コラム「松尾さんと平尾さん2」

*2011年12月18日のコラムです。

 季節柄、皆さん、忘年会で忙しい日々を過ごしているのではないでしょうか。その証拠に今月に入り僕のサイトの訪問者数が減っています。今の季節は脱サラを考えるよりはお酒を飲み憂さを晴らすほうが似合っています。お酒でストレスを発散させ今年を締めくくりましょう。
 しかし、僕は普通の会社員とは違い人付き合いが広いほうではありませんので忘年会とは縁遠い生活をしております。お酒を飲まない僕はそのほうが気楽です。ですので、普段とあまり変わらない生活を過ごしております。
 
 さて、先週書きましたように今週は「松尾さんと平尾さん」の続きです。先週は「北京原人対知的紳士」という比喩をしましたが、今週は「北京原人対イケメン紳士」と言い換えたいと思います。ここで簡単に両氏の略歴をご紹介しましょう。
 松尾さんも平尾さんもラグビー界の頂点を極めた期間が7年連続と紹介しましたが、年齢は松尾さんが57才で平尾さんが9才違いの48才です。このコラムを書くにあたり調べたところ、なんと誕生日が1日違いでした。松尾さんのお母さんがあと1日産むのを遅らせるか、平尾さんのお母様が1日早く早産していれば「ふたりは誕生日が同じ」となるところでした。
 そんなラグビー界の重鎮ですが、松尾さんはラグビーの強豪と言われた目黒高校から明治大学、そして新日鉄釜石に進んでいます。目黒高校に入学している経歴を見るだけで中学時代から既にラグビーで一目置かれる存在になっていたのがわかります。それほど目黒高校でラグビーをやることは厳しいものがあります。
 先週、コムロ君の話を書きました。コムロ君はサッカーの名門帝京高校に進学しサッカー部に入りましたが、夏が過ぎた秋にはサッカー部を退部していました。それを知ったのは、偶然に電車で合ったときですが、そのときのコムロ君の悲しそうでバツが悪そうな話し方が印象に残っています。あれほど大好きだったサッカーを、そして望んでいた帝京高校サッカー部をやめたのですから、他人からは窺い知れない苦悩があったと思います。もちろん、それに伴う挫折感もあったでしょう。
 考えてみますと、いくら中学で「サッカーがうまい」と言われようと、そうした「うまい選手」が集まる高校では「うまい」は「ふつう」のレベルになってしまいます。強豪高校でも「うまい」と言われ続けるのは並大抵の才能や努力では不可能でしょう。
 そう言えば、修二と彰が歌う青春アミーゴでも「地元じゃ負け知らず」の主人公がいました。地元という狭い世界でいくら飛びぬけていようともっと広い世界では通用しないことがあって当然です。そして、この事実はスポーツに限らず勉強やビジネスにも当てはまります。競争する世界が広がるにつれて、レベルはどんどん上がっていくのが普通です。
 そして、人間は高いレベルに挑戦したくなる生き物です。登山家が感じる「山があるから登る」と同じ感覚でしょう。自然に沸き起こってくる気持ちに理由などありません。
 今年の野球界のストーブリーグは有力選手たちの海外移籍が注目を集めていますが、あの方々のメジャーリーグに挑戦したくなる気持ちもわかります。いくら日本球界で卓抜した成績を残そうが世界から見たら日本は「地元」でしかありません。有力な選手が海外に移籍することは日本球界にとってはマイナスかもしれません。しかし、山を見て登りたくなる登山家の気持ちを押さえつけることはできません。日本球界の幹部の方々は海外移籍を願望する選手たちを責めるのではなく、その事実を受け止め改善する方策を考えることが、野球というスポーツをこれまでよりも活性化させる道です。
 ニュース番組などでは、ヨーロッパで行われているサッカーの試合結果を報道しています。このようなことは一昔前ではあり得ませんでしたが、日本選手がヨーロッパで活躍するようになったことが大きな理由です。昨今では、日本人選手がいるいないに関わらず海外での注目を集める試合を放映することもあります。
 サッカーフリークでないこの僕でさえ欧州チャンピオンリーグなどには関心があります。僕のような人間を増やすことがサッカーというスポーツをより盛り上げる一番の方法です。同じように、野球界も日本という狭い世界だけでの発展を考えるのではなく、もっと市場を広げる方法を模索することが必要です。
 例えば、日本の球団がメジャーリーグと交流試合をするがあってもおかしくはありません。経済界ではグローバルが叫ばれているのですから野球界でもグローバルな展開が行われてもなんら不思議ではないはずです。少女時代だってKARAだって、韓国だけに留まっていたなら今の成功はなかったでしょう。野球界はサッカー界や芸能界などから見習う点がたくさんあります。
 あっ、なんか今週も「松尾さんと平尾さん」とあまり関係ないことでここまでコラムの大概を使ってしまいました。本題に話を戻します。
 松尾さんは明治大学卒業後、新日鉄釜石に入社するわけですが、その進路を見るだけで松雄さんの人生観が見て取れます。大学時代の松尾さんほどの実績なら、いくらでも洗練された強豪社会人チームに入社することも容易だったはずです。それにも関わらず、東北の田舎の当時まだそれほど強くない新日鉄釜石に進んだことが僕が尊敬するところです。
 平尾さんも高校、大学ともに強豪と言われる学校に進み、神戸製鋼に入社するわけですが、その前に英国に留学しています。この辺がちょっと松尾さんと違う感じを受けます。なんかエリートの臭いがします。
 神戸製鋼が7連覇をしていた頃、神戸製鋼の練習時間が話題になったことがあります。普通のチームですと、練習時間が長いことが練習効果の表れとみますが、神戸製鋼は「わずか2時間しか練習をしない」となにかの雑誌に書いてありました。僕の印象では、平尾さんは常に効率を考えていたように思います。「練習をしない」ということではなく、個人個人は自分で自分を管理して自分の能力を高める努力・工夫をするのが当然と考えていたようです。近代的練習の走りと言ってもいいかもしれません。
 松尾さんと平尾さんの最も対照的な生き方は現役引退後に顕著になったように思います。松尾さんは引退後にラジオのパーソナリティをやっていましたが、僕の率直な感想としては、面白いことを言ってはいるのですが、「今ひとつピントが合っていない」感じでした。
 デーブ・スペクターさんという外人タレントの方がいますが、スペクターさんがテレビに登場した当初、日本語を流暢に話し、そして完璧に使いこなしながら機転の利いた受け答えをしていました。しかし、周囲から全く受けませんでした。松尾さんはそんなスペクターさんに似ているところがありました。要は「ツボがずれている」でしょうか。
 それはともかく、松尾さんが脱サラ・独立の道を選んでいたのに対して、平尾さんは神戸製鋼という安定した基盤を保持しながらの各方面での活躍です。どちらがリスクが高いかと言えば、当然ながら松尾さんです。しかし、どちらが理想的な生き方かと問われれば答えは人によって違うでしょう。
 先週、久米さんのラジオで福島県を訪れ中学生にインタビューをする企画を放送していました。その中で、ある中学生は「将来、どうなりたい?」という質問に「公務員になって安定した生活を送る」と答えていました。子供は親の影響を受けます。たぶん、震災に遭い辛い苦しい体験をしたご両親は心から安定した生活を望み、ことあるごとに「口にしていた」のでしょう。それが中学生の答えに表れたように想像します。
 人は生きてきた経験の範囲内でしか、考えを巡らせることはできません。しかも、その経験も自分で選択しているようでいて、運に左右されることもたくさんあります。人生、なにが起きるかわかりません。将来は「神のみぞ知る」です。できるだけ自分の好きなように生きましょう。

