常識と非常識と生業
先日同業者の会合で色々とお話を伺ったりしたりする機会があって、その際にお話もしたんですが、改めて思ったことをつらつらと書きます。
減少が止まらない
醤油というものは「海外行くとありがたみがわかるんだよねぇ、日本の心だよ」とか「空港で飛行機降りると醤油の匂いがする気がする」とか色々言って頂くことは多いのですが、消費量はずーっと下がり続けています。(これは以前も多分触れたことがあったはず)
グラフになっていませんが、ここからコロナの時にガクッと落ちて(外食閉店の影響)、その後は外食が復活しても横ばいにしかならず、最近また下がっています。上がった年は殆どありません。ラジオでも触れましたが漬物も似たようなもので、ピークだったころとは比べようもありません。
みそも醤油業界に似た状態で、コロナで減少し、さらにグラフ外ですが直近では醤油より高い比率で減ってて厳しくなっています。
理由はいろいろあるんでしょうが、私は自炊が減ったことと、少子高齢化で食べる絶対量が減っていることが主因ではないかと予想しています。とはいえ今回その原因はどうでも良くて、事実としてこのような業界様相になっていると、当然関係者はネガティブになることに触れたかった。そりゃそうですよね、業界全体が縮小していて自分のところだけは特別なんてまず想像できませんから。
大手企業は値上げをガンガン行っていますが、中小零細企業となるとなかなか同様の値上げは出来ません。醤油は「昔から在って当たり前」とされていたためか、なかなか価値を認めてもらえません。売り場での存在感も上記の様に消費量が減れば無くなっていきます。
気を吐く存在
一方で醤油業界内でも最近注目される存在があります。「木桶」です。
一般の方がどの様な想像をされているか分かりませんが、実は醤油づくりにおける木桶はずいぶんと減ってしまいました。そのほとんどがコンクリートやFRP(繊維強化プラスチック)によるタンクで製造されています。木桶は締め直しなどメンテナンスが必要で、またサイズも一定以上大きくできず(効率が悪い)、大きな木桶を製造できる職人も失われつつあることもあって、中堅以上のメーカーはよほどのことが無ければ使いません。
中小零細の醤油蔵を中心にして、今それを見直して木桶仕込みであることを強みとしてやっていこうという動きが広がっています。木桶づくりは昔は当たり前の作り方でしたが、効率が悪いので廃れたものの、何とか復活させてその手間暇を商品価値として認めてもらおうという動きです。醤油の香りに木の香りが加わって味わい深くなります。木桶も自分たちで製造方法を伝承しようとしています。商品としては、たくさん売るというよりは、こだわって高く販売することを志向しています。
ちなみに当社では木桶仕込みは行っていません。規模やここまで培ってきた生産体制に合わないからです。
常識と非常識
「醤油の消費量は減る一方」とか「蔵や木桶はあまり使われていない」とかここまで読まれた方の多くは「へぇ」と思われたことも多いでしょう。業界内では「常識(よく知られていること)」ですが、業界外の方にとっては「非常識(知らないこと)」な話なのです。しかしこれこそが新しい需要を生むタネ、特に中小零細企業にとっては最後に残されたといってもいいタネだと思うのです。
インターネットが広がって、誰もが色んな情報発信ができ、検索することが可能な時代にあって、「いつでもどこでも買える(手に入る)」というのは当たり前すぎて魅力的に見えません。それゆえ「一番安く買える場所」という競争になっているのが、そもそもの醤油の価値が上がらない原因です。
逆に非常識情報である「ここでしか買えない」「販売量が限られている」「非常に手間暇がかかっている」といったことがちゃんと伝わり、「美味しい」ということが分かれば、高い価値(価格)を認めてもらえることが多いのです。
生業の呪い
木桶の復活に並々ならぬ熱意をもって取り組む方たちが居る一方で、「醤油とは安いものだ」「安定して提供し続けることに意味がある(その代わり安くなる)」「だから安いのは仕方ないが、原料価格が上がって非常に厳しい」となっている醤油醸造会社は大変多いのです。
私はこれを「生業(なりわい)の呪い」のようだと感じています。生業とはまさに生活していくための仕事のことで、それゆえか皆さん本当にまじめで、「必要不可欠なものなのだから醤油で高いお代を頂いてはならない」という思いすら感じます。確かに近隣の住人に日常的に使ってもらってきたのであればそう考えるのも分かるのですが、地方へ行くほど周囲の住民も減り、スーパーに納品するほど大量に作ることも出来ないのであれば、商品価値を磨いて相応の対価を頂く方向に舵を切るしかありません。
