩きつける。ガラガラガラ、いともたやすく祠は崩れ去った。あっけない、と思っているうちに光がふわっと差して、頭が痛い。いま確かに壊せたはずだが、これは何だ……。
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ということで目が覚めて、今日こそ祠を壊しに行く日である。前回は飯で満足して帰ってしまったが今日こそやり遂げてみせる。いざM県S市、二回目の挑戦。
そして祠の前に付く。さっそく壊してやるぜ。カバンを振りかぶるが、そういえばこのカバンは友人と出かけたときに一緒に選んで買った大事なものだったなと思い出した。それで祠を殴るのは二重にバチ当たりだ。
じゃあどうしてやろうか、ああん、と祠にガン飛ばしながらぐるぐる見回してみると、後ろになにか書いてあるのが見える。漢数字で「一三六」と書いてある。石に深く彫ってあるんだから、相当大事なことなのではなかろうか。これは一体、何を意味しているのか?
そもそも、見ればみるほどボロい祠である。これが「壊れない」なんてことはないはずだ。蹴り飛ばすどころかちょっと押したら崩れてしまうんじゃないか?
石の土台や、木の枠を、そっと押してみる。……びくともしない。ピクりとも動かない。おれはぞっとした。土台の石を押したときの感触と、苔の生えた部分を触ったときの感触と、朽ちかけているように見える木の部分を触ったときの感触が、全て同じなのだ。石でも木でもない、何の素材かわからない。押しても全く抵抗がない。まるでスポンジか、綿に指を突っ込んでいるかのように、「押せば押しただけ指が入っていく」ように感じる。……のに、実際には指はピクりとも動いていない。やわらかな苔の中に指が食い込んでいくのならまだわかるが、そういうわけでもない、祠と指との間に見えない壁でもあるように、押せども押せども見た目では全く触れていないように見える。なのに、指の感触はまるで飲み込まれるかのように、何かをかき分けて奥へ奥へと沈んでいく。
目をつぶって、手を祠の木に押し当ててみる。最初、確かに木に触れている感触がする。が気づくとまるで泥の中に沈みこむように、手がずぶずぶと入っていく。その不思議な感触が恐ろしくなって目を開けると、手は確かに木枠の一番外側に触れているだけである。なのに依然、ずるずると沈み込んでいく感触がある。
「おそろしい」と少し思った。面白いとも思った。これは、何だ。おれは何に触っている? 沈み込んだ手の感触を引き抜こうとしたら、手は難なくふっと離れた。
とりあえず壊すのは違うだろうと思った。こんな物体は見たことがない。前回来たときに聞いたおじさんの話では、この祠は小さいころはよく怖がって話してたけど、大人になった今はもう誰も気にしてない、あんたに聞かれるまで俺も忘れてたよ、とのことだった。忘れたままでいいのかもしれない。
……壊せない理由について、ひとつ仮説が立った。
「壊すと、時間が巻き戻る」祠なんじゃないか? これなら説明がつく。そんなアニメを最近見た気がする。小説だったか? 例えば幼いころのおじさんが祠を壊す。壊そうと思えばもしかしたら壊せるのかもしれない。すると時間が巻き戻って、壊す前に戻る。そして少しだけ違う世界線が流れる。例えば壊そうとしたら小石に躓いて転んで、やっぱやめようかなって思うとか。自分が初日に飯食って帰っちゃったのも、もしかしたら別世界線で「一回壊して時間が戻った」という現象が起きていたのかもしれない。戻ってやり直して、壊さなかった未来だけが今残っている、というような。
もしそうだとしたら、それを確かめる方法はない。確かめるにはタイムリープを起こすしかないのに、タイムリープが起きたらその記憶はなくなるのだ。時間を戻されたことを覚えている方法はない。だから祠の謎はここでおしまい、仮説は仮説のまま、謎は謎のままおれは都会の家に帰る。
……と、なっていたかもしれない。実は確かめる方法がある。都合よく、理屈っぽいことが好きな人のための小説を読んでいて、似たような解決策があったのだ。それをそのままもらう。
