母親と子供の頃の服の話
はっきり毒って言うほど強烈ではないけど、まあマイルドな毒親だったんだろうなぁという母親の話
子供の頃、子供っぽい服しか着せてもらえませんでした。
両親ともに背が高く、私は12歳のときすでに身長が167cmになってました。そこでぴたーっと伸び止まって以来30年以上167cmキープで、先日の健康診断では腰痛で腰が真っ直ぐ伸びないせいかとうとう165.xに縮んでしまいましたが、まあ昭和育ちとしては高身長女子でした。
母は貧乳の人で、子供を三人産んでも最後の授乳期が終わって以降はずっとBカップだと言ってました。
私は父方の遺伝か、二次性徴以降ぐいぐいと胸が成長し、中学入学時点で余裕でC、高校入学時には下着店の店員さん曰くほぼEのDでした。
大人になって以降とても太ってアンダーバストだけが成長したので、トップサイズは変わってないですが今はCです。
時代的なものもあり中学高校の同級生女子がタイトスカートに洒落たデザインのカットソー、DCブランドの肩パッド入りのジャケットなど着ている時代に、私はファミリアとかクイーンズコートの子供デザイン服を着せられていました。ミキハウスは母のお好みではなかったので着たことがありません。
身長167cmCカップでファミリアの子供服とかかなり拷問です。
みんなが太腿の真ん中あたりまでのタイトスカートで集まる校外学習の日にクラスの女子で一番背が高い私が吊り紐付きで膝丈のプリーツスカートと丸襟のブラウスというトイレの花子さんみたいなでしか出席できないの、とてもツラかった。
ブラウスも胸があることを前提にしないサイズだから上から2〜4個目くらいのボタンがぱつんぱつんに張ってしまって、いつも猫背にして目立たないようにしてた。
体育の着替えの時間にみんなだいたい綺麗な色味でレースのついた大人っぽいブラをしてるのに平均値より大きめバストの私はホック留めじゃなくてかぶるタイプでノンワイヤーのグンゼのジュニアブラしかもってない。
しかもサイズが合ってなくて谷間がいつも浮いてる。
惨めというか悲惨というしかなかった。
成長に見合った服を買えない貧乏だったというわけではないんです、どちらかといえば裕福な家でした。
名目上は両親そろってたけど私が10歳くらいの頃から両親は別居してして、父は別のところで暮らしつつ母に(今考えればかなり法外な)婚費と養育費を払っていたので、生活費は潤沢でした。
母親は自分の趣味に時間とお金をしっかり使う人でしたが浪費家というほどでもなく、子供の服も成長に合わせてちゃんと調達してました。
買い与えられる服も百貨店系のしっかりしたものだけど、絶望的に体型にも顔にも合ってない。
子供の要求も聞かない、それだけです。
通ってた学校はわりとしょっちゅう校外学習の日があって、観劇(歌舞伎とか浄瑠璃とか宝塚歌劇とか)・食事(マナー講座)・文化体験(茶道とか花道とかスポーツ観戦とか美術館鑑賞)なんかに出かけついでに校外での振る舞い方も習うみたいな、進学校でもなく名門でもない小金持ちの馬鹿娘にそれなりの振る舞いを躾けられる学校。
校外学習も高校になればTPOにあわせて華美でない化粧をしてくるのもOKで、だいたいみんな眉を整えてファンデとリップ塗ってくらいの事はしてくるんですが、私は眉を整えることも許されてませんでした。
というか、やったら母親がめちゃくちゃ嘲笑してくる。仕上がりがオモシロだったとかそういうことではなくて「子供のくせに色気付いちゃってwwwwww」というあれです。
今はわりとナチュラル眉流行期なので眉はちょっと整えるくらいで大丈夫だしまったく無手入れでもそれほどは目立たないけど、当時は細眉流行期で私の地眉毛はかなりしっかりなので、めちゃくちゃ目立ってたし浮いてた。
無駄毛を剃る度にもめちゃくちゃ煽られる、意味がわからない。
顔のうぶ毛を剃るのももちろん、脇の毛の処理も、水泳の授業前日にすね毛やアンダーヘアを整えるのすらも悟られるとめちゃくちゃ笑って冷やかしてくる。
眉はまだお洒落の範疇だからまったく手付かずで浮いてても不潔とかそういうことはないけど、脇毛生え放題すね毛生え放題スク水の足の付け根から毛がコンニチワするのは流石にやばい。
処理しても親にめちゃくちゃ嘲笑される地獄、しなかったら共学校ではちょっとありえん地獄。
風呂で毛を剃ろうとしてるところを母に見つかってゲラゲラ笑われた挙句に剃刀を取り上げられて翌日の体育をズル休みしたことが一度ならずある。
