あなたはこうやって結婚生活に失敗する(11)の2

あのときは、あなたがソフトクリームを買いに走ったのでした。幾度目かのデートのとき、あなたたちは遊園地に行きました。それは奥さんが言い出したデート場所でした。あなたの本心では、もうすぐ30才になる大人がデートする場所としては「似つかわしくない」と思っていました。けれど奥さんの強い要望を聞き入れたのです。奥さんは「青春時代を思い出すために」などと茶目っ気な瞳であなたに迫っていました。

しかし一方では、あなたはメリーゴーランドに乗ったときの奥さんの無邪気な笑顔に恋心をときめかしていたのも事実です。普段は見せない子供のような振る舞いがあなたを虜にしていました。そして遊びつかれたあとベンチに座っている奥さんのためにあなたはソフトクリームを買いに走ったのでした。

両手にソフトクリームを持ったあなたがベンチに戻ると奥さんはいませんでした。あなたはあたりを見渡します。すると奥さんは少し離れた大きな木のうしろに隠れるようにして携帯電話を耳にあてていました。あなたは奥さんのほうに歩いて行きます。あなたは奥さんを驚かそうと近くまで行きました。しかし奥さんの顔の表情がわかるほどの近さまで歩いたところであなたは立ち止まります。それは、奥さんの表情が大人の顔になっていたからです。あなたは声をかけるのが憚れました。あなたはベンチに戻り腰を降ろすとソフトクリームを食べはじめました。

しばらくすると奥さんが笑顔でやってきました。無邪気な笑顔に戻っていました。

「ごめんなさーい。会社の後輩から電話だったの…。今度合コンやるから是非メンバーにって。なにもデート中の私に声をかけなくてもねぇ…」

おどけて話す奥さんの表情は先ほどの携帯を耳にあてていた奥さんとは別人のようでした。あなたは携帯で話していた奥さんのことは忘れようと努めました。

結局、気まずい雰囲気のままあなたと奥さんはホテルに戻ります。奥さんは廊下を早足に歩いていました。あなたは奥さんのあとを追うように歩いていました。もちろん二人とも無言のままで…。途中、宿泊中に親しくなった従業員の女性とすれ違いました。従業員の女性はいつものように笑顔で挨拶をしてくれました。しかし奥さんは一瞥しただけでなんの反応もしませんでした。あなたは奥さんの分まで笑顔で応えるしかありませんでした。

部屋に入ると奥さんはそのままベッドにもぐりこんでしまいました。あなたは室内の中央で立ち止まると大きく肩で呼吸をしました。あなたはゆっくりとベランダのほうに身体を向けました。あなたの視界にはガラス越しに一望できる夜景が広がっていました。

しばらく夜景を眺めていると、あなたはガラスに自分の姿が映っているのに気がつきます。もちろん、あくまで部屋の中と外との明るさの違いから単にガラスに反射しているだけですから鏡のように色や細かい部分まではっきりと映っているわけではありません。それでも、床から天井まである大きなガラスですのでシルエットだけはとらえることができました。あなたは自分のシルエットを頭の先から顔、肩、胴体、太ももから足の先まで目でゆっくりとなぞりました。そして、ため息混じりに微笑んでしまいました。あなたの両肩が対称ではなかったからです。あなたの右肩は左肩より少し下がっていました。

どれくらい時間が過ぎた頃でしょうか。奥さんがベッドから起きてきました。あなたが座っているソファのうしろを通り過ぎキッチンに行きました。冷蔵庫を開けた音がします。そして閉めた音がすると、ミネラルウォーターを手にした奥さんが室内に戻ってきました。壁際のソファに腰を降ろし、ミネラルウォーターをひと口飲むと口を開きました。

「私になにか言うことある?」

あなたは返事をせず夜景のほうを見たままです。奥さんもしばらく無言でした。室内には静けさだけが漂っていました。奥さんはまたひと口ミネラルウォーターを口に含みました。あなたはガラス越しに夜景を眺めたままです。もしかすると夜景ではなく自分のシルエットを見ていただけかもしれません。奥さんが落ち着いた声で話しかけてきました。

「あなた、勘違いしてない? あの男性はただの友だちよ」

あなたは奥さんの口から出た「ただの友だち」という言葉を聞いて、今まで胸の底に押し留めていた澱のようなものが噴き出てくるのを感じました。あなたは身体を奥さんのほうに向けます。

「ただの友だちが僕の席に勝手に座っているわけ。しかも僕がいない隙に」

奥さんはあなたの口ぶりに驚いたようでした。あなたは今までにない乱暴な口調で話したからです。奥さんが反論します。

「隙ってどういう意味? あなたやっぱり変な勘ぐりしてるわ」

あなたは先ほどより早口で続けます。

「ねぇ、おかしくない? 新婚旅行に来てちょっと夫が席を外している隙に、あっ、隙って言っちゃいけないだ。席を外している間に夫以外の男を向かいの席に座らせる君の神経がわかんないんだよ」

「あのね、さっきも言ったけど、あの人は私がお世話になった人なの。その人に対してあの挨拶の仕方はなによ。失礼じゃない。私、恥ずかしかったわ」

あなたは奥さんに失望します。あなたにとって奥さんの言い分は許せないものでした。あなたには、奥さんがあなたよりあの男性を大切に考えているように思えたからです。あなたはレストランで思い出した遊園地での出来事を口にしようかと思いました。しかし口を開こうとして躊躇しました。あの出来事を口にしてしまうと自分がみじめになるような気がしたからです。あなたは口を瞑ります。そしてあなたはまた夜景に目を向けました。

あなたの態度を見て奥さんはなにかを言いかけます。しかし、最初の一言を言いかけてやめてしまいました。そしてミネラルウォーターを飲み干すとまたベッドにもぐってしまいました。あなたはガラスに映ったベッドのシルエットを見つめていました。

あなたはひとり呟きます。

「俺って、彼女をなにも知らなかったんだ…」

成田離婚…。

あなたはこうやって結婚生活に失敗します。

小さな疑惑を抱えたまま結婚に至ってしまうと、その疑惑が原因となりほかのことまで妄想してしまいます。そして「ときの経過」とともに小さな疑惑が大きな不信感になります。そして、大きな不信感を抱えた状態のときは、些細な出来事で爆発しやすくなるものです。もし、相手の背後に小さくとも影が見えたとき感じたときは躊躇わずにすぐに話し合いましょう。

つづく。


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