<暗黙のルール>
*この記事は「脱サラをする前に」というサイトから転載したものです。
メジャーリーグ・ワールドシリーズが日本でも大きく報じられていますが、もちろん大谷選手の活躍があるからです。大谷選手は日本にいた当時から「誰もやったことがないようなことをやりたい」と話していましたが、それを一つずつ実現させていることになります。メジャーで伝説と言われるような選手たちでさえ、大谷選手を賞賛しているのを見ていますと、「本当にすごいことをやってのけている」と感嘆せずにはいられません。日本の誇りと言って過言ではないでしょう。
それほど素晴らしい大谷選手ですが、僕は一つだけ気になることがあります。それはレギュラーシーズン終盤に神がかり的な活躍をしていたときのことです。憶えている方も多いでしょうが、シーズンも押し迫った9月19日のマーリンズ戦で「6打数6安打10打点、ホームラン3本、2盗塁」という驚異的な数字を残しました。確かにすごい成績なのですが、ホームランの3本目は本来の投手からではなく、点差が開いたためにマウンドに上がっていた野手が投手を務めていたときのホームランです。その状況が僕には気になりました。
メジャーには「暗黙のルール」というものがあるそうで、例えば「大差で勝っているチームは盗塁をしてはいけない」とか「打者はホームランを打ったとき、派手なガッツポーズをしてはいけない」などです。その背景には「相手に敬意を持ってプレーしよう」という気持ちがあるからだそうですが、先ほど紹介した場面での大谷選手はそのルールを破ったことになります。それが気になっていました。
実は、大谷選手はそれ以外の場面でも「ルール違反」を犯しているのではないか、感じることが幾度かありました。大谷選手はホームランを打ったあとの「確信歩き」が代名詞になっていますが、その際にバットを大きく放るパフォーマンスもときたましています。そのパフォーマンスが実はかなり微妙なようで、あるスポーツ記者が大谷選手にホームランを打たれた投手にわざわざ尋ねています。「ホームランを打ったあとにバットを大きく放る行為をどう思った?」。
どこの世界でも有名になったり活躍が目立つようになればなるほどアンチ派は増えるものです。これだけ活躍している大谷選手ですのでそうした状況になるのも不思議ではありません。大谷選手を「貶めよう」とか「批判しよう」とする記者が出てくるのも仕方のないことです。おそらくその記者もその一人だったのでしょう。しかし、その質問を受けた投手は「あれだけの成績を残しているんだからいいんじゃないか」と答えていました。
メジャーの「暗黙のルール」を、僕が初めて知ったのはイチロー選手がメジャーに渡ったときです。イチロー選手の持ち味は安打を打つことはもちろんですが、足の早さを活かした盗塁も魅力です。おそらくイチロー選手は「暗黙のルール」を知らなかったのでしょう。ある日、大差で勝っている試合で盗塁をしてしまいました。もちろん日本では批判的な記事は大きく報じられませんでしたが、僕はそのとき初めて「暗黙のルール」の存在を知りました。
イチロー選手はのちに「チーム内でコミュニケーション不足があった」と周りとの軋轢があったことを告白しています。もしかしたならイチロー選手に「暗黙のルール」が伝えられなかったのも「軋轢」に一因があったのかもしれません。イチロー選手と大谷選手を見ていて、二人の最も大きな違いは「チーム内における人間関係」のように思っています。以前にも書きましたが、大谷選手には周りの人たちとの関係をスムーズにする資質が備わっているように思えてなりません。そうした資質がホームランを打たれた投手の口からも「気にしない」と言わしめたのではないでしょうか。
メジャーリーグでは「相手への敬意」から「暗黙のルール」がありますが、そのルールには文化の違いがあるように思います。実は「暗黙のルール」には「ピッチャーは死球をぶつけても謝ってはならない」というのもあるそうです。日本人の感覚としては理解しがたいものがありますが、メジャーでは「謝罪すること」は「意図的にぶつけた」ことのあらわれとなるようです。「わざと当てているわけではないから謝る必要なない」がメジャー流の考え方だそうです。
