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一生モノの出会い~追悼元上司~

先日、前職で大変お世話になった上司が亡くなったという連絡を受けました。お歳もお歳でしたし、癌も一度患っていたので、全く考えないことも無かったのですが、たまに来るメッセージは元気そうだったので油断していました。会いに行っておくべきだったと後悔することしきりです。

前職を辞してもう14年になりますが、今もって「あの上司で良かった」と思えるし、大切なことを沢山教わったと思える、そんな第二の父と呼んでも差し支えない一生モノの出会いでした。

いや、どちらかというとあまり子供に関心が無かった実父よりも大きな存在かもしれません。前職は大変でしたけれど、まさに人生の糧となった5年間でした。今回はそんな沢山あるエピソードから一部を抜粋した思い出話です。上司の風貌はぽっちゃり型で足が短く、メガネに波平カット、鶴瓶師匠の様な笑うと消える細い目、あと愛嬌がすごいが声もデカい。そんな彼を思い浮かべながら読んで頂けると面白いと思います。

クソガキの躾

私が前職に就いたのは2004年。就職氷河期の末期で、一時は就職浪人も覚悟しましたが、なんとか拾ってもらえました。しかしながら、そんな謙虚になるべき身であることも省みず、何でも賢らに受け答えをする空気読めない子だった私をちゃんとお外にも出せるように躾してくれたのは彼でした。配属を決める面談で「行きたくない所があるとすれば、何やってるか良く分かんないので人事ですかねー」って本社の人事部長に答えちゃうバカタレですから、どう贔屓目にみてもろくなものではない。笑
(ちなみにこの後私は地方事業所の人事担当に配属されるのですが、彼は「おもしろいのを出すのでちゃんと使ってね」と言われただけで、報復人事では無かったとのことです爆笑)

他の大勢の新人と同様、ビジネスメールの書き方ひとつなってなかった私でしたが、「言いたいことをハッキリ言う」「ちゃんと指示を理解した上で事前に持ってくる」というのを随分評価されたようで、色んな裏話をこそこそと教えて貰いました。
今でも「人は評価されれば喜んでそのやり方を続ける」ということを忘れないようにしているのは、彼の手によって自分自身がまず体験したからだと思います。叱るのもいいですが、ちゃんと認める方が人は早く伸びますね。

気風の良さ

業務的にはムチャ振りも多く、人手が足りないので私は入社3年目で地区の労政業務(労組との下交渉等)までやらされましたが、結果的にはあのハードワークは今に生きています。でもそのハードワークを「こんなの無理です」と言わず私に連日夜遅くまで残業してでも何とかしようと暗中模索させたのは一重に彼の気風の良さでした。

「それを指摘したらさ、彼の顔潰れちゃうだろ?その辺うまいこと建て付けてよ」

結構印象に残っているのはこの類の指示でした。要は求められているのは「屁理屈」なわけですが、優しさを無くさずに自身の目的を達する方法をまず考える、そんな彼の気風のよさ、人情に篤い所が私は好きでした。だから偉い人たちに敵はあまり居なかったし、むしろ「おう、ワシあの事業所担当することになったからお前人事責任者やれ。人事担当役員には通した。」って言われて取締役から拉致される人でした。では真面目で能力が高いのかと言えば、その取締役主催の会議で寝ちゃういい加減なところもまた憎めない所ではありました。(人事だから事業に直接タッチはしないし、彼の使いどころはそこ(会議)では無かったので取締役も諦めてたんじゃないだろうか)

ただ、厚意を無下にする輩には容赦なかったので、たまーに「野郎!説教してやる!」ってプンプン怒りながら短足おじさんが速足で出かけて行ったことも有りました。それでも皆が見てるところでどやしつけたりしない辺りはホントに優しい人だったのだと思います。叱り方ってとても大事です。

入る所と出る所は大事

彼は大層な食いしん坊でしたが、単身赴任の身で、かつ料理は出来ない人でした。私は既にバッキバキに自炊派だったので、たまにご飯を分けてあげていたのですが、このnoteでも昔紹介したドライカレーをあげたところ、いたく気に入り「おお、お前分かってんな!」という話になり、以降事業所の食堂の新メニュー試食時に必ず同席させてコメントを求められるようになりました。相手はプロなのに25歳そこそこのクソガキがああだこうだイチャモンをつける役を仰せつかったわけで、困ったもんです。私の発言に食堂を良くする効果があったのかは分かりません。だけど、食堂の料理人の苦労を理解しつつも何でも認可するわけじゃないぞという緊張感を持たせたかったのかもしれません。

広い事業所だったので何か所か食堂があったのですが、彼は「あっちは蕎麦が売りの店、あっちはカレーが売りの店、こっちはイタリアンぽい女性が好きそうなメニューが売りの店。そうするとボクが飽きずに廻れるでしょー♪」などと主張して運営業者に特徴を出させていました。そうすると面白いことに「職場からの距離」を無視した常連客の棲み分けが起きました。遠くても行くのだから、これは明らかに満足度があがっています。今考えてみると特徴をつけた方が業者間でも価格競争が起きにくかったでしょうし、いろんな点で優れた管理だったかもしれません。「ほらなー、俺の言ったとおりだろー?やっぱりお昼は楽しくなくっちゃ」ってずっと言ってましたね。
一方、別の食堂では業者が手を抜いて、おでんをカレーに乗せて「和風カレー」と称したところ、社員からメチャクチャクレームが来ました。笑

彼は言います「入る所と出る所は大事なんだよ」と。なるほど、ご飯は従業員の満足度にも強く作用するけど、いい加減にしてると不満も爆発するわけです。さて、出る所と言えば?