ということで、村の安い宿で一晩明かし、翌朝祠の前に来た。今日こそは攻略してやるのだ。三度目の正直。初日は見もせず帰り、昨日は触れただけで恐ろしくて帰ったが、今日は謎を解き明かしてやる。
昨晩友人にメールを送ってある。wikipediaの「素数の一覧」のページを添付して。文面はこうだ。
「ここから好きな3桁の素数をみっつ選んで、それを掛けた答えを送ってほしい。何の素数を掛けたかは言わないで、答えだけ頼む」
で、今朝来た返信がこうだ。「まじで何の話? 102447547」話の早い友人を持つと助かる。お土産を二倍買っておいてやろう。
これから何をするか。今から自分は、この102447547が、どのみっつの素数を掛けたものかを当てる。そして、外れたら祠を壊す。
いよいよ何の話やねんと思われそうなので詳しく説明する。まず「102447547が、どの3桁の素数を掛けたものかを当てる」というのは、めちゃめちゃ難しい作業である。計算すればいいんじゃないの、と思われるかもしれないが、計算する方法が「3桁の素数をみっつ選んで掛けてみる」しかない。つまり、102447547をこう割ってこれで掛けて……と操作してわかるものではないのだ。あてずっぽうで3桁の素数をみっつ選んでやってみるしかない。総当たりしかないのだ。素因数分解と言って、これは絶対に時間のかかる作業なのである。この難しさを利用してパスワードが作られたりしているらしい。
時間のかかる、と言っても半端じゃない、人間が手作業でやったら途方もない時間か宝くじを当てるくらいの運が必要である。3桁の素数は101から997まででだいたい150個くらいあって、そこからみっつ選ぶから150×150×150通り、約3百万通りある。あてずっぽうに選んだ三つの素数を掛けて正解する確率は約0.0001%。宝くじを1枚だけ買って、それが1等かその前後賞である確率とだいたい一緒である。つまり不可能だ。
それを今からやる。今からおれは、この素数表から3桁の素数をみっつ選び、掛ける。でそれが102447547ではなかった場合、祠を壊す。奇跡的に一発で102447547になった場合のみ、祠を壊さないでおく。そうすると決めた。
するとどうなるか? もしタイムリープ仮説が合っていた場合、「おれは一発で102447547を引き当てる」。そうなるまでタイムリープを繰り返すはずだからである。3百万分の1の幸運を偶然引くなんてほとんどありえないから、もし引いたらタイムリープの力によるものだとわかる。もし仮説が間違っていた場合、掛け算の結果は102447547にならず、祠は壊れる。
これは一大実験である。もし成功したら、とんでもないことになる。何も素因数分解じゃなくてもいい、この祠の前で競馬を掛けて「外れたら祠を壊す」と決めておけば必ず的中する。億万長者だ。愛する人が死に瀕しているなら「手術が失敗したら祠を壊す」と決めれば必ず助かる。もっと難しいことでもいい、数学の未解決問題を持ってきて「解けなかったら祠を壊す」、これでどんな問題でも解けるようになる。つまり災いをもたらす祠どころか、どんな願いでも叶えてくれる願いの祠になる。この世の理が全部ひっくり返るくらいの大事件だ。
さて、ものは試しだ。さっそく素数を三つ選ぶ。……どれにしようか? いや考えちゃいけない、考える必要はないのだ。タイムリープ仮説が合っていたら、おれは「気まぐれ」で一発で正解を引き当てるはずなのだ。
199、673、857。電卓に打ち込む。押し間違わないように、確かに掛ける。計算結果は……114775439。一見惜しいが、違う。
落胆して、祠を眺める。なんだ、こんな大掛かりな考え事、トリックのようなことをやってみたけど、全然だめだった。賢そうな良い思いつきだと思ったのに。自分でやってみて、これ頭良すぎる、って感動してたのに。読んだ小説の主人公(ナントカカントカと合理主義の方法、だったか)のようには上手くいかないか、いやあれも結局成功しなかったんだっけ?