服装を周りに合わせたい、クラスメイトから浮いててとてもいたたまれないし無駄毛についてはそのままでは体育の授業を受けづらいということを何度も繰り返し説明しても「子供は子供服を着るべき。身だしなみとかまだはやい。うちはうちよそはよそ」で全く聞き入れてくれず、子供っぽさがあまりでないジーンズにネルシャツみたいな格好で行こうとしたら、TPO!といって怒られてしまうし、お母さんが選んでる服もTPOにあってないよと言っても「そんなことはない、ちゃんとした服を与えてる」と全く通じず、中高六年間下着と私服と毛に関して恥をかきっぱなしだった。
心ない男子に不潔とか痴女とか言われたこともある。心ある女子に剃刀借りて学校のトイレで毛を剃ったことも何度もある。あの環境で私をいじめず『親って無茶言うよね』と同情してくれたクラスメイト女子たちには感謝しかない。
一度自分の小遣い(お年玉貯金)で黙って自分に合うサイズのブラとタイトめのスカートとそれに合わせるシャツを買ったことがある。
こっそり保管してカバンに詰めて持ち出し、学校近くの駅のトイレで着替えて校外学習に参加して、「今日の服いいじゃん」などと言ってもらえてほっとして、また帰りに駅のトイレで親に着せられた子供服に着替えて帰宅。
バレないように母不在の間に洗濯してベッドの下の洋服入れではない物入れになってる引き出しに袋詰めにしてこっそり保管しておいたのですが、当然のように部屋を漁られてバレて怒られた上に捨てられた。
怒られるようななんか問題のある服ではなかったです。高いものではなかったけど当時の中高生が普通に着ている外出着という程度の服。
怒られた内容ははしたないとか安っぽいとか色気づくなとかそういう内容だった。
色付きリップとか顔剃り用の安全剃刀なんかも何度も買って何度も捨てられた。これは引き出しを荒らされて「捨ててあげたからね」と言われる。怒られるというよりは「恥ずかしいもん買ってたの見つけて捨てたったwww」のテンションで嘲笑される。男の子がちょっとエッチな本とかを見つけられるのと多分おんなじ類の反応。剃刀とかリップクリームはそんなんじゃない……よ?
勉強に無関係なものを買うなとかそういう事は全く言わないんです。むしろ勉強に関して無関心、赤点とって進級できないようなことがなければどうでもいいようで、通知表も特にしっかり見るわけでもないし、定期考査の結果にも興味なし。(当時はそれに対してネガティブなことは思ってなかったし、放って置かれてもそこそこ勉強が好きだったので困ることがなかったけど、自分が親くらいの年齢になって周囲の友達が自分の子供の勉強や習い事をサポートしてるのをSNSなどで見ていると、うちの親ネグレクト気味でもあったのでは……?と思わざるを得ないところが多々ありました。私学に行ったのは親の勧めとかでは全然なく、兄の素行の関係で公立校に上がると私ももれなく問題児扱いされるらしいということがわかったので急遽父に相談して、自主的に適当な私学の入試を受けたのです)
漫画も音楽CDも買っても何も言われたことないし、欲しい漫画本を買うために車を出して郊外の大型書店まで連れて行ってもらうことも日常だった。
でも色気付くのはダメらしいです。全く意味がわからないし色気付くの基準もわからない
高校を卒業したらさすがに言わんようになるやろと思っていたら、全然そんな事はなかった。
進学した専門学校は中高と違って男子の方が多い技術系で普段着はワークパンツにシャツみたいな格好推奨だったし体育の授業もなかったのでそこは全く問題にならなかったんですが、ブラがあかんかった。
相変わらずサイズが合わないジュニアサイズのノンワイヤーブラ一択。
クラスに男子の方が多くて、座学よりもグループで机を囲んでやる実習の方が多かったのでブラが合ってなくてきちんと押さえられてない状態で机を囲むことが物凄いストレスでした。
これはもう流石にこの家にいたらダメだと思って、父に相談してお金を出してもらい家を出ました。
その頃父とは何ヶ月かに一回短時間会うくらいの疎遠な関係だったんですが「母が服とかを強制してきてつらい。年齢なりの人間扱いをしてもらえない」というごく短い訴えだけで深く掘り下げもせず一人暮らしできるアパートを探してきて母に渡していた養育費の私の分は私の口座に振り込むというふうに手続きしてくれました。
母はめちゃくちゃ怒って、怒ってる理由が、自分に無断で父に連絡したことと、家を出ると勝手に決めたことと、自分のところへ入る養育費が減ることがごちゃごちゃになってて支離滅裂な感じでした。
