“だし合わせ”シリーズについて(2)舌に宿る神様
“ほんもの”とは何か?
例えば真実と嘘、正規品と贋作、本人とモノマネ、など、事実に対しての真偽を問う意味での“ほんもの”は簡単に定義できます。
しかしながら、「味覚」という感覚的なもの、つまり主観的なものに対して“ほんもの”を排他的に定義することは可能なのでしょうか?
出来ません。
もちろん、ある程度までは定義できます。例えば、文化や歴史として長年継承されてきたものがそれです。
だしの世界においても、鰹節と昆布を使った一番だしという有名なレシピがあります。
長年に渡り多くの人に知れ渡っているこのレシピは、それだけ多くの人にとって“ほんもの”だと思わせる魅力があるに違いないのでしょう。
これはこれで大変貴重なものであることに変わりありません。
ただし、どんなに長い歴史を経たとしても、どんなに多くの人々に感動を与えてきたとしても、それはどこまで行っても相対的なもの。
つまり、時を超え、世界を超え、全人類が100%納得するような「神のだし」など存在しないのです。
あるいは、人の数だけその舌に神様が宿っていると見る方が正しいのではないでしょうか。
神様を喜ばせるだし
例えば、一般的に有名なだしがあるとします。それを用いて作られた料理を食べてみて、自分の中では「美味しくなかった」とします。
「みんなが美味しいと言って食べているものを美味しく感じない私は、何かおかしいのだろうか?」
そんなことはありません。
あなたの舌に宿る神様がそっぽを向いただけ。つまり、あなたにとって、それが“ほんもの”ではなかったという話に過ぎません。
あなたの舌に宿る神様は、もしかしたら鰹の香りが好きな神様かもしれませんし、宗田の魚介感が好みの神様かもしれませんし、サバの甘みに目がない神様かもしれません。
また、この神様はとてもとても気まぐれで、その日の体調や、お腹の減り具合、周りの環境や雰囲気、その時の気分によって、昨日までの“ほんもの”が今日は間違いになったりすることもあります。
さて、そんなあなたの舌に宿る気まぐれな神様を喜ばせるだしとは、一体どんなだしでしょうか?
その答えを見つけるためには、ただ単に完成されただしの中から選ぶのではなく、それ自体では未完成のだしをパズルのピースに見立て、自分で組み合わせていくしかありません。
そう、「だし」を「合わせ」る必要があるのです。
そしてこれこそ、「だし合わせ」シリーズが「だし合わせ」シリーズたる所以なのです。
(続く)
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