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ヘップってなんなん?【ヘップ親父の就職編】 Vol.6

ヘップってなんなん?
ヘップの名称の語源として1954年、映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンが履いていたフロントオープンバックレスサンダルを親しみ込めてヘップサンダルと呼ばれた事だと業界では言い伝えられています。そのヘップサンダルを通称ヘップと業界で呼んでいます。著作権の問題があるかもしれないので画像は載せることが出来ませんが、アン王女(オードリーヘップバーン)が街にくり出すシーンの中で、露店で履物を買って履き替えるシーンがありますよね。そのシーンの履物がヘップの語源と言われてます。興味のある人は休日に映画観てみて「ローマの休日」だけに笑

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卒業旅行からの帰国便、ちょうどCA前の座席だった。暗い顔してる私に
CA「どうかなさったんですか?サイパンは楽しくなかったんですか?」
私「楽しかったけど、これから卒業合否の発表があるんです」
CA「大変ですね。大丈夫ですよ」
の言葉と笑顔は忘れられません。

そして無言の帰国、早速空港から大学へ。そして掲示板で合否、追試の確認。私は見事合格していた。しかし、一緒にゼミ卒業旅行に行ったメンバーの何人かは、追試の結果。声をかけることができずそっと帰ったのを思い出す。

そして就職、県内の金融機関に入社して開発課へ配属になる。当時はまだ、デッカいテープでデータ管理してたり、使ってたプログラミング言語はCOBOL、先輩達の残業代は満額でかなりウハウハな時代でした。養老保険というのがあって、10年で100万円が倍になる時代だった。景気カムバッーク笑

私はと言えば、薄給料なのに残業はほぼしない。するとある日上司から呼ばれて
上司「もう帰るんか」
私 「はい」
上司「仕事終わったんか」
私 「はい」
上司「仕事足らんのか」
私 「そうですね。増やしてください。」
そして私は気にする素振りも無しにいつもの通り夜の街に消えていった。
翌日先輩から「あんなこと言ったらあかんで」と言われたがそんなに気にも留めてなかった。それでも結構楽しかったと思ってた。

入社後、3年程経った頃、親父に「このままじゃ鈍らになる。はよ戻ってこい」退職の打診を上司にすると「やっぱり家業継ぐと思ってた」と言われた。その時思ったのは「もう辞めよ」どこかで家業継ぐんかなぁと思ってた事を確信したのだった。

そして、4年目の夏に退職して家業ん継ぐ事になる。25歳の夏からが私のヘップ職人への第一歩といってもまだ新米社員。最初は営業として出張に出る。

当時はスマホおろか携帯電話もまだ持ち歩いていない時代。けど商品は簡単に売れるし派手にお客さんと飲み食いだけしてた。

その時、あるお客様が、親父がお膳立てしてるから売れるんやでって言われ。我に帰る事になる。親父から営業に出る前に言われた事を思い出す。「ヘップ売らんでも良いから自分売ってこい」お客様との繋がりを考えるようになった。

そして今度は商品作り。これからがヘップ職人への第一歩。内職や外注回りなどしてると製造工程を覚えてくる。工程を知り今度は生産で無理を言えなくなる。

そんな時、納期が間に合わないと考え親父に報告すると「なんでもでき無いじゃない、どうしたらできるか考えろ。」と返ってくる。そして方法を考えなんとか納期に間に合う。その繰り返し。

営業と外注周りもしながら今度は商品開発。まずは商談での要望をサンプルにする。型紙から作成。しかし、ミシンは今も昔も踏めない。だから外注さんにお願いするしかない。

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サンプルができると親父の確認が入る。すると何日か自分の側に置いたまま。ある時、そのサンプルが無くなっていたのでどうしてか聞くと「魂が入ってないからやり直しや」時間に追われてさっさと作ったのが見透かされてるようだった。

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そしてまた親父の確認。今度は大丈夫。親父のこだわりで、できたサンプルを身近に置いて毎日観て、それでも飽きない商品が良い商品だそうだ、親父なりの拘りなんやなぁと思いつつ今の私も同じ事やってる。

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ヘップ親父渾身の•••(買ってください笑)
https://marusanfootwear.stores.jp/
https://marusanfw.thebase.in/

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