「何もできなくてもバンドを組む」という作戦
人間には2つの種類がある。
「バンドを組んだ事のある人間」と「バンドを組んだ事のない人間」だ。
そもそも「バンドを組む」という発想が自分の中にない人もいるけど、一度くらい「バンドやりたい」と思った事があると思う。
学生時代に浮かれた連中が「俺達でバンド組もうぜ」なんて言い出すと「じゃあ私はタンバリンで」なんて言う人は必ずいた。
楽器はできなくてもバンドはやりたい。
80年代にもそんな人は多かった。
そんな時、世の中に「打ち込みマシン」とかの「自作カラオケ制作ツール」とかが販売された。
そのタイミングで、カラオケでも、レコードでもいいから流して、そこに自作の歌やら詩やら「叫び」なんかをのっけて、面白ければよし、というジャンルが現れた。
雑な言い方だけど、「ニューウェーブ」というジャンルの音楽には「そういうのアリ」という雰囲気があった。
パンクも演奏はシンプルでいいし、ヒップホップも「楽器演奏能力」は問われなかった。
今回の番組で取り上げた「ナゴムの時代」は、そういうカルチャーが生まれた時代だった。
問われたのは「アイデア」と「センス」「思想」と「度胸」だった。
「それなら行ける!」と暴れ始めたのが「スチャダラパー」や「電気グルーヴ」などの新勢力だった。
もちろん当時も「凄腕のバンド」は沢山いて、その中にも素晴らしい作品はあったのだけど、上手ければ良いわけではなかった。
僕は「その感じ」が最高に好きだった。
そもそも僕が「漫画」という手法に人生を賭けたのは、それが「自由」で「上手い下手より独創性が大事」という場所だったからなのだ。
それはともかく。
バンドから「演奏技術のハードル」を外すと「誰でもできること」になる。
もちろん「度胸」やら「アイデア」は必要だけど、楽譜は読めなくてもいいし、専門教育も受けなくていい。
そんなわけで、「面白い人」が次々とバンドを組んで出てきたのが、あの時代だったのだ。
実のところ、その条件は今も変わらない。
僕らはヤンサンレギュラーメンバーを「トークバンド」と呼んでいる。
「結束して何かを生み出す」という概念を「バンドだ」と言い切ってしまえばいくらでもバンドは組めるのだ。
そんなわけで、先日僕は新たなバンドを組んだ。
メンバーは「編集者、柿内芳文」「アーティスト、愛★まどんな」「漫画家、山田玲司」
ファーストアルバムは「漫画(映画本)」で5月にリリース。
先週の打ち合わせで、このメンバーをバンドということにしよう、となったのだ。
なので、漫画発売の展示会では「バンドステッカー」を用意する事になった。
仮のバンド名はあるのだけど、その発表は近日発表。
なんだか無闇に盛り上がる。
おそらく「バンド」というもののイメージが、義務ではなく自発的な集まりなのが大きいのだと思う。
試しに誰かと「バンド」を組んでみて欲しい。
メンバーは2人でもいいのだ。
「バンド名どうしようか?」なんて考える。
その日が結成日だ。
意味もなく「伝説の始まり」みたいな気分になる。
「俺」とか「私」だけでグルグル悩んでいたのが「俺たち」「私たち」になる。
「俺たちなら行けるぜ」なんて言えちゃう。
そこがバンドの一番いい所だ。
もちろん自分は一人が好き、という人はそれでいいけど、1つくらいバンドを組んでいてもいいと思う。
バンドを組んだら、ライブをしてもいいし、本を作ってもいいし、仏像研究してもいいし、ゲーム実況をしてもいい。
世界の全てが大嫌いで、リアル恋愛も無理、とかいいけど、1人くらい「バンドメンバー」がいるのはいい。
収入のために集まった人達から離れて「面白いことのため」に集まった人達と過ごす時間は贅沢で・・・・・いいものです。
アウトプットが面倒なら、取りあえず「飲みバンド」でもいいものです。