<視聴率とか再生回数とか>
*この記事は「脱サラをする前に」というサイトから転載したものです。
先日、偶然に「海のはじまり」というドラマを観ました。と書きだしたところで、なぜか自分でも不思議なのですが、使う漢字が「観ました」なのか「見ました」なのか考えこんでしまいました。僕の感覚では映画は「観る」で、テレビ関連は「見る」とずっと思っていたのですが、ニュースやバラエティー番組などの場合は「見る」でも違和感はありませんが、ドラマに関しては「見る」ではどうもしっくりこない感じがしたからです。
そこで調べてみますと(この「み」は「ひらがな」で問題なし)、「意識を他のものに向けずにじっくりとみている状況では『観る』が適している」とのことでしたので、テレビドラマでも「観る」を使うことにします。日本語は、漢字は、難しい。
というわけでつづきです。「海のはじまり」を観たわけですが、最近は長いことドラマを観ていませんでしたので、考えてみますと、リアルタイムで最後に観たドラマは「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」ということになります。このドラマについては前にコラムで書いたことがありますが、かれこれ8年も前のドラマです。驚きです。
リアルタイムに限らないなら、僕が最近観たドラマは「エルピス-希望、あるいは災い-」、それから一番新しいなら「VIVANT」です。どちらもたまたまなにかの記事で紹介されていて、前者は「アマゾンプライム」で、後者は「Tver」で観ました。リアルでなくともドラマが観られる環境になったことは、僕にはとてもありがたいことでした。
僕に限らないと思いますが、今の時代、会社に勤めている人で平日の午後8時~11時くらいにテレビの前に座っていられる人は少ないのではないでしょうか。社会現象まで起こした一昨年のドラマ「silent」でさえ、視聴率は一桁だったそうです。社会現象にまでなったのは「Tever」で観られていたからです。僕が「silent」を「観てみようかな」と思ったのは社会現象になっていたことが関係しています。
「silent」ではある駅が出てくるのですが、実は、僕はその駅の前を定期的に車で通っていました。当時、やけに若い人が多く歩いており、しかもみんなが写真を撮っていたのが不思議でした。そうです。若い人たちの「silent」聖地になっていたようでした。その光景がきっかけで「silent」に興味を持ったのですが、さほど強く観たいという気持ちにはなれず、いつの間にか関心が薄れていきました。
その僕が「海のはじまり」には、ハマってしまっています。話は少しずれるのですが、ドラマに「ハマる」といいますと、僕がここ最近ずっとハマっていて、感心というか、感激というか、感動しているのはNHKの朝ドラです。あくまで僕の個人的感想ですが、2021年の「カムカムエヴリバディ」から「らんまん」「ブギウギ」、そして現在の「虎に翼」まですべてとても面白く、秀逸の出来だと思っています。
こんなことを書きますと、NHKを批判している某政党から怒られるかもしれませんが、「朝ドラ」と夜の時間帯に放送している「映像の世紀バタフライエフェクト」、また「NHKスペシャル」「ETV特集」などを観ていますと、それだけで受信料をすべて回収した気分になります。特に「映像の世紀バタフライエフェクト」は素晴らしく、よくもこれだけの資料を探し集め編集したものだとスタッフの方々を賞賛したい気持ちです。
とは言いつつも、NHKに対して気になることがないでもありません。ご存じの方はご存じかもしれませんが、現在NHKは内部でかなり揉めているようです。それを端的に表しているのが、現会長が前会長のやり方の多くをひっくり返していることです。前会長は元みずほ銀行の会長まで務めた方ですが、NHKを改革すべく人事や番組編成などいろいろとやり方を変えていました。
その頃ちょうどNHKの内部の方が会長を批判する文章をnoteというサイトに投稿していました。ときを同じくして、僕が好きだった「ためしてガッテン」なども終了したのですが、終わり方があまりに突然で、内部間の対立がうかがい知れる終わり方でした。そうした状況を現会長は元に戻そうとしているように見えますが、外部からは内実が見えないだけに心配です。NHKが中立で公平で、真実を伝える公共放送であり続けることを願うばかりです。
その僕が「海のはじまり」にハマっています。まだ3話でオリジナル脚本ですが、これまでの展開は、「ありそうだけど、これまで描かれていないストーリー」というのが正直な感想です。昔にくらべますと、「性は自由」になっていますが、それはつまり結婚という法的な手続きをする前に妊娠する可能性があることです。そして、妊娠するのは女性だけです。そこが大事な点です。
同じような気持ちになったのが、NHKの夜ドラ「燕は戻ってこない」でした。このドラマも女性の妊娠にまつわるドラマでしたが、このドラマを知ったのは最終回の直前でした。ですので、最終回しか観ることはできなかったのですが、ネット情報などを見ますと、内容の濃い、そして考えさせされるストーリーでした。
「海のはじまり」では、「男性は子供を産まない」という事実が今のところ物語の肝になっています。出産を経験できない主人公が真面目な性格の持ち主であることが物語を深いものにしています。と、僕はこのドラマを高評価しているのですが、世の中的にはどうも違うようで、視聴率や再生回数がそれほど伸びていないようです。少なくとも同じスタッフで作った「silent」よりも、視聴率・再生回数ともに数字が下がっています。
想像するに「silent」はシンプルに純愛物として受け入れやすそうですが、「海のはじまり」はもう少し深い物語になっているように思います。もしかしたなら、そこが若い人を惹きつけられない要因かもしれません。「silent」を観てもいないのに、勝手な想像で恐縮ですが、そう思えて仕方ありません。そして、僕は、それが不満です。
ロシアは西側諸国から見ますと、どう考えてもウクライナに侵攻してウクライナの国民を殺害しています。ですが、ロシアの国民の大多数、特に中高年の方々はそのように思っていません。理由は、実際とは違うニュースが放送されているからです。本気で事実を確認しようとするなら可能なはずですが、そこまで考えることはしないようです。表面的なことにしか関心を示さないことの問題点はそこにあります。
自分が見たいこと知りたいことにしか興味を持たないとき、自分の国が世界からどのように見られているか思われているかがわからなくなります。世界のいろいろな意見や考えに触れることは平和な世界を築くためにとても重要です。メディアにはそれらを伝える義務・責任があります。仮に視聴率が低かろうが、啓蒙という点で意味があります。
特に民間であったならスポンサーが必要ですから視聴率は重要なマターです。ですが、視聴者の嗜好が正しいとは限りません。先日も書きましたが、ナチスを台頭させたのは民主主義でした。大衆がナチスを支持したのは強制されたのではなく、自らの意思です。もし、ナチスがドイツ支配を強める前に、メディアがナチスを批判するラジオ番組(当時はラジオがメディアの主流)を流したとしても聴取率はとれなかったでしょう。大衆が望んでいることとは違っているからです。
「海のはじまり」は恋愛ドラマというよりも考えさせるドラマです。ネットを見ていますと、一部でこのドラマの脚本家・生方美久さんに対する批判的な意見を散見します。ですが、大衆に合わせるだけが脚本家の必要な素質ではないはずです。考えさせるドラマの視聴率・再生回数が一定数を必ず確保されている社会になることを願ってやみません。
だって、パスカルさんも言ってるじゃないですか。「人間は考える葦である」って。
じゃ、また。