賃貸物件の原状回復費用(実際の体験談)
実際の体験に基づいて賃貸物件の原状回復費用とその現実について書いていきたいと思います。この記事は注意喚起のために書いており、無料公開にしております。
※その後、本件は無事に解決したため、名前は伏せております。また時期や金額は曖昧な表現にしております。
この記事を3行でまとめると
・賃貸物件の退去時に不当と思われる原状回復費用が請求された
・弁護士に相談:法律や東京都のガイドラインの解釈
・現実的には不当請求に対して法律の素人(賃借人)が勝つのは簡単ではない
です(5,887文字)
登場人物
・私(賃借人)・・・30代、都内在住
・A(賃貸人)・・・50代、A不動産社長
・B・・・20代、A不動産社員
・弁護士X・・・ 不動産を得意とする弁護士、30代
・弁護士Y ・・・評判の良い弁護士、40代
・弁護士Z ・・・不動産を得意とする弁護士、40代
1.プロローグ
A「浴室の鏡、水アカで汚れてますね。善管注意義務違反ですので、お客様負担で交換して頂きます」
2021年某日、2年間住んだ東京都内の賃貸マンションにて、退去立会に臨んだ私。
A「壁のクロスも汚れてるから貼り替えだです。あと、シンクのゴミ受けも汚れてる。これも、お客様に負担頂きます。」
渋谷区に本社を置く A 不動産の A 社長は、マンションの室内を見渡しながら、あれもこれもと難癖を付けながら、マスキングテープを貼っていった。その都度、部下の B がデジカメで写真を撮りながら、書類にメモを残していった。
A「1,2,3,…全部で10カ所。今テープを貼った場所がお客さんの過失による汚れと傷ですので、ルームクリーニング代と合わせて、総額10万円請求致します。」
そう言って A は持っていた書類にサインするよう言ってきたのだ。
私「そんなにかかる訳ないでしょう。」
転勤族の私は、これまでに何度も賃貸マンションを移り住んだ経験があるが、これまでに退去費用を請求されたことは一度もなかった。煙草も吸わず、ペットも飼っていない。退去前にきっちりと掃除もし、今回も退去費用はかからないであろうと私は見込んでいた。
私「たとえば、鏡交換なんて1万円もかかるわけないでしょ」
私は持っていたスマホで、その部屋に使われていたものと同型式の浴室鏡を検索し、Aに見せた。一般的な単身世帯マンションに使われる浴室用鏡(INAX製)であり、2,500円。仮に交換工賃を加味しても1万円ということはないだろう。
A「それは鏡単体の値段ですから、交換工賃を考慮したら総じて1万円かかります」
A は嘲笑った。
A「お客さんが日々の清掃を怠っていたから鏡に水アカが付いてるんです。これはお客さんの善管注意義務違反。だから交換台を負担して頂きます」
このままでは相手の言うままの金額を請求されると思った私は、
私「納得がいきません。この場で明細書にはサインできませんので、後日請求書を郵送してくれませんか。」
と頼んだ。
私は「後日、知り合いの弁護士に確認します。」と付け加えた。
弁護士を出せば相手も出方を変えると思ったが、むしろAは、
A「いいですよ。うちも顧問弁護士がいるんで。」
と好戦的な態度である。
私は釈然としない気持ちのままマンションを後にした。
2.弁護士探しに七転八倒
退去立会から数週間が経ち、明細書が郵送されてきた。内容は下記の通りであった。
請求額は立会時の説明よりむしろ高くなっていた。
特にクロス代は立会時に指摘された指先程度の小さな傷に対し、10㎡も交換するとの記載がある。
私は書類を怒りで握りしめながら弁護士探しを始めた。
まず、ネットで検索してヒットした東京都心部にある弁護士事務所に電話をかけた。
X「大変申し訳ないですが、その金額だと当事務所では扱えません」
弁護士Xは面倒くさそうに言った。
私「扱えないとはどういうことでしょうか。」
X「今回のケースですと非常に少額ですので、弁護士費用に見合いません。他の弁護士事務所を当たってください。」
電話は一方的に切れた。
東京都内に弁護士法人は数多ある。
しかし、経済的利益の小さい消費者問題を扱う弁護士はそう多くない。
高々10万円の退去費用を取り返すために動いてくれる弁護士はいない。
原状回復費用10万円。
支払えない金額ではないが、納得がいかない。
私は泣き寝入りをしないことを心に決め、弁護士探しを続けた。が、弁護士選びは簡単ではない。
一般的にはインターネットで「弁護士法人、東京、不動産」などと検索して近隣の弁護士事務所を探すだろうが、都心には多くの弁護士事務所があり、どこに相談すれば良いか判断がつかない。
また前述の通り、小規模な案件は門前払いという弁護士は多く、10万円規模の案件で動いてくれる弁護士は少ない。
