あなたはこうやって結婚生活に失敗する(16)の2
ある日。
あなたはお風呂からあがり居間でビールを飲んでいました。あなたはつまみになるものを探しに台所に行きます。奥さんがお米を洗っていました。あなたが、普段お菓子をストックしておく戸棚の扉を開けると、奥さんがあなたのほうに振り返ります。あなたは棚の中を手探りして「イカの燻製」があるのを発見します。あなたがそれを手に取ると、すかさず奥さんから声がかかります。
「あ、それあなたのじゃないから」
あなたはイカの燻製をしばし見つめ、そして棚に戻します。
ある日曜日。
あなたは奥さんの晩ご飯の買い物につき合わされます。理由は、その日はお米を買う予定だったからです。お米はいつも10kgを買っていました。その10kgを持つのが役目です。
その日の晩ご飯はカレーライスにすることになっていました。実は、あなたは普段のカレーライスの味に不満を持っていました。あなたは辛目のカレーが好きですが、奥さんの作るカレーはいつも甘めでした。理由は息子さんが辛目のカレーが苦手だからです。
奥さんがカレーの棚で商品を選んでいるときに、あなたは思い切って言ってみます。
「たまには辛目の味にしてよ」
奥さんはすでに甘めのカレーの箱に手を伸ばしていました。
「辛目が好きなのはあなただけなのよ。いつもと同じでいいの」
あなたは後ろ髪を引かれる思いで、辛目のカレーが並んでいる棚をあとにします。
あなたはビールも飲みますが、甘党でもあります。特にケーキ類には目がなくその中でもイチゴショートケーキが一番好きでした。
ある日。
あなたは仕事から帰ってきたあとミネラルウォーターを飲むために冷蔵庫を開けました。すると、あなたの好きなイチゴショートケーキがありました。あなたはニンマリします。
その日の晩、あなたは晩ご飯を食べたあと新聞を読み、しばらくして奥さんのいる台所へ行きます。あなたはショートケーキのことにはなにも触れずコーヒーを入れます。奥さんはあなたがコーヒーを入れるのを見ていました。あなたは奥さんの口が開くのを期待していました。しかし、奥さんはなにも言わず台所を出て行ってしまいました。あなたは奥さんのうしろ姿を目で追いはしましたが、けれどなにも言いませんでした。ただ、冷蔵庫の扉を見ました。
夜遅く、あなたがひとりで居間でテレビを見ています。奥さんは寝室でひとりでテレビを見ています。しばらくすると、息子さんが帰ってきました。奥さんが台所に向かったのがわかりました。息子さんの晩ご飯の用意をしているようでした。息子さんが食べ終わった頃、あなたは耳を澄まします。そして、あの音を聞き逃しませんでした。
冷蔵庫の扉が開いて、それから閉まる音…。
翌朝。あなたは仕事に出かける前に冷蔵庫を開けます。そこには最早イチゴショートケーキの影も形もありませんでした。
ある日。
その日の晩ご飯はおでんと焼肉でした。あなたはどちらも大好物です。あなたは心の中で喜びます。
あなたがおでんの中で一番好きな具は「スジ」です。あの噛んだときのカリカリとした歯ざわりがなんとも言えずおいしいのでした。あなたが「スジ」が大好物なのはもちろん奥さんは知っています。けれど、ここ何年もおでんに「スジ」が入っていたことはありません。「スジ」が好きなのはあなただけだったからです。以前に一度「スジを入れるように」お願いしたことはあります。そのときの奥さんの台詞は
「うん。そのうちね」
でした。
その日、「ない」とはわかっていても、あなたは鍋の中を探します。スジ、スジ、スジ…。いくら探してもスジはみつかりません。あなたは鍋の中を箸で彷徨いながら奥さんの顔を見ました。奥さんは素知らぬふりで鍋からチクワをお皿にとっていました。
あなたはスジはあきらめ焼肉を食べようと思いました。あなたは焼肉を取ろうとして気がつきます。焼肉のお皿があなたの一番遠い位置、そうです。息子さんの席の前に置いてあったのです。あなたが焼肉を取るためにお尻を少し浮かせ上体を前に傾け右手を伸ばすと息子さんが気がついてくれました。息子さんは焼肉を1枚箸でつまむとあなたの取り皿に乗せてくれました。あなたは息子さんに同情されたのでした。あなたは上体を元の位置に戻すと身体中に虚しさが沸き起こってくるのを感じます。そのとき奥さんが話しかけてきました。
「今日は、あなたの好きなものばかりでしょ」
あなたは黙って頷きました…。
その日の夜。
あなたは台所でひとり寂しくお茶を飲んでいます。そこへ奥さんがお風呂上りに入ってきました。あなたを見かけると、声をかけます。
「あなた、そこにあるお菓子食べないでね。それ、子供たちが好きなものだから」
あなたは目の前の箱に入っているお菓子を見ます。
「ああ、食べるつもりないから」
奥さんは安心したように台所を出ようとしました。そのときです。なぜだかわかりませんが、あなたは「言わなければ」と思ったのでした。なにがあなたにそうさせたのでしょう。わかりません。けれど、あなたはそのとき呼び止めました。
あなたは奥さんの背中に言葉を投げかけます。
「なぁ、なんか最近俺と子供たちで差をつけてないか?」
奥さんは振り向き、驚いた表情であなたの顔を見ます。
「なに、子供みたいなこと言ってるの? あなた大人でしょ」
あなたはできるだけ落ち着いた声で話そうと努めます。
「でもさ、この家の大黒柱は俺だし。その俺をあんまりにもないがしろにしてないか?」
奥さんが少し不愉快そうな顔をしました。
「そんなことないでしょ」
あなたは段々と腹立たしくなってきました。
「俺、別に封建主義者でも男尊女卑でもないけど、もう少し俺をたててくれてもいいんじゃないか。子供たちのほうがご飯のおかずが一品多いなんて気分が悪いよ」
あなたは言いながら、自分が情けないことを言っているようで恥ずかしくもありました。しかし、言わずにはいられなかったのです。
奥さんが口を尖らしています。そして黙ってしまいました。…当然です。反論などできるはずはありません。あなたは事実を言っているだけなのですから。あなたはイチゴショートケーキの件についても言ってしまいました。あなたは日ごろの鬱憤が爆発したのです。おでんのことも…。
あなたが言い終わると奥さんは激しい口調で言い返しました。
「仕方ないでしょ! あなたより子供たちのほうがかわいいんだから」
あなたは自分が一家の主として侮辱されたように感じました。もう、我慢の限界です。
「どうして、そこまで馬鹿にされなくちゃいけないんだ! ふざけんな!」
あなたはこうやって結婚生活に失敗します。
結婚生活が長くなると、妻にとって夫は空気と同じになってしまいます。いても見えないのです。見えない相手に気を使う必要はありません。そうなってしまった妻に期待をすることに無理があります。妻にとって子供は分身です。なにしろ自分のお腹を痛めて産んだのですから。自分の分身である子供と、結婚という契約がなくなったなら他人になってしまう夫を比べたなら、「どちらを大切に思うか」はわかろうというものです。