今だに夢にでてくる その3
体育館でみんなでバスケをしている。
素早くボールをパス。
ボールをキャッチしたのは友達。
22才で亡くなった彼がドリブルをしている。
保育園から一緒の彼は全てが完璧だった。
勉強ができて、スポーツ万能、彼に欠点などない。
小学校のクラブ野球では全国制覇を成し遂げた。
バスケでは市内で3位に入賞。高校からスカウトがくるほどセンスがあったしエースだった。
高校は県内公立で学力1番の高校を卒業して、
関東の大学に入り、大手建設会社に就職した。
建設会社の研修1週間目の朝、
出勤前にマンションの屋上で帰らぬ人となってしまった。
衝撃だった。
葬儀会場は彼を慕う人で溢れかえっていた。
傍から見ると全てが順調に思えた彼の人生。
彼とお付き合いがあった彼女も来ていたが、
直視できないほど衰弱しきっていた。
小柄なお母さんが茫然自失となり、
さらに小さくなって立ちつくしていたのが
忘れられない。
帰省するたびに彼の実家と墓を訪ねた。
遺影の彼は変わらず若いままだ。
彼の墓前はいつもビール缶と
大量の献花が飾られていた。
まわりに花がある墓なんかないぞ。
こんなに皆からから愛されてるのに。
とついつい羨んでしまうほどだ。
あれから23年が経過した。
彼が生きてきた倍ほどの人生になってしまった。
死にたい人には死にたくなる理由があるのだろう。一見裕福に見えて、羨む人生を歩んでいても、
人の幸せや苦しみは他人には計り知れない。
人には人の尺度がある。
本や伝記、ミュージシャン、アーティスト。
偉人や奇人は若くして死んでしまう人が多すぎる。
死は特別なものでもなんでもなく、
必ず誰にでも訪れるものだ。
決して美しいものでもなく、死に価値なんかない。
自死を選び、抱えきれなくなった苦しみは、
ホールケーキやピザを等分に分けるように、
残された家族や、友人に苦しみを分けてしまう。
地元の厄年の風習で、
紅白の餅を村の人数分に分けて厄をみんなで食べてもらう習わしがある。
誰かの苦しみもそうやって助けあえればいいのにな。
死にたくて、苦しくても、
死ぬなと声をかけてあげたい。
彼のお母さんの涙を見るとそう思わざるえない。
夢の中での彼は相変わらずドリブルにキレがあり、華麗にシュートを決める。
なあ、またあっちでバスケしような。