あなたはこうやって結婚生活に失敗する(9)の2
翌日、あなたは勤務時間中も昨晩のご主人の反応が気になって仕方ありませんでした。あなたは自分の給料を発表したことを後悔していました。
会議が終わったあと書類を整理していると会議で進行役を務めていた係長が入室してきました。会議室の後片付けにやってきたのです。係長は最近結婚したばかりで新婚です。あなたは机の位置を戻している係長に話しかけます。
「どう? 新婚生活の具合は?」
係長は照れながら「幸せです」と答えました。
「係長の奥さんは働いてるの?」
「いえ、私は亭主関白を信条にしていますので私だけのお給料でやりくりしてもらうつもりです」
あなたはゆっくりと小さな声でなぞります。
「て・い・しゅ・か・ん・ぱ・く、か…」
あなたのつぶやきに係長が尋ねてきました。
「今どき、古いですかね…」
「いいえぇ、そんなことはないわよ。…ねぇ、もし、もしよ。奥さんが旦那さんより収入が多かったら亭主関白はどんな気分かな…」
係長は首を少しかしげ考えました。
「そうですねぇ。やっぱり亭主関白はプライドが高いですからそれは許せないですよね」
そう言うと子供のような笑顔を見せました。そして最後の机を戻し終えるとドアに向かい、ドアのノブに手をかけるとあなたのほうへ向き直りました。
「あのぉ、こういうことを言うと怒られるかもしれないんですけど…。もし私だったら取締役とは結婚できないですね。だって、自分の女房が自分より偉いなんて男としてのプライドが許せないですよ。あ、ちょっと余計なこと言っちゃいました」
あなたは心の中では動揺しながらも微笑を絶やさず言葉を返します。
「いいのよ。私も自分が男だったら私とは結婚しないから」
係長は軽く会釈をすると部屋を出て行きました。
ご主人の親友が遊びに来た日以来、あなたとご主人の関係はスムーズではありませんでした。表立っていがみ合っているわけではないのですが、あなたたちの間には、どこかよそよそしい雰囲気が流れていました。会話がないこともないのですが、以前のように続かないのです。一言二言のやりとりで終わってしまっていました。
そんな日が続いた月末、あなたはご主人が負担する生活費の分を貰っていないことに気がつきました。今までそんなことは一度もなかったのですが、今月はまだご主人が渡してくれていませんでした。
その日、ご主人はアルコールの臭いを漂わせて帰ってきました。ご主人はほろ酔い気分で台所に行くと水を一気に飲み干しました。そんなご主人にあなたは声をかけます。
「今月分の生活費、まだよね」
あなたの声にご主人はなにも答えませんでした。あなたのほうを一度も見ることなく、ご主人はコップを置くとあなたの横を通り過ぎようとしました。あなたは先ほどよりも大きめの声で同じ言葉をご主人に投げかけます。
「生活費、まだよね」
あなたの再度の言葉にご主人は一瞬立ち止まりましたが、そのままドアを開け立ち去ってしまいました。あなたは立ち去ったドアをしばらく見つめていました。見つめながらそのときあなたは会議室での係長の言葉を思い出していたのです…。
「自分の女房が自分より偉いなんて男としてのプライドが許せないですよ」
翌週、ご主人は仕事帰りに飲んだあと会社の部下を連れてきました。以前、あなたはご主人から幾人かの部下の話を聞いたことがあります。ご主人は部下に対して厳しい上司のようであなたにしきりと部下の問題点などを話していました。その日連れてきた部下はご主人から聞いたことがある名前の人でした。
あなたは本心では、ご主人が部下をつれてきたことを快く思っていませんでした。あなたは翌日の準備も終え寝支度をしていたからです。それでも、あなたは気持ちを切り替え部下の人を笑顔で迎えました。ご主人はソファにだらしなく座ると部下の人にあなたを紹介しました。
