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地域おこし協力隊 まるちゃんの、これまでとこれから

私の福島県での暮らしは早いもので、来月で4年半になります。同時に、新卒以来の社会人生活は前職での2ヶ月の新入社員研修期間以外はすべて福島で過ごしていることになります。

誰がこんな人生を予想していたでしょうか...(笑)というくらい想定外の社会人生活をここまで歩んできました。驚くべきことに、4月からはさらに想定外の一歩を踏み出そうとしています。今回はその理由と経緯を綴って残しておきたいと思います。

そもそも広島生まれ、横浜育ちの私が福島に移住することになったのは、新卒で就職した前職の大手機械メーカーの配属がたまたま郡山工場になったからでした。実は郡山工場は私の配属希望の中では第3希望で、ほかに第1希望を出していた同期がいたので、まさか自分がという感じでした(結果的に第1希望だった同期は別部署で同じ郡山工場配属になり、一番お世話になった友人の一人になりました)。

そこから福島での生活がスタートしました。2016年6月のことでした。

生産管理課という部署で海外工場とのやり取りをするチームに配属され、日々の業務をこなしていましたが、だんだんと仕事内容や会社の文化が自分には合っていないように感じはじめ、転職を決意しました。

親に反対されながらも転職活動をはじめ、実家のある横浜に帰るつもりでしたが、どうもしっくりする企業を見つけられず、自分が何をしたいのか分からないという状態になりました。そんな時に偶然見つけたのが、岳温泉での二本松市地域おこし協力隊の求人でした。

協力隊になった経緯は別のnote記事にまとめてあるので、下記リンクを参照いただければと思いますが、簡単にいうと「直感」と「勢い」です(笑)

郡山で企業に勤めた2年間で休日は同期とキャンプや登山を楽しみ、それまで東京ではできなかった遊びをたくさんして、自分でも気づかないうちに福島の魅力にハマっていました。自然が豊かで、ご飯が美味しく、人も温かい、東京にも近いーそんな福島のいいところをもっと発信していきたいと素直に思いました。

とはいえ同時に(任期も終わりに近づいた今だから言ってしまいますが)当時迷子だった自分の「やりたいことを見つける」という目的もありました。

今思えばひどい話ですが、私は地域おこし協力隊の3年間の任期を全うして、その後も福島に残ることは初めはあまり考えていませんでした。やりたい方向性が定まったら、実は東京の会社に転職するつもりでいました。

ところが人間何にハマるか本当に全く分からないもので、地域おこし協力隊として「ローカル」な働き方をしてみたら、すごく楽しくなってきたのです。岳温泉で暮らす地域の人と仲良くなり、まるちゃんと呼んで可愛がってもらって、大好きな安達太良山と岳温泉の深い繋がりと価値を地域内外に伝える。「地域おこし協力隊」の肩書きの下で、色んな人に会いにいき、県内外でのたくさんの素晴らしい出会いにも恵まれました。

そんなことをしている内に1年でやめようと思っていたのが、もう1年、あと1年と延び延びになり、現在に至ります。

いよいよ最終年になった今年、誰もが予想しなかったコロナウイルスの感染拡大により、私も進路を考え直すことを余儀無くされました。コロナがなければ、3年間の任期を終えたタイミングで、一度何らかの形で海外に出たいと考えていたからでした。

コロナで海外どころではなくなり、自分はどこで何をするのか考え直すことになりました。そんな時に支えになったのが、私に副業の機会を与えてくれた、とあるデザイナーの方の存在でした。

その方は東京で長く大手広告代理店やメーカーのデザインの仕事をしており、震災後に受けた復興庁の仕事がきっかけで二本松と東京の2拠点で事業をしています。協力隊後の進路として、PRやデザインの仕事に興味があった私は、たまたまお仕事のお手伝いをさせていただけることになり、デザインど素人にも関らず、プロ中のプロに教えていただくという本当に有難い機会に恵まれました。

任期後は福島に残るのか?という話になった時には、親身になって私の将来を一緒に考えてくださり、地方でデザインの仕事をすることの厳しさについてお話しをいただきながらも「4月以降も福島に残るなら引き続き手伝ってほしい」と言ってくださいました。

もちろんそれ一本で食べていくことは難しいので、他にも自分で努力して稼ぐ必要はありますが、改めて自分が何をしたいか考えた時にその方との仕事が一番自分にとっても面白く、今後も続けていきたいと思えるものだったことは確かです。この辺りの考えもまた整理してnoteにしたいと思います。

同じ思いをもって仕事に取り組み、師事することができる方(以下、師匠と呼びます)に出会えたことが「福島に残る」という大きな決断をする一番大きな理由になったと感じています。


ということで、4月以降は個人事業主として独立することになります。


私自身、不安がないと言ったら嘘になります。フリーランスや個人事業主という言葉は、サラリーマン家庭で育った私には到底無縁なものでした。サラリーマンを経験しただけに、会社の一員でいることは安心だしいいなと思うこともあります。

一方で協力隊をはじめてからは、自分の力でやりたいことを切り開いていくことのやりがいや面白さを知ってしまったことも事実です。師匠との仕事だけでなく、仲の良いカフェのオーナー家族からお店の広報や新しいチャレンジを一緒にチームとして進めてほしいという有難いお話しもいただいています。

まだまだスキルも能力も足りませんが、コミュニケーション力(おしゃべり力)だけは自分の武器だと思っているので(笑)それを活かしながら色んなことに挑戦していきたいと思います。周りの方とお話ししていると、特にプロモーションやイベントの企画、プロジェクトマネジメントが私は得意分野になりそうなので、何かあればご相談いただければ嬉しいです。

それ以外でも福島に関連することがあれば、色んな人を繋げるのも大好きなので、ぜひ気軽に声をかけてください。


二本松をはじめとする福島の皆さん、こんなヨソモノですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


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