確かにこれまで支えて頂いた近隣の方に使いやすい価格で提供することは望ましいのですが、そこも優先順位で、住民の皆さんも「無くなってしまうようなことがあるのならば、多少なりと高くても良いので継続してほしい」と考える方が自然なのではないでしょうか。醤油屋は全国津々浦々にありますが、やはりみなさん地元の醤油屋と聞けばテンションが上がるものです。これは酒屋でも味噌屋でも同じですが、地域のアイデンティティにもかかわるところかと思います。最近醤油屋は廃業もどんどん増えてきているのですが、この辺りの試みも一度トライしてみてからでも遅くはないのではないかと思います。勿論道の駅に営業に行ったり、観光客が来てくれるような仕組みを作ったり、取り組みは簡単ではないですし、内輪の話を外にひけらかすことに抵抗感を持つ方も少なくありませんが、終わってしまっては何にもならないのです。
中途半端な私たち
最後に蛇足になりますが、こういう取り組みに一番向かないのが当社のような中堅にちょっと足りないサイズの企業です。大量生産で大企業同等に安く作れるわけでもなく、こだわりの木桶造りを行うには大きすぎます。
先ほどの値上げの話に戻りますが、キッコーマンさんやミツカンさんの商品が無いスーパーなんてあり得ません。かならず利用者からクレームになります。だから彼らは木桶が無くても値上げが通るのです。(簡単なわけではありません)
しかしある程度はスーパーに依存しなければならない私達中堅どころは「必要不可欠」ではないので値上げ交渉の過程で販売を切られてしまうこともあります。これは不当な扱いではなく、相手は商品を自由に仕入れる権利があるのだから自然なことなのです。私たちだって仕入れ先を変えることはあります。
ではどうするかというと、自分たちの存在の定義を変えて、少しばかりの覚悟を決めなければなりません。ここは詳しくはお話しできないのですが、事例を挙げます。
GEという会社
アメリカにGeneral Electric Companyという会社があります。通称GEといって、元はあのエジソンが作った会社です。元は電機関係の会社だったのですが、ジャック・ウェルチというおじさんが社長(1981~2001)になってから会社が豹変します。日本の家電に押され始めていた電機関係の事業を売り払い、伸びていたTV局などメディア事業を取り込み、世界の貿易量増加を見て貸しコンテナ事業を買ったり、日本では金融事業をやったり(エジソン生命とかはその名残)、どんどん姿を変えていき、好業績を連発しました。現在はその頃に比べるとちょっとパッとしなくなっていますが、それでも航空エンジン・医療機器・原子力発電の3本の柱でやっています。
時代に沿って自分の姿を変えていくやり方は大変に見事で、この辺りの詳細はいくつか本が出ていますので、興味のある方はそちらをどうぞ。従業員当事者としたら買われたり売られたりして気分のいいものではないかもしれませんが、稼いでる間はキッチリ投資をされますし、売却されるときには相手はファンドとかではなく同じ分野で強い事業会社のことが多いですから、歓迎されて買われていったのではないかと想像しています。
私はジャック・ウェルチではありませんし、そんなに優秀ではないので、醤油という根っこを切ることはできませんが、「昔ながらの~」ということに縛られないように形を変えていかねばならないと考えています。木桶が出来ないのであれば出来ないなりに変わらなければいけないのです。
今までやってきたことに縛られたり、見たくない事実から目をそらしたりすると手遅れになるのですよね。
温故知新とはよくいったものですが、GEほどの幾たびもの大変身まではいかずとも、自社がやってきたことの中で世間に知られていないことは何か、案外他社ではできない強みは無いか、ということはいつも考えておくくらいはしても良いのだと思います。
ちょっと拡大解釈をすると、会社や組織だけでなく、「人より優れた点が無い、趣味が無い」などと嘆く人にも案外当てはまるかもしれないなと思ったりもします。
以前「トリビアの泉」という番組が流行りました。みんな「へぇ」という話を見聞きするのは好きなのです。真面目にやってきたことをひけらかすのでは無く、少し知ってもらう努力をして、「へぇ」と言ってもらって気持ちよく製品を買ってもらう、これも立派なビジネスですよね。
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