そこで、次に法テラスを当たってみた。
法テラス(正式名称「日本司法支援センター」)は、裁判制度の利用をより容易にし、弁護士のサービスをより身近に受けられるようにするために設立、運営されている。いわば、庶民のための弁護士である。
一定以下の所得であれば無料で法律相談が可能となる。ただし私は平均的な所得があるので有料対応となった。
法テラスで要件を伝えると、自宅から最も近い「渋谷法律相談センター」を紹介された。しかし、
「かなり多くの人が相談しているようで電話が繋がりにくい」
と説明を受けた。試しに何度か電話をしたが、一向に繋がらない。庶民の味方のはずだが、現実的に少額案件に対応する弁護士は多くない。相談件数に対して、弁護士のリソースは相当に限られているようである。
私は諦めて「弁護士ドットコム」や「ココナラ法律相談」などのポータルサイトで近隣の弁護士事務所を探すことに決めた。
「その金額だと弁護士に委任せずとも少額訴訟制度を使って個人で争った方が良いです。少額訴訟制度は、弁護士がいなくとも使える手軽な訴訟制度です。」
2回目にかけた電話をかけた弁護士Yは対応こそ良かったものの、不動産を専門としていないため、他の弁護士を探した方が良いと促された。(単に少額な案件を取り扱いたくないだけかも知れないが)
少額訴訟制度。
60万円以下の金銭の支払を求める場合に限って利用できる,簡易裁判所における特別の訴訟手続である。
しかし、仮に少額訴訟制度を使ったとしても、ズブの法律の素人が法人相手に争うのは危険である。不動産会社は不動産のプロであり、法人であれば顧問弁護士が付いているはずだ。素人がいくら理論武装しても、専門家相手に敵わないだろう。
なにより、制度概要を調べると下記のようなリスクがある。
「訴えられた人(被告)は,最初の期日で自分の言い分を主張するまでの間,少額訴訟手続ではなく,通常の訴訟手続で審理するよう,裁判所に求めることができる。」
仮に通常訴訟となれば、かなり厄介な手続きになる。
過去の同様の事例をネットで調べると、数ヶ月もの間、書類の作成準備に費やしたり、複数回に渡って法廷に足を運ぶなどの必要があるとあった。私は会社員であり、平日の昼間に裁判所に足を運ぶ暇はない。サラリーマンにとって裁判は時間的にも金銭的にもかなりの痛手である。
私はその後も東京都内の不動産を専門とする弁護士をリスト化し、潰し込みにかかった。
こうして何度かインターネットと電話を使ってたどり着いたのが弁護士事務所 Z だった。既にここまで退去立会から 1 か月が経過していた。
弁護士事務所 Z には、弁護士 Z と事務員が数人。既に何度も弁護士に断られているので、具体的にこちらから依頼したい内容を伝えた。
「A 不動産に対し、原状回復費用の請求が不当な旨を文書で作成し、内容証明郵便で出したい。私個人の名前で出すと ”舐められる” 可能性があるので、弁護士名義で出してほしい。仮に訴訟になった場合は再度相談とさせてほしい。」
事務の女性は対応が良く、ホームページ上に具体的な弁護士費用の明細が記載されているため、安心して相談できると思った。
こうして私は弁護士 Z との相談を予約した。既に電話で依頼内容を細かく伝えていたため、やりとりはスムーズであった。
3.弁護士相談
「では、まず最初に契約書と原状回復の精算明細書などを確認させてください。」
弁護士 Z はふむふむと書類を眺めたあと、
「国土交通省のガイドラインはご存知ですかね?」
と問うた。私は、
「はい、既に目を通しております。」
と応えた。
弁護士 Y から「国土交通省のガイドラインを見て自分で争った方が良い」と助言されていたので、その際にガイドラインには目を通していた。
国土交通省のガイドラインは、原状回復の費用負担に関するトラブルを未然防止するために制定された。ガイドラインによると、経年劣化・通常損耗は賃貸人負担、善管注意義務違反や故意・過失による傷や汚れは賃借人の負担とある。
しかしこのガイドラインも完璧なものではなく、「通常の使用」を実際の利用ケースと照らし合わせることは難しい。よって入居前後の写真などが証拠となり、争点となるのである。
「まず、賃借人(私)に故意・過失・善管注意義務違反がないとの主張と、原状回復費用の支払い義務がない旨を書いて内容証明でお送りします。もし相手方がこちら側の主張に応じない場所、少額訴訟に移ります。」
こうしてファーストアクションを取ることにした。
案件が少額ということで、この時私が支払ったのは内容証明郵便の作成費用と事務手数料合わせて約2,000円。
もし仮に原状回復費用が取り返せたら、10% を成果報酬とする、とのことだ。つまり最大1万円である。これまでに相談した多くの弁護士に比べればかなり良心的だ。
