食べ物の話
僕は昔から「やるべきこと」に突き進んで生きているのが好きなので、どうにも「食べること」に関心が薄かった。
漫画家が締め切りに追われ、ペン入れをしながらおにぎりを食べる
、みたいなのに憧れていたのもある。
実際何回も観た手塚治虫のドキュメンタリーには、本当におにぎりを食べながら漫画を描くシーンが出てくる。
「私は何かに夢中なので「食べ物」なんかに構っている場合ではないのだ」
みたいなモードに酔いたいのだ。
ホント馬鹿だ。
なので1時期聴いていた「バナナマン」のラジオなんかは、そういう理由で聴くのを辞めた。
彼らの話は面白いのだけど、その話の内容のほとんどが「何が美味しいか」という話なのだ。
少しは楽しく聴けるのだけど「また食べ物の話か・・」と思うようになって、気がつくと聴くのを辞めていた。
なんかそういう話は「無駄な感じ」がしていたのだ。
でもどうなんだろう?
食べ物を語るのはそんなに「無駄なこと」なのか?
なんて考えるようになった。
【フード理論】
ライムスター宇多丸さんのラジオで昔「フード理論」というのが話題になった。
確かその時ゲストの人が言っていたのは「優れたアニメ(映画等)には何かを食べるシーンが入っている事が多い」というような話だった。
「食う」「寝る」「抱く」などの動物的行動の中に「人間の本質」が立ち現れる、という様な話だったと思う。
今回考察していた「神撃の巨人」でも多くの「食べるシーン」が効果的に入ってくる。
この作品が「生きるか死ぬか」の物語なので「食べること」は特に重要で「サシャのイモ」や「マーレのソフトクリーム」「ハンジのシチュー」など印象深いシーンが多い。
「死ぬ」に対しての「生きる」を表すには、まず「食う」なのだろう。
【何を食べてる?】
「玲司先生は普段何を食べているんですか?」という質問をもらう事もある。
「そんなの聞いて面白いのかな」とか思っていたけど、案外面白いのかもしれない。
バナナマンの「食べ物だけの2時間」はともかく「村上春樹が夜明けに作るサンドイッチ」とか「細野晴臣の大好きな下町のコロッケ」とかの話は面白い。
昔僕もヤンサンの放送で「最後の晩餐はおはぎがいい」と言ったのを覚えているのだけど、これを観ていた我らが「カルロス袴田」がそのことを曲の中に入れてくれたのは嬉しかった。
(♪ おはぎが好きで~ ってあの曲です)
「食べ物の話」は最も「その人」がわかる話題の1つなのかもしれない。
【平凡】
「食べ物」は「その人」を作る材料だ。
変な化学物質が入った加工食品を毎日口に入れるのは怖い。
最近「添加物の有る無し」が分からなくなるような食品表示に変わるという話を聞いた。
「食べ物なんかどうでもいい」とか言ってる場合ではない。
とか言いつつショッピングモールで外食もするし「都内の名店」なんかに入って食べる「美味しいもの」も好きだし、たまにはジャンクフードも食べたくなる。
まあそんな感じで僕も「平凡な現代人」というわけだ。
【美味しいって何?】
今回の公開生放送の後、スタッフのみんなが打ち上げをしてくれたのでクタクタだったけど喜んで参加した。
久世とチャラ沢がモツ鍋を作ってくれて、ヤンサンチームで鍋を囲んだ。
ビッグコンテンツのシリーズが無事に終わった後の宴は最高だ。
原始時代に久しぶりにイノシシなどを仕留めてみんなで火を囲んでいるような感じだった。
久しぶりのしみちゃんも楽しそうだ。
こういう時の食べものほど美味しいものはない。
同じものでも美味しさが違う。
ここで思う。
僕が食事をないがしろにして「漫画」や「放送」や「絵画制作」なんかに猛進するのは「こういう食事を味わうため」では・・と・・
なるほど、これが「仕事のあとのビールは最高」ってやつなのね。
年々僕の中の「進撃の巨人」が冷静になっていくのを感じる。
「どうってこともない1杯のお茶」でしっかり幸せを感じている自分がいるのだ。
お知らせ
9日から東京の東長崎「ターナーギャラリー」で多くの新作・未公開作を含めた展示会が始まります(日曜日は休みです)
会場に来られない人のためにネットでの絵画販売も始まるので、良かったらぜひ。よろしくお願いします。
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