ヘップってなんなん?【ヘップ親父の大学編-前編】 Vol.4
ヘップってなんなん?
ヘップの名称の語源として1954年、映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンが履いていたフロントオープンバックレスサンダルを親しみ込めてヘップサンダルと呼ばれた事だと業界では言い伝えられています。そのヘップサンダルを通称ヘップと業界で呼んでいます。
著作権の問題があるかもしれないので画像は載せることが出来ませんが、アン王女(オードリーヘップバーン)が街にくり出すシーンの中で、露店で履物を買って履き替えるシーンがありますよね。そのシーンの履物がヘップの語源と言われてます。興味のある人は休日に映画観てみて「ローマの休日」だけに
後で知ることになるのだが、同じ中学入学組の他の生徒も指定校推薦を希望していたようだが、私が候補だと知るとみんなそれならばと身を引いてくれた、感謝でしかない。
そして、選抜試験にも見事勝ち抜き指定校推薦の権利を獲得。そして卒業。母校はボタンが無かったので、学年バッチ?を後輩にあげたのを覚えている。ちょっとはモテたようだ。
大学に入学する時、父に言われたことは、人との繋がりが今後の人生で大きく役に立つから、とりあえず「人と会い、話し、飲み、友人をどれだけ作るかだ。」と言われた。
あとは余談になるが「盗んだり、人殺したリ、孕ませたりすること以外は何しても良い」とも。(どんな子やって思ってたんやろw)
しかし私はと言えば、指定校推薦なので留年せずにいかに卒業するかということしか頭になかった馬鹿な学生でした。
現在の子供達は、目標を持ち大学に入学したり、就職のことも考えてたりと当時の自分と比較した時、今の若い子たちはちゃんと物事を考え行動してるなと感じてる今日この頃です。
1回生の夏からは一人生活も始めた。大学では最低限の単位だけ取りダラダラ過ごすだけの生活「モラトリアム生活」を満喫していた。
楽しかった事と言えば、夜になるとクラスメートが、車で遊びに来てくれて色んな名所(迷所)へ連れてってもらったことかな。
一番の思い出は、源氏蛍が飛んでる川辺へ連れてってもらったことで、幻想的な光は今でも目に焼き付いている。
2回生になる頃にはすっかり土地にも馴染み、中高の同級生も大学は違うが同じ土地に一人暮らししていたのでよく連んで、幾つかの大学で運営するサークルに出入りするようになる。
合宿という名の小旅行や、当時はdiscoと言ってた今で言うクラブでのpartyにもよく参加していた。お酒の飲み過ぎで、意識を無くし、よく物も無くしていた。
流石日本、財布はきっちり戻ってきた。しかし、無くしたジャケットだけはなぜか帰ってこなかった。笑うしかない。
とにかく他大学の人達といつも一緒で、自分がどこの大学の人間かわからなくなると言えば大袈裟になるが、とにかく他の大学へ行くことの方が多かったのはよく覚えている。
その為、自分の大学の隅々まではよく知らない。自慢にもならないが、笑うしかない。
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