投手としての大谷選手がこのルールを守っているかはわかりませんが、僕が知っている限りでは、大谷選手が「相手バッターから睨まれた」という映像や記事を読んだことがありません。単に日本では報道されていないだけかもしれませんが、全体的な雰囲気として大谷選手はメジャーの選手たちから好意的に見られているのは間違いないように思います。
そうした雰囲気のおかげで、大谷選手が9月19日のマリナーズ戦で「野手からホームランを打った」のも不問にされたのかもしれません。さらに言いますと、「死球をぶつけても謝ってはならない」というルールも大谷選手の言動で変わっていく可能性も「無きにしも非ず」です。「わざと」ではないからこそ、「謝罪する」のが日本人の心情にぴったりくる感覚です。
最近、飲酒運転による交通事故での起訴内容に関するニュースを見かけることが多くなっています。そのほとんどが遺族の考える罰則と検察の訴因に乖離があることが理由ですが、遺族からしますと「あまりに刑が軽い」という思いがあるようです。今年5月に起きた飲酒トラックの対向車線突破による事故も、検察は当初「過失運転致死傷罪」で起訴したのですが、「危険運転致死傷罪」に訴因変更したと報じられていました。被害者遺族の強い思いが動かしたと思われますが、検察は一般の人の感覚とずれている印象を持つことがたびたびあります。
先月、本コラムにて袴田事件について書きましたが、今月に入り新たな展開がありました。まず8日に畝本直美検事総長が談話を発表しました。簡単に言いますと「静岡地方裁判所の判決に対し、控訴しない」ということで、これで袴田さんの無罪が確定したことになります。それ自体は喜ばしいことですが、判決に対しての「強い不満」も同時に述べています。
僕なりの解釈としては、「判決には、到底承服できないものがあるが、袴田さんに同情して控訴しない」ということになります。こうした談話こそ、袴田さん姉弟にしてみますと「到底承服できない」内容です。検事総長の談話を深読みしますと「犯人は袴田さんだけれども」と考えていることが透けて見えます。しかし、9月のコラムでも書きましたが、取り調べ時の録音やそのやり方などを考えますと、普通の人の感覚ではどう考えても「えん罪」です。その感覚のずれがとても悲しく残念でなりませんでした。
それに比べて、今月21日の静岡県警察本部長の袴田さんに対する謝罪は一般の人の感覚に沿うものでした。わざわざカメラを入れて深々と頭を下げる映像はいささかドラマ染みていてひっかかるものはありましたが、多くの人の気持ちを納得させるものだったのではないでしょうか。
本部長は謝罪のあとも取材に応じていますが、「強制的、威圧的な取り調べ」に対しても謝罪しています。警察は犯罪が起きたときに一般市民に「情報提供」を求めますが、こうした取り調べ方法などをとっていますと、誰も協力する気持ちになどならないでしょう。「下手に情報を提供して疑われたなら大変なことになる」と警戒する気持ちが芽生え、できるだけかかわらないようにしようと考えるのが普通です。
そうした状況にならないように警察・県警には「えん罪」に対してもっと真剣に考えてほしいと思っていたさなか、「1986年の福井中3殺害事件の第2次再審請求で、再審開始決定」という報道がありました。この事件は物的証拠がなく目撃証言だけだったのですが、その証言者が証言を翻しています。さらに警察から「ウソの証言をするように頼まれた」とまで話しています。いったい、当時の警察・検察はどのような組織だったのでしょう。まるで悪徳組織のようで、恐ろしささえ覚えてしまいます。
そもそも裁判には「推定無罪」とか「疑わしきは被告の利益に」という原則があるはずです。しかし、その原則が単なるお題目になっているとしか思えない状況です。袴田事件に関して検事総長、県警部長が相次いで謝罪をしましたが、僕の推測では双方は事前に連絡を取り合い、謝罪の方法や内容、または深さで双方のバランスを考えていたように思います。そしてそのバランスは、それこそ「暗黙のルール」で決められていた可能性があります。そうした中で、検事総長が「不満を述べた」のは検察側のプライドを保つための方便だった、と僕は推定しているのですが、無罪かなぁ…。
じゃ、また。
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