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よそはよそウチはウチ【選挙後のお気持ちの持って行き方】

選挙が終わりました。いやーなかなかすごい結果になりました。

「まずは投票」の前提

前回のnoteで書きましたが、まずは選挙は投票することが前提です。皆様投票していただけたでしょうか?投票してみてどうでしたか?投票した候補者がその後どうなったかや、比例で投票した党がどうなっていくかに関心が持てて、開票速報を見るのも面白かったのではないでしょうか?
「どーせ投票しても何も変わらない」と冷めた態度で投票していないと味わえない楽しみです。

結果のとらえ方

投票すると、自分が投票した候補者が落選したり、政権交代が起きたりした時「そうだそうだ」となることや「いや、こんなことを望んでいない」といったこと等いろいろな感情が起こり得ます。選挙は多数決ですから必ずしも自分の思った通りに運ぶとは限りません。選挙速報の楽しさもありますが、他方でストレスの原因にもなり得ます。自分の応援した候補が落選すると自分の考えが否定されたようにも感じてしまうのです。
しかし、これは本来必要な結果です。候補者がたった一人で承認選挙みたいになってしまっては、世界のどこかにある専制国家と何も変わらないですから、思いを遂げられない人が出るというのは民主主義にとって良いことなのです。

ここで一番良くないのは、このストレスに耐え切れず、「世間が間違っている!みんな分かっていない!私だけが真実を知っているのだ!」という妄執に取りつかれてしまうことです。特にXやFacebookといったSNSをやっていると「そうだそうだ」と同じ意見で賛同してくれる人が集まってきたりします。否定されるのが怖いからお互いを讃え合って外の意見に耳を貸さなくなるともう大変です。これをエコーチェンバー現象といいますが、陰謀論や疑似科学にどっぷりハマってしまう人は大体この居心地のよさにやられます。そして自分の意見が否定されることに耐えられなくなり、かたくなになって行きます。外部との接点が減った高齢者がYouTubeの動画を見まくっておかしくなるのはこれです。皆さんも親や親類がこうならないように気を付けましょう。

この現象の行きついた先が米国の分断状態です。大統領選挙はもちろん、銃規制、移民規制、反戦活動、どれをとってもそこら中でケンカしています。お互いに不信感を持ち、その争いに新聞などのメディアまで加わり、もうメディアを信用しないと主張する人も過半を超えています。デマや行き過ぎた表現が乱れ飛ぶも是正の方法がなく、手の施しようがありません。


正解はだれにもわからない

「あいつらはおかしい」というのは「我々は正しい」の裏返し表現です。同じことを言っています。自分の考えている政策や候補が落選すると言うことは、他の意見が大勢から支持されているということなので、自分が否定されたのと同義だと考えてしまいがちです。誰しも自分が否定されるのは嫌ですから、「陰謀だ」「わかってない」などと口角泡を飛ばして喧嘩するわけです。これが「分断」です。
しかし、正解なんて誰にも分かりません。政治に限ってみても、かつて自民党が大敗して民主党政権が誕生した時には大喝采でした、ところがその3年(2009年~2012年)ほどの政権期間は今なお厳しい評価が下されることが多くなっています。発足当時は国民から歓迎されたのです。評価も後から変わりますが、その是非の比率はともかくいいことも悪いことも両方あったはずです。正解かどうかはその瞬間は誰にもわからず、また同時にすべて正しい、すべて悪いということもそうそう無いのです。ですから、自分の思いとは違った結果が出ても、気にする必要はないのです。「お手並み拝見」くらいでいいですし、好き嫌いでなくフェアに評価して「うーん、あっちのほうが案外正しかったかも」と後から考えるようになってもいいのです。
私からすれば、ちゃんと社会のことを考えて投票することこそが素晴らしいことです。正しかったり間違ったりしながらでも子供たちによい社会を残してあげられたら良いし、「こうやって私も間違えたんだよねぇ」っていう経験を子供に伝え、子供たちも年齢が達すれば投票するようになるならそれはとてもステキなことです。

「よそはよそウチはウチ」の精神

繰り返しますが、誰が正しいかは分かりません。もしかしたら時間が経った後も分からないかもしれません。今回の選挙結果を受けて考えを変えてもいいですし、変わらず同じ人を応援しようとなってもよいのです。大切なことは「何かに固執するのではなく、公平につねに監視を続ける」ということです。例えば今回裏金問題で責任を問われた候補者(元議員)が全国にいました。当選した人も居れば落選した人も居たわけですが、「そんな人だとは思わなかった」と未来永劫拒否するのではなく、落選した人がまた立候補したのなら審査すればよいですし、当選した人も本当に反省し行動を変えるのかは継続して見続ければよいのです。政治を「監視し続ける」ことは大切です。

卑近な例ですが、食品メーカーとして当社は定期的に複数の取引先から監査を受けます。「衛生管理をきちんとしているか、製造工程を通知通り変わらず全うしているか、問題が出た場合の対処方法は決められているか」などを見られるわけですが、こういうことがあるから普段から襟を正してなすべきをなそうという責任が維持できるところは間違いなくあります。対応するのも大変ですが、人間だれしも長く続けば緩むこともありますから監査は請けたほうが良いのです。これは政治も同じだと思います。

監視を継続することが大切なのですから、常に「見てるからな?」という姿勢を示すためにも毎回投票することが重要です。正しかったか間違っていたかは二の次です。「あの時投票したけど裏切られた気がしたからもう投票には行かない」というのが最悪なのです。政治からすれば「あ、じゃあ関心持ってくれてる人たち向けの政策を優先しますね」となるだけだからです。これは前回触れました。投票されなかった投票権の数が得票数からマイナスされることは無いから当然ですね。

ですから、結果が気に入らなかろうが、応援してた人が他の人たちの手によって落選しようが「よそはよそ、ウチはウチ、たまたま今回その他大勢と意見が違っただけでこれからもちゃんと見ていく」と考えればよいのです。算数の問題ではないので正解したしないに気をもむ必要はないですし、隣の人と同じ意見である必要もないのです。当然SNSでそれについてギャーギャー喧嘩する必要もありません。もちろんSNSで意見の表明をすることは良いと思います。とはいえやり過ぎると望まぬ喧嘩をふっかけられることもあるので「SNSは用量用法を守って正しくお使いください」というのも忘れずに。

今回躍進した党が勝者となった後どう振舞うのか、負けた党はなにを修正しようとするのか、しっかりみてやりましょう。来年には参議院選挙があります。投票する機会はすぐに来ます。そして兵庫県民はさらにその前に今月知事選があります。何を重視するかは人それぞれでよいと思います。ただ、投票は必ずしましょうね。

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