「俺より偉い俺の女房」
ご主人は酔っているようでいつもより高い声で抑揚のある口調で部下に話しました。あなたは「偉い」という言葉に棘があるように感じましたが、無視するようにご主人の言葉につなげます。
「すみませんねぇ。こんなになるまで飲んで。ご迷惑おかけいたしました」
部下の人はただ恐縮するばかりでした。
「いいえ、僕のほうこそいつも課長にはお世話になってばかりで…」
部下の言葉にご主人が続けます。
「おい、俺は課長だけど女房は取締役だからな。言葉には気をつけるんだぞ」
部下の人もどう対応してよいのかわからず困っているようでした。その様子を見たご主人はあなたに言います。
「ほら、おまえが『偉い』から緊張してるじゃないか。もう寝ていいぞ。あとは俺がやるから」
あなたはご主人の棘のある話し方に穏やかな気持ちではいられませんでしたが、部下の人に笑顔で挨拶をして寝室に向かいました。もちろんすぐに寝付けたわけではありません。ご主人の言葉の棘があなたの心に刺さったままだったからです。
次の日曜日。
ご主人は朝早くからゴルフに行く準備をしていました。しかしその日は夫婦揃ってあなたの実家の法事に行く予定のはずでした。あなたは1カ月前にご主人に話をしていました。あなたはご主人に声をかけます。
「あら、今日ゴルフなの?」
「ああ、課長でもゴルフはやるんだ」
ご主人の棘のある返事にあなたは苛立ちます。これまでなら我慢して聞き流していたでしょう。しかし、そのときのあなたは今までのストレスが積み重なっていました。あの晩以来、ご主人が嫌味で棘のある言葉を度々吐いていたからです。あなたは、つい強い口調で言ってしまいました。
「あなた、最近棘のある言い方が多すぎるわよ!」
ご主人はあなたを睨みつけるようにしましたがなにも言いません。あなたはさらに続けます。
「今日の法事は前々から話していたでしょ!」
あなたの荒々しい口調に、ご主人は反発するかのように大声で言い返してきました。
「そうか、そうだよな。おまえのほうが偉いんだからおまえの言うとおりにしなきゃだめだよな」
「なによ! その言い方!」
「それはおまえのほうだろ! その言い方が夫に対する言い方か! 会社で偉いからって家でも偉そうにしてるんじゃないよ!」
売り言葉に買い言葉…。あなたは涙が溢れてくるのをこらえ切れませんでした。
「私のどこが偉そうにしてるのよ。私だって仕事で辛いことだってあるのよ。それでも家族のためと思って頑張って必死に働いてきたんじゃない」
怒りで怒りが増幅されることがあります。ご主人はそのパターンにはまっていました。
「俺だっておまえに負けないぐらい必死に働いてきたんだ。給料が俺より多いからっていばってるんじゃないよ」
あなたは悔しさでさらに涙が止まらなくなりました。
「私の給料があなたより多いからってひがんでどうするの? あなたそれでも男? だいたい私たち家族がこうして人並みに暮らせるのは私の稼ぎが多いからなのよ!」
あなたはこの台詞を言った瞬間、空気が止まったのがわかりました。あなたは言ってはいけないことを言ってしまったのです。いくら喧嘩言葉とはいえ、言ってはいけないことがあります。人間は他人から言われて一生心に残る台詞というものがあります。ご主人にとってはあなたの言葉がそうでした。
ご主人はあなたの言葉に一瞬当惑しそして押し黙ってしまいました。しばらくあなたを見つめたあとなにも持たずに家を出ていきました。
あなたはこうやって結婚生活に失敗します。
結婚しても忘れてはいけません。親子には「血のつながり」という切ってもきれないつながりがありますが、夫婦は結婚という契約がなければなんのつながりもない他人なのです。どれほど仲睦まじい夫婦でも、究極的には「一番近い他人」と心に刻んでおきましょう。
つづく。