さて、これまでの流れを簡単にフローにするとこんな感じだ。
弁護士によると「この金額で訴訟を行う人はいない。裁判の手間を考えれば、どこかで和解するのが普通」と言われたが、A の好戦的な態度をみれば、訴訟も辞さずという考えかも知れない。
不動産会社 A とのやり取りは弁護士に任せ、あとは相手の出方を待つことにした。
4.解決
「壁に傷がある」、「床(フローリング)に汚れがある」、「浴室鏡に水アカがある」…。
これらを善管注意義務違反とみなすか、通常の使用に伴う傷・よごれとみなすかを客観的に証明することは難しい。
「この傷は、いつ、どのようにしてつけられた」を証明することは出来ないであろう。仮に入居前・退去時の写真が全て揃っていたとしても、判断は相当に難しいと考えられる。
最終的には傷や汚れを専門家の目で見て、裁判所で白黒を判断することになる。ただし、裁判所の判断も必ずしも正確とは言えない。よって、賃貸人と賃借人で和解(痛み分け)をするのが現実解であると弁護士に助言された。今回のケースでは、原状回復費用10万円を5:5にするか、7:3にするか…を話し合いで決めるということである。
実際の裁判の手間、弁護士費用を考えれば、「5万円くらいで何とかまるめてくれ」という訳である。
さて、改めて今回の原状回復費用の明細を見てみる。
例えば、浴室用鏡の交換であるが、前述の通りINAX製の鏡は2,500円であり、交換工賃を多く見積もっても10,000円ということはあり得ない。また、必ずしも鏡の水垢が善管注意義務に該当するとは言えない、というのが賃借人(私)の主張になる。
そこで「本当に鏡の交換に10,000円もかかるのか」というエビデンスが必要である。つまり鏡を交換した業者の明細書を不動産管理会社に開示請求した。
2018年に発生した「札幌不動産仲介店舗ガス爆発事故」では、従業員が室内消臭スプレーを店内で噴霧し、そこに引火して爆発が発生した。つまり、実際には賃貸物件の室内消臭を行っておらず、従業員が証拠隠滅のためにスプレーを噴霧していたことが発覚したのだ。
もしかしたら、管理会社 A は実際には鏡を交換せず、激落ちくん等で水垢を落とし、10,000円 をぼったくっているかも知れない。本当に交換していれば業者からの明細書があるはずである。
他の項目(壁紙、シンク受け)も同様に明細書の開示請求を行った。しかし、A 社は最後までこの開示請求に応じなかった。そして弁護士から開示請求を行った翌月、何の連絡もなく私の銀行に敷金全額が振り込まれていた。
おそらく、賃借人(私)が本当に弁護士を出してくるとは思わなかったため、勝ち目がないと判断したのだろうが、何ら連絡も説明も寄越さなかったのは不動産会社 A の体質を表している。最後まで釈然としない気分のまま、一件落着した。
まとめ
・制度上の問題(少額訴訟)
前述の通り、少額訴訟制度は、通常は煩雑な訴訟手続きを少額かつ簡易的に行うという建前の制度であるが、実際に蓋を開けてみると、まだまだ一般人が参加するにはハードルが高い。裁判書類(証拠など)を準備したり、平日に裁判所に足を運ぶのは手間がかかる。
将来的に民事訴訟がインターネットで参加可能になるように議論が進んでいるようだが、今後に期待したい。
・弁護士の問題
一般人(素人)が弁護士に案件を依頼するのはハードルが高い。
少額の消費者問題は経済的利益(弁護士報酬)が少ないので取り合ってくれないことが多い。特に、都心にある弁護士事務所は、数は多いものの、経済的利益が見込めない問題を取り扱う弁護士は多くない。また仮に取り扱ってくれたとしても、優先順位は落とされるであろう。
相手は不動産会社(法人)であり、不動産関連の法律のプロである。また、法人であれば顧問弁護士がいる。素人対プロでは、弁護士を付けないと裁判で不利になる。
・賃貸物件の入退去時の注意
月並みなアドバイスだが、入居前・退去時に入念に写真を撮っておくこと。
退去立会時には写真と原状回復のガイドライン、賃貸契約書を持参し、必要に応じてスマートフォンやボイスレコーダーを持参すること。「ちゃんとエビデンス持ってますよ」という牽制になる。
・絶対に泣き寝入りしないこと(これが一番大事!)
高々10万円であると言って泣き寝入りしないこと。一般的に、原状回復費用や敷金(債権)回収は根気が必要である。
これまで記載した通り、裁判の手間や善管注意義務の証明の難しさ、弁護士費用等を考えれば、賃借人が泣き寝入りする場合もある。また、不動産会社(賃借人)側も「10万円程度ならば泣き寝入りしてくるだろう」と見込んでいる可能性がある。
以上、今回は原状回復費用について記載させて頂きました。