【第2話】 空手最後の日
戦後沖縄から川崎へ移り住んだのは、祖父母だけではない。おなじような理由で流れついた親類のなかに泉川寛喜という沖縄空手の師範がいた。親戚が集まると「あの人はすごかった」とよく話題にのぼる。身内のひいき目だろうと聞き流していたが、どうやらほんとうのようだ。彼は日本で最も古い剛柔流道場(剛柔流は空手の流派の一つ)を立ち上げた人物だった。その道場は「泉武館」といい、3代目に引き継がれ今なお存続している。
泉武館は自宅から自転車で15分ほどの場所にある。子どものころ、親に連れられ稽古風景を見にいくことがあった。道場には大きな窓があり、いつも開かれていて中の様子は丸見えだった。おとなが眉間に皺を寄せ、真剣な表情でなにかをやっている。型というらしい。最後に「ヤー」「セイ」などと叫んでいる。なんだか古臭い。物陰からこっそり見ていたいのに、おとなたちが「ミクちゃんはいつはじめるの?」と窓越しに次々と声をかけてくる。いずれここに身を置くことになるのか。敷かれたレールの上をいくようで気が進まない。結局、小学4年生にあがるころに、いじめっ子から友だちを守りたいという理由で空手をはじめることになる。いつかやるなら、きっかけくらいは自分でつくりたかったのかもしれない。
その日が来るのはずっと先だと思っていた。午前5時、アラームが鳴る。外はまだ薄暗い。大量の荷物を持って家を出る。きょうが最後かもしれないけど、そのことは考えないようにした。試合会場に着き、いつものようにウォーミングアップをはじめる。体を温めるための軽いものではなく、私たちは肩で息をするくらい、下手をしたら怪我をして血がにじむくらい本気でやる。そのうちに気持ちが高揚してきて、目の前の相手を倒しにいく殺気に近いものが湧き上がってくる。高校名が呼ばれる。腹の底から力を込めて「はい」と返事をする。インターハイ予選・神奈川県大会組手団体戦決勝。勝てば全国、負ければ引退。相手は私立の強豪校。高校3年間、神奈川県の決勝は決まって、この組み合わせだった。先鋒が勝ち、次鋒が負け、中堅が負ける。残りは副将と大将。副将の私には後がない。
これまで何度も戦ってきた相手だ。力は互角、勝っても負けてもおかしくない。ここはチームのために絶対に落とせない。負けたくない。でも勝ち負けにこだわりすぎると、目の前の相手が見えなくなる。空回って勝利を逃すことはこれまでに何度もあった。いったん頭に浮かんだ勝ちへの執着を捨て、切り替える。ここで確実に勝つには、流れを取り戻すには、どうすればいい。相手を観察する。勝ち越しているからか、少し余裕のようなものが見える。意表を突くしかない。頭を使え。
試合開始。相手はぴょんぴょんと跳ねるように動きまわり、様子をうかがっている。こちらも攻撃されないギリギリの距離を保ちながら考える。裏をかかねば。相手は私の攻撃が届く距離を知っている。それならいつもより5cm遠くから踏み込めないか。失敗するかもしれない。うまくいったとしても、そのカードが使えるのは一度だけ。でも勝つにはそれしかないように思えた。慎重に距離を詰め、いつもより少し遠めの間合いに入る。相手にはすでに攻撃の距離にいることを悟られないように、わざとゆったりと動き続けた。チャンスは一瞬しかない。逃すな。相手のガードがゆるんだのがわかると、右脚に力を込めて思い切り踏み込む。左の牽制(ジャブ)から右の上段突き。「技あり!」のコール、先制した。開始30秒、残り2分30秒。
後がない。勝たなければいけない。このままなんとしても死守しなければ。そう思うと攻めきれない。時間が過ぎるのがとんでもなく遅く感じる。「守るな、攻めろ!」、うしろからチームメイトが檄を飛ばす。一瞬の葛藤が生まれてしまった。みんなのために勝ってつぎに繋げてあげたい。でも今日が最後なら、逃げの試合でいいのか。相手はその隙を逃さなかった。中途半端な攻撃へのカウンターをくらった。前蹴り。「技あり」のコール。同点。残り20秒。そのまま試合は終了した。引き分け。最後に控えていた大将は、もう勝ち以外の選択肢はなくなった。そして大将が負け、私たちは正式に試合に負けた。
泊まれる本屋 まるとしかく
〒779-3603 徳島県美馬市脇町猪尻庄100
【ゲストハウス】
チェックイン/15:00 チェックアウト/10:00
ゲストハウス予約フォーム
【書店】
水金土日/13:00-19:00 木/13:00-21:00
書店オンラインストア
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?