 ところで…。
 一昨年の年末はお風呂が故障し、その修理に難儀をしたお話を書きました。不思議なことに今年の年末もお風呂が故障しました。先週、お風呂の一部が故障したのですが、僕の年末はお風呂の故障と縁があるようです。
 しかし、今回の故障は点火のツマミが壊れただけでしたのでそれほど困ることはありませんでした。問題は「いかにして安く修理をするか」でした。最初に考えたのはメーカーの修理専門部門に依頼することですが、ツマミの交換だけですので、どう考えても割高になると予想できました。今の時代は、どんなことでも出張料というものが発生します。ツマミの交換だけで出張料を請求されてはたまりません。
 次に考えたのが、ホームセンターでツマミを手に入れる方法です。早速、妻に近くのホームセンターに行ってもらいました。風呂釜のメーカー名と品番をメモした妻が担当者に尋ねますと、いろいろ調べたあとこう言われたそうです。
「部品代が160円、送料が1,000円で、合計1,160円ですが、よろしいでしょうか?」
 送料とはメーカーからホームセンターまで送る料金です。妻は考えたそうです。東京ガスの支店に行けばもっと安くなるかも…。
 妻の予想通り、東京ガスの支店では、送料を取られることはなく部品代160円だけで済んだそうです。妻の機転のよさに乾杯~。
 一昨年のお風呂故障顛末報告では、東京ガスを批判する内容を書きましたので今回は褒める話を書きました。やはり批判ばかりのお話では不公平というものです。批判ばかりされては誰しもストレスが溜まってしまいます。たまには褒められることも必要です。これが本当のガス抜きです、なんちゃって…。

 じゃ、また。

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