幸せとはなにか?
昨日、今日とじっくりいろんな事を考えて、1つの結論が出た。
幸せとは何か?
「自分がその結果に100%納得できるか?」ではないかなと。
例えば、
お金持ちだけど、人生つまらない不幸な人
お金はないけど、人生が楽しくて幸せな人
自分の現状に満足、、、とまではいかなくても
「納得」できているから両者の違いが出てくるのだと思う。
少なくとも「幸せかどうか?」は周囲の評価ではなく、自分の基準で決まるもの。
他人のイメージに振り回されるって悲しいよね。
やっておくべき5つのこと
「自分がその結果に100%納得できるか?」
1.考えること
2.言語化すること
3.行動すること
4.発言すること
5.好奇心を持つこと
この5つが大切なのかなとぼんやり思っている。
いやいや、100%ってムリくね?
「自分がその結果に100%納得できるか?」という回答に、
「100%なんてムリくね?」と思うかもしれない。
全く、おっしゃるとーーり!
100%なんて、ムリ!不可能だと僕も思う。
でも、100%に近づきたいと思うから、人は生き、チャレンジするんじゃないかなーと思ったり。
昔「女帝」というドラマがあった。
田舎出身の女子高生がお金と権力を求めて、水商売でのし上がっていく(確かこんな感じの)ストーリーだ。
そのドラマでは、「南の怪物」と呼ばれる超絶金持ちのおじいちゃんや、世の中の全てを支配した!と言わんばかりのトップクラスの業界人が現れる。
しかし、そのドラマの主題歌の歌詞に、
「月も星も届かないから、人は手を伸ばす」
とある。
このフレーズに衝撃を受けた。
どれだけ金を手にし、権力を手にし、世界を牛耳れる人間だとしても、
宇宙というスケールで見たら、「月や星に触れることすらできない人間のちっぽけさ」を演出している。
なんか人生の切なさと美学を感じたね。
それと同じで、宇宙の真理が解明されない限りは、
100%なんて存在しない。
しかし、その100%を求めることこそが、人間の、自分の生存理由なんじゃないかと、
ふと思った秋の夜長。
おわり。
PS.
こういう事をいろいろ考えると「矛盾」が生じるのはやむなし。
「自分がその結果に100%納得できるか?」
これが「幸せ」ではないかと思っている。
しかし、本当に100%に達したらどうなるのだろうか?
幸せ過ぎて「絶望」するんじゃないか?と思う。
現状に100%満足するのだから、改善の余地もなければ
これ以上チャレンジする理由もない。
もっと言うなら、これ以上に幸せはない。
人生の伸びしろがなくなるという意味では、
もはや「絶望」じゃないかと思う。
この幸せが死ぬまで続くと考えたら、
もはや生きる理由もなくなる。
「100%の幸せ=絶望」
完璧は人を殺しかねない、
そんな変な結論に至った。
オリオン座の下で。