失意の中帰りそうになったが、そういえば祠を壊すと決めたんだからそれはやらねばならない。外したときに祠を壊すのまでがセットの作戦である。一応。
力なく蹴り飛ばすと、ガラガラガラ、と音を立てて祠が崩れる。なんだ壊せるじゃないか。すると光がふわっと差し込んで、頭痛がする。これはもしや、おれの仮説は合っていたのか? でもこの記憶を、時間が戻った後まで持ち越すことはきっとできないのだ……。
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そして祠の前にやってきた。三日目、今日こそは解き明かしてみせる。
友人から送られた番号は102447547。仮説が正しければおれは一発でこれを引き当てるはずだ。
743、883、127。答えは……83320763。全然ちげえ。やはり違ったのか、間違いだったのか、タイムリープ仮説なんてオタクの戯言だったのか、おまえはいつもそうだ、誰もおまえを愛さない、おれのことじゃない、お前のことだ、この呪われた祠め! 祠の石の土台を踏み台にして木の部分に思いっきり飛び膝蹴りを食らわせると、祠は簡単に崩れ、光がふわっと広がる。この光はなんだ、まさかシャイニングウィザードを決めることが何かの起動条件だったのか、あの所有者のおじさんの言ってたことはほんとだったのか─────。
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ということで素因数分解をやっていく。タイムリープ仮説が合っていれば一発で解けるはずだ。
337、163、977。答えは……53667587。違い過ぎる。もうおしまいだ。だめなんだ。途端に泣き崩れる嫁、はいないので代わりに祠をパンチして、ガラガラと崩れ去る祠、光が差して、これはなんだ、おれの仮説は合っていたのか?
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…………、
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そして決行の日、いざ素因数分解をやるぞと意気込んでいたら、風が吹き、帽子が飛ばされる(実は帽子を被って来ていました、プチ旅行気分で浮かれており)。飛ばされた帽子を拾いに行って、祠の裏側が見えた。見えて、───────ゾッ、と背筋が凍った。
「二三七三一○二」と漢数字で彫ってある。昨日見たときは「一三六」ではなかったか? 石にあれだけ深く掘られていた字が、一三六と彫られていたのが消えて、いま祠の背面に端から端までまたがるように、……2374102だ、200万も数が増えている。昨日から今日にかけて何があった? 昨日は祠に触れた感触の気味悪さだけで宿に帰り、計画を立てて、友人に素数表からみっつかけて送ってくれと頼んで、今朝来たのだ。わずか一晩のうちに、誰がこれを彫ったのか。
これが、これがもしタイムリープ仮説が合っていたとして、そしてこれが……「タイムリープした回数」だとしたら? おれは200万回も、ここで素数を計算して、祠を壊して、ということを繰り返しているのか?
