「師匠」とは一生ついて行くふりをしながら、いつか超えるべし概念【師匠】
令和も始まり3日が経った今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
日刊【書くメシU30's】マガジン金曜担当のマルタです。
今って令和も始まり、GWも真っ盛りという感じでしょうが、僕自身は全く変わらない平凡な日々を送っておりまして、、、いろんな意味でビビっております。
なんか自分で商売やっていると、世間のみんなはお祭り騒ぎ、自分は変わらず執筆活動みたいな。
どこか世間から切り離されたような感覚を覚えつつも今日は筆を執ろうかと思います。
「師匠」を超えてゆけ
「師匠」と「弟子」というのは、一昔前の日本の文化のように感じますね。
ちなみに師匠の意味はGoogle先生によると以下のような定義だそうです。
学問・技術・遊芸を教える人。
うーん、シンプル笑
まぁ「師匠」という言葉の認識にもよりますが、僕の考えは以下のようになります。
「師匠」とは常に学びを得つつも、いづれは超えていくべき存在。
これが絶対条件です。
言い方は悪いですが
師匠を師匠と永遠に呼びつつ、従うのではなく
師匠をいづれ超えていく、自分の成長の踏み台にできるかどうか?
が大事なんじゃないかと思います。
真似るべき「型」の存在は必須
真似るべき「型」が必要なのは間違いないですね。
これは徹底的に真似しましょう。
「師匠」という人間の存在も、つまるところ「成功モデル」として自分の成長に役立てるのがいいんじゃないかなと思います。
ちなみに僕が最初に起業を決意したときは六本木で会社経営している社長さんの思考や言動を真似しておりました。
ある程度の思考プロセスは真似できたので、そこから「ノウハウ」や「ライティング」とジャンルを広げて「型」を増やしていきました。
自分が成功モデルとどれだけの「差」があるのか?
それを知るためにも「型」は必要です。
超えられたら喜ぶべし
んで、僕自身の話とすると「師匠」というよりは、どちらかというと「絶対的に尊敬する人」はおります。
やはり現代を生きる自分にとって「師匠」はなんかムズガユイようですw
「自分に成長や学びをもたらしてくれるんだけど、いづれはその人達も超えていってやる」と思っております。
「常に人を踏み台にしてるんだな。。。」
ともしかしたら思われるかもしれませんが・・・笑
いいのですよ!踏み台にしても!
その人達も「踏み台にしてほしい」「超えていってほしい」と思っているはずです笑
だから「絶対的に尊敬している」わけなんですよね。
実力で超えても、絶対に怒らないだろう、むしろ歓迎してくれる!と信じているんです。
ずっと「師匠すげー」なんてついていくつもりはないですね。
尊敬はしてても。
余談ですが、実力で負けたら突然悪態をついてくる先輩や教師、師匠
それは人間失格だと思います。
木を見て森を見えていないヤツらですな。
人類は常に人々の生活が豊かにしていくべく、発展していってるわけなので。
数学の公式も、社会の経済モデルも全て先人たちを、まぁ言っちゃあなんですが、踏み台にして今の発展した社会が成り立っているわけですからね。
「クソぉ!あいつに実力で超えられた~!=一歩人間の豊かさへ前進した」と喜ぶべきなんじゃないですかね。
それは身近であれなんであれ。
世の中に優秀な人たちが現れて、それを称賛すべきであって嫉妬すべきではない。
なので良くも悪くも「人を超えていく」「ライバルを超えていく」ことは当たり前じゃないかなぁと思います。
ただし、尊敬をしつつ、お互い競い合いながらもケンカにはならない、
それが極論的な豊かになる仕組みや構造だと考えております。
「師匠」はその一貫にすぎないのではないかなと思ったり思わなかったり。
というところで現場からは以上です。