母が私に年なりの格好をさせないのが理由であると何度もはっきり伝えたんですが、全く理解できないようでした。
多分今も理解してない。
その後の話
家を出てから、罪悪感を持たずに自分が欲しいと思う服や下着を買うことに慣れるのに10年くらいかかりました。
好きとか欲しいとか思う一方で、母が許すかどうかを考えてしまって、買っても捨てられるとかめちゃくちゃ嘲笑されると思うと嫌な汗が出てきて、じゃあ買わない方がマシかなと思ってしまう。
もうなんか、それなりのちゃんとして洋服店に入るだけでめちゃくちゃ怖い。ユニクロとか無印ですらビクビクするし落ち着かなくて長時間いられなかったり、洋服のところから雑貨のところへ逃げてしまう。
化粧品類も同様なのです。
お店でものを見たり買ったりするのも未だに物凄い抵抗感があって挙動不審になってしまうので、だいたい通販で買う。
洋服に関しては、一人暮らしするようになってしばらくしてオタク趣味に目覚めて同人誌界隈に首を突っ込むようになって知ったピンクハウス系にとても救われた。
丈が長くて花柄とかフリルやリボンがいっぱいの子供っぽいデザインでありつつ大人サイズで、一度母に見られた時「似合ってるよ、いいんじゃない」と言われたのでかなり驚いた。
母が行きつけの百貨店の中に店舗があったというのも大きいと思う。
一般社会では80年代で流行が終わってたけど同人誌の世界で90年代後期までわりと流行っていて、ピンクハウスの服を着ていればイベント会場では「TPOに合った服を着てる子」扱いされた。
全身ゴテゴテにするほどの財力はなかったのでいつもシンプルめだったけど、あれは本当に助かった。
毎シーズン買い換えるような財力はなかったから一つのものを何年も着たし古着店で買ったりもしたけど、私がいた界隈では新柄じゃないとなんか言われるというようなことはなく、同じテイストの服をいつも着てる子が複数いたので「みんなと同じ」格好ができた。
今はイベント会場でもピンクハウス系は少なくなってるし私ももう着てないけど、ファストファッションや通販の台頭で服はどうとでもなるようになってるので本当にありがたい。
森ガール的なふわっとした服が流行した後そういうテイストの服が一定量残ってるのもありがたい。ああいう服を買うのは心理的抵抗がとても少ないし、母親に会うときにも何も言われないので困らない。
同人誌の界隈には化粧を全くしない子も多くて、そっちで変人扱いはされなかったのもありがたかった。
わかんないんだよねといえば初歩的な化粧の仕方を教えてくれた子もいて、本当に救われた。
母がなんで頑なに子供服を着せたがったのか、サイズの合わない下着を強要するまでしたのかは今もわからない。
家を出た後母とはそれにりに交流があったけど、十年くらい前になんでかわからないけどまた突然怒らせてしまって絶縁宣言をされたので、それは渡りに船だねとそれきりマイルドに絶縁中。
住所以外の連絡先は変わってないので向こうはこっちの電話もメールも知ってるけど連絡してこないし、こっちからもよっぽど用がなければしない。
八年くらいまったく没交渉だったけど、なんやかんやあって離婚済みの父がちょっと前に倒れて余命宣告された連絡が来たときには一応連絡した。
ちょっと大きい地震があったときとかに、無事ですかとかいうメールが来る事はあるので、無事を知らせる一行メールを返すくらいはしてる。
今度顔合わせるのは母の葬式とか、身動きできなくなって施設送りにするときだろうなと思ってる。
母と暮らしてる妹は母とはそれほどぶつからないらしいので、任せっぱなしにしてる。
オチ的な話
妹はめちゃくちゃ童顔で、もうすぐ四十に手が届くけど未だに新しく知り合いになった近所の人には学生だとよく間違われるとかなんとか……体型も中学生の頃から変わってない
妹は体型も顔立ちも母親の血筋ー!って感じの人です。身長は私より数cmあるけど肩幅もほっそいし胸も小さい。母より小さい、ここだけの話AAAだそうな。乳首さえ秘匿できれば胸を支える必要はないんだけどカップ付きタンクトップとかのブラトップの類はB〜Cカップ用のサイズしか存在しないからブラが必要だそう
私は高校生の頃まではスカートは9号、上着は胸がつかえるから11号かなくらいの体型で、今は19号とかじゃないと入んねーけど、妹は未だに丈さえ問題なければ7〜9号
そういう子ならずっと子供服しか着せてもらえなくてもあんまり不自由感じないのかもしれないけどさぁ……
12の頃に15、6とよく間違えられてたような娘に対象年齢が9〜12歳とかの服を着せるのはサイズが入っても虐待ギリギリだと思うよ