恐ろしくなり、帰ることにした。これは、人間が触れていいものではなかったのかもしれない。
帰りに、初日に話した飯屋のおじさんに会った。狭い村だからか運が良いのか。祠を壊しに行きますと言って、初日そのまま帰り、で今回また来てしかも泊まったのだから、どうだ、壊せたか? と聞かれたが、いいえだめでした、と力なく答えた。おじさんは、そうかあ、でも何かあったら俺が壊しに行くからな、あの祠は何か村に悪さしてるに違えねえ、あれのせいで村に災いが引き寄せられるんだ、と話した。反対派もいるが、何かあったら俺はいよいよあの祠を壊してやろうと、きっかけさえあれば壊してやろうと思ってるんだ、そんな奴他にもいっぱいいるぜ、と息巻いている。
「なんで、あの祠はそんなに嫌われてるんですか」と聞いてみた。おじさんのさらにおじいさんの代からそうらしい。何かあったらこの祠を壊せと。なんで壊すのか? 神様なら頼むんじゃないのか? いいやわからねえ、何かあったら壊せとだけ言われて育ったんだ、でもこうして何十年も無事にあるわけだから、実際に壊したやつは誰もいねえけどよ、こんな言い伝えがあるくらいだからきっと呪われた祠に違いねえんだ、どれだけ歴史があろうと、この村に何かあったら俺はあの祠に容赦しねえ、ぶっ壊してやるぜ、と半分怒りながら話している。
そういえばだ。村に災いが、と言うが、その内容は、空襲があったとか、人食い熊が出たとか、疫病が流行ったとか、そんなのばかりである。時代を考えれば珍しくない、現に近くの村も同じ目に遭っていて、そして地図からなくなった村もあるだろう。災いが降りかかっているのはこの村だけじゃないのだ。
じゃああの祠はどういう悪さをしているのか? 何かあったら壊せ、とはどういうことなのか? そしてなぜ今まで一度も壊されずに残り続けているのか? おれはゆっくり考えてみた。
つまりだ。あの祠が、実はこの村をずっと守ってくれていたのだ。空襲も人食い熊も、それが来たのはただの不運で、逆なのだ。祠のおかげで、災いに襲われても村は滅びずに済んだのだ。「村に何かあったら壊してやる」と息巻いている村人がたくさんいるからこそ、何かあったときに祠は壊されて、そして「村に何もなかった」未来が残り続けてきたんだろう。一三六、というのは今まで100回以上、村に不幸が起こって、それを祠の力で巻き戻して解決した回数なのかもしれない。きっと同じことが起きないように、巻き戻るたびに運命が少しずつ変わるようになってるんだろう。
それをひとりの気まぐれな実験で200万回ぶんも使ってしまった、という恐ろしさは隠しながら、おれはおじさんにこう言った。
「昨日と今日、祠を調べてみましたけど、あれは良い祠だと思います。むしろ村を守ってくれてるんです、祠が今日まで残っているのがその証拠です」
旅館の女将さんとも似たような話になり、同じような話をした。これで、おれの旅は終わりである。一泊二日、長いようで短いような不思議な旅だった。自分の知らない間に200万回の今朝を過ごしていたかもしれない、と思うと恐ろしいものがある。けれど、人知れず憎まれながら村を守り続けている、不思議な祠のことを知れてよかった、と女将さんと笑いあって、どこか寂しいような気持ちで岐路についた。
一年後、めちゃめちゃデカい地震があった。自分の住んでるとこは無事だったが、例の村のあたりが直撃らしい。場所によってはかなりやばいことになっていると見て、ニュースを探す。いや、その心配もないか。あの村にはあの祠が付いている。呪われた祠、人知れず守ってくれている祠が。あれがある限り村は安心だ……と思ったら、ニュースの映像を見ると村は焼け、家の数々は崩れ、怪我をした人がインタビューを受けている。壊滅的だ! 祠は? タイムリープの力は本物じゃなかったのか?
インタビューを受けるおばあさんがこう話す。「こんなことになって大変ですけどね、私たちの村にはこの祠がついてるから大丈夫なんです。これが守ってくれてるから」と、映像が例の祠に切り替わる。相変わらず無事に立っている。
もしかして、祠がむしろ村を守ってくれてるものだよと自分が言ったのが広まって、じゃあ大事にしようということになったのかもしれない。そうか、祠は壊さなきゃいけないのだ! 大事にするんじゃない、何かあったときに壊すから守ってくれるのだ!