一緒にある新築棟を歩いていた時「お!今の見たか?彼は製造現場の人間なんだ、彼はきっと痔もちなんだ。こんな職場から離れた所のトイレにわざわざ来るのは何故だと思う?ここにはウォシュレットが付いてるからだ!だから俺は「トイレはウォシュレットにしましょう!その方が社員は喜びます!」って取締役を説得したんだ!どうだ!俺の言った通りだろう!今度報告しなくちゃ!」って鼻息荒くまくし立ててましたが、私は勝手に痔持ちにされたあのおじさんが不憫でなりませんでした。

とはいえ、この様に「「入る所と出る所」は大事なんだ!覚えとけよ!美味しいご飯と綺麗なトイレがあれば、そうそう文句なんか出たりしないんだ!」と、この時彼が力説していたのは「なるほどな」と思わされました。私自身もランチが楽しかったですしね。だから今食品の仕事をしているのは誇りをもっていますし、自社に食堂はありませんが(規模的に無理)、週一回魚屋さんを呼んで買えるようにしたり、トイレの改修計画が出て来ても反対しません。

笑い話のようですが、案外大事なことです。

100km往復ハンドキャリー

「おい、お前んとこ11番の資料あるよな?」
この電話から発覚したのが「重大資料取り忘れ事件」でした。私は地区の社内昇格試験の責任者にされていました。何故ならば地区人事に試験終了者の主任クラスが居らず、先輩は試験対象者だったからです。地区千数百人くらいだったかなぁ?の試験対象者の管理を入社3年の緻密さに欠けるバカタレがすることになったのです。
試験は本社で秘密裏に作成され、試験三日前くらいに各事業所の担当責任者が本社に呼び出されて必要部数カウントの上で受領し、本社からハンドキャリーすることになっていました。全ては不正防止のためです。
ところが、私その試験の資料の一つを持って帰ってくるの忘れたんですよねぇ…。完全に不祥事です。
幸いにして本社では残部数カウントをしていて、1つの資料がとんでもない数残っていたので取り忘れを疑い、大規模地区2トップの片方である私のエリアが真っ先に疑われ、ヒットしたというわけです。
前日は試験会場の確認や、試験監督をお願いする管理職の弁当や茶菓子の手配など私の仕事は山盛りなので、上司が自家用車で片道100kmハンドキャリーすることになりました。
「おい、今本社で受け取ったんだけど!他にはもうねぇだろうな?!もうそっち帰るぞ!」
あの本社からかけてきた茶化した電話は今でも耳に残ってます。たぶん本社で私メッチャ笑われてたんだろうと思いますが、「しゃーねえなあ」って尻を拭いてくれた上司には感謝しかありません。こんなに迷惑かけたし、本社では恥もかいただろうに、でも彼は私に説教1つしませんでした。凹んでるのが顔に出てたからかもしれません。
今では私が会社のトップとしてお客様に謝罪したこともありましたが、誰もなじったり責めたりせず、スパッと頭を下げることを良しとしているのは、この時見た親分の背中が今も私の中で生きているからかもしれません。

「人間なんて弱いもんなんだよ」

地区全体で7000人も居る拠点で人事をやっていると、本当にいろんな事件があります。交通事故とか労災とかマイルド?な物から始まり、14年経つ今でもここに書けないようなものまで。平均すると毎月大体何か事件起きてた感じです。楽しかったなぁ(疲れた遠い目

当然懲罰に値するようなことも起こります。流石にそうなると会社側として相対する人事としても峻厳さが求められますので、入社3年目4年目みたいなクソガキが立ち回っていいことではありません。表に立つのは上司です。

どの事件だったか忘れてしまいましたが、処理が終わった後、彼がポツリと「人間なんてのはなぁ、弱い生き物なんだよ。魔が差すって言うだろ?手が届くところにあると、流されてしまうもんなんだよ。そうだったとしても、こういうことになったら懲罰はしないといけないしなぁ。」と残念そうに言っていたのを覚えています。
「お前も家業を継ぐなら気をつけろよ?君子危うきに近寄らずって言うだろ?お前が巻き込まれる危険なものだけではなく、社員に不正したりする変な気が起きないようにする制度は、厳しすぎる物でも時として大切なんだ」
そう語る彼は一体これまでどれだけの処分を下してきたんだろうと私は思いました。人事って役所みたいに簡単に人を処理すると思われがちですが、人の人生計画破壊してしまうことに慣れる事なんて無いです。それが出来る人は実は逆に人事に向いていないと私は思います。
企業でも軍隊でも規律は大切です。その規律を守る為、「泣いて馬謖を斬る」ことも私はします。それでも規律がいかに重要かということを日々語り、そう簡単に不正などが出来ないような制度設計をしておくことが一番大切なのだということも彼から習いました。