急ぎ電車を乗り継いで、途中から歩き、ぜいぜい言いながら被災地の村に乗り込み、荒れたがれきをかき分けかき分け、例の祠を見つけ、裏には「二三七三一○二」の字、あれから誰も触れていないらしい。おれは一思いに、えい、と祠を蹴り飛ばす。あれだけの地震に耐えた祠があっけなく崩れ去る。これで仮説が間違っていたら被災地の神様を蹴り飛ばすバチ当たりな野次馬になってしまう、と思ったのもつかの間、光に包まれて、意識を失う……。
■
素因数分解の検証を断念して、帰り道、おじさんと話し、実は祠は災いを呼ぶものじゃなくて、きっと村を守ってくれていたものなのだろう、と思った。
と同時に、それを伝えたらどうなるだろう? とふと気になった。これは、壊すからこそ守ってくれるものなのだ。何かあったときに壊すぞと決めているからこそ、結果的に何も起きず壊さずに済むのだ。祠は壊さなくてはならない。
「昨日と今日、あの祠を調べましたけど、やっぱり危ない気がします。今はいいけど、村に何かあったときにはすぐ壊してしまっていいと思います」とおじさんに伝えた。そうだよな! と笑ってくれて、そして岐路についた。
一年後、でかい地震があり、自分の住んでるとこもけっこう揺れた。あの村は?! 場所的には直撃だ。ただニュースを探すが見つからない、小さい村だからしょうがないが、果たして大丈夫なのか……?
たまらず電車に乗って見に行く。もうこれで村に行くのは三回目だ。
着いてみれば、全然なんともない、古い小屋などは多少崩れているがおおむね無事である。例の祠を見に言ったら、小学生くらいの子供が何人か祠を取り囲んでいる。何か口論のような、言い合いをしているようだ。
「あのさ、『何かあったら祠を壊せ』ってよくおじいちゃんが言ってたんだ」
「うちも。この地震も、きっとこいつのせいなんだよ! 壊しちゃおうぜ」
「でもうちも誰も怪我してないし、まだいいんじゃない?」
「まだ、って言ってもさあ、何かあってからじゃ遅いだろ」
「でもすっごい昔からあるんだよ? いいのかな」
「ぜったいこれのせいだって! この前だって熊が出たし、病気が流行ったりしたじゃん」
子供に諭すのは嫌なんだけど、
「でもみんな無事だったんだろ?」
と割って入ってしまった。彼ら各々顔を見合わせて、
「うん」「熊もね、来たけどすぐ帰ったんだよ」「病気ももうみんな治ったし」
「じゃあさ、今はまだ許してやって、壊すのはほんとに何か起きてからでもいいんじゃないかな」
「それってさ、やっぱ呪いの祠ってこと?」
「わからない。でも村に何か起きたら、こいつのせいってことだと思うよ」
「ほらな! 『何かあったら祠を壊せ』、そんときは俺が壊してやるんだからな! ドロップキックでさ」
子供らはわいわい言いながらどこかに消えていった。
祠の裏をちらと見ると、例の漢数字が200くらい増えていた。この地震のぶんだろう、200回に1回しかこの村が助からないような大地震だったのだ。この1回を、引くまでみんなでやり直したのだ。
……いや、全部仮説に過ぎないが。実際タイムリープしたところを自分は一度も見ていない。祠を壊してもいない。後ろの数字が変わったのも、誰かのいたずらか、自分の見間違えか、わからないが時間が巻き戻るよりは説明のつく考え方がいくらでもある。
結局この祠の力、壊すと時間が巻き戻る力は、検証できず仕舞いである。確かな証拠は何もない。
祠に触れると、石の土台はひんやりと冷えており、木の部分はなめらかな木目が心地良い。あの奇妙な感触は幻覚だったのだろうか? もうわからない。
朽ち果てた石と木でできた、苔と汚れにまみれたこの祠は、今にも崩れそうな姿で、村人たちにいつか壊してやるからなと憎まれながら、結局一度も壊されることなく、何百年も村を見守り続けている。これからもずっとそうだろう。
こんな信仰の形もあるものかと、無宗教の日本人ゆえのおおらかさで受け入れて、手を合わせてみる。何を祈ろうか? 祈るまでもないことかもしれないが。どうかこの村が、いつまでも無事でありますように。然るべきときにはちゃんと祠が壊されますように。そして次来たとき、また美味い飯が食えますように。