秘密の共有

上司からは何かあるとすぐにタコ部屋(部内会議室)に呼ばれました。別に説教ではなく、内緒話の為です。上司はやらなければいけない仕事を、私達に断片的に指示を出すことはしません。背景の事情も上層部の話もぜーんぶ話してしまうタイプです。それは私と先輩が他所に漏らさない人間であるという信用があってのことではありますが、一つは背景まで話した方が仕事の目的方向性がぶれないのと、もう一つは秘密を共有してしまうと関係者の一体感が増すからです。
意図を隠して指示をすると、資料の最終形を自分で作らなければいけなくなりますし、本当に欲しい資料やまとめが出て来なかったりと効率が落ちます。意図や目的を話してしまった方が、効率よく欲しいものが仕上がるわけです。上司はPCの扱いなど実務能力には乏しかったのもあります。(なので「昨日のアレまだ~?」とか言われて「最優先の一昨日のがまだ終わっとらんのじゃ!!」とブーたれたのもしばしばです。実務を殆どやらないのでどのくらいで出来上がるかが分かんないんですね。)
一体感の為の秘密の共有は極めて有効だと思います。話された方は「特別扱いされている」と思いますからね。仕事上良い関係を保っておきたい相手には、とてもよい手です。ただし、本人が誤解したまま外で話したり、秘密だと思わずに話すこともあるので、「内緒だよ」ということはハッキリ伝えることと、外に漏れてしまうことは前提にして「全体が分からないように話を断片的にしてボカシてしまう」等のコントロールはとても重要です。ゴシップって誰でも好きなので、ある程度の信頼関係が築けた相手とより親しくなるには役に立ちます。
機密や部内の恥などはリスクが高いので「とても偉い○○さんが本件大変お怒りである」「とても偉い○○さんがやらかした」あたりが一番良いのです。聞いた方も地雷だと思うので近付きませんから、喋ったことがバレません。笑
しかし知り合った最初から秘密を喋るのはお勧めしません。「こいつ何でも喋るな…」と思われると逆に信頼されないからです。「貴方とは他の人とは共有しない話もしますよ。だから何かあったら必ず相談してくださいね」という姿勢が私の人事としての情報ネットワークには大切だったのです。人事は他の部門が協力してくれて初めて仕事が出来るからです。だから役所的な対応しかしない人事って情報が上がってこないので問題の予防が出来ないんですよね。

一生モノの出会い

上司との思い出は尽きないので過去最長になってしまいました。今でも使っている大切な価値観に限ったのですが、書ききれないことがまだたくさんあります。
上司とは最初からこんな関係だったわけではありません。お互いがお互いの信頼に応え続けて行った結果、この関係があります。男女の一目ぼれでは無いのですから、一生モノの出会いなんてそうそう起こりません。皆さんにも居るであろう学生時代から関係が続く親友も、たくさん一緒に経験してきたから親友なんですよね。
友達が少ない、親友と呼べる人が居ない、そんな悩みを時々耳にすることがありますが、人間関係は育てなければ深くはなりません。同性であっても家族ぐるみであっても、遊びに行くのに誘ってみる、食事を一緒にしてみるといった積極的な働きかけが無ければ親しい人は出来ません。当然その為には「誰かに頼るのではなく自分で計画や予定を組む」「準備を担当してしっかりとやる」といった手間も必要です。好きになれない人に対してそんなことをする必要は無いですが、「なんとなく馬が合うな」と思ったら積極的に絡んでみるとよいのです。そして、距離が離れて疎遠になっても、たまに連絡して顔を合わせることを忘れなければ、自然と深い付き合いになります。

私と上司は部下と管理職という関係でしたが、会社や組織の論理に対して腹を立てるところが似ており、納得した仕事が出来るように頑張りました。飲みにもたくさん連れて行ってもらいましたし(愚痴も聞かされて大変でしたが)、残業も沢山しました。その結果たくさんのことを教わり、それは今私の仕事の価値観を支える大切な部分を形作っています。社員は「鬱陶しいなぁ」と思われることはあっても「働きにくいなぁ」と思われることは少ないはずです。…たぶん。

良い関係、親しい関係を持てる人は何人いても困りません。自分の人生には良い出会いは無かったと嘆く前に、もう少し人を知る手間をかけてみてもよいのではないでしょうか。

本稿が誰かのお役に立てることを祈って。
そして亡くなった上司に捧げます。
今までありがとうございました。ご冥福をお祈りします。そちらで逢えたらまた一杯やりましょう。話したいことはきっと沢山出来ているはずなので。


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