ヘップってなんなん?【足の裏に笑顔を】 Vol.18
ヘップってなんなん?
ヘップの名称の語源として1954年、映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンが履いていたフロントオープンバックレスサンダルを親しみ込めてヘップサンダルと呼ばれた事だと業界では言い伝えられています。そのヘップサンダルを通称ヘップと業界で呼んでいます。
著作権の問題があるかもしれないので画像は載せることが出来ませんが、アン王女(オードリーヘップバーン)が街にくり出すシーンの中で、露店で履物を買って履き替えるシーンがありますよね。そのシーンの履物がヘップの語源と言われてます。興味のある人は休日に映画観てみて「ローマの休日」だけに笑
奈良県のヘップ製造は、Vol.1で投稿した通り、農家の副業として営まれていた草履の製造が産業化され、後にスポンジ底を組み合わされたものを開発し、ゴム•ビニール製品そしてヘップサンダルへと移行してきました。
以後ヘップは、庭履きやちょっとご近所まで履くための、実用性に富んだ気軽な履物として多くの人々に親しまれてきました。
弊社も、昭和30年に祖父創業し、父が継承そして私へと受け継がれた家業です。
父が祖父と一緒に仕事した当初は弊社も産地問屋へ卸す下請け工場だったようです。
それを父が先を見越し数年後には量販問屋との取引に切り替え、以後弊社は量販問屋中心の工場へと移行していきました。
当時はホームセンターもまだ多くない時代、大量生産にはやはり量販店への納品が最適でした。
そして問屋経由ではありますが、ほぼ全ての大手量販店に弊社の商品が陳列されるようになっていきました。
大手量販店のバイヤー様とも直接商談しながら、バイヤー様の意見を取り入れて新しい提案を次々とする事で、信頼も得ていました。
その時からインソール(足ののせる部分)に加工を加えた実用新案もいくつか申請もしていました。現在の実用新案とは違い申請時はかなり厳しい審査があったようです。
これも履き心地の追求のため、試行錯誤していたという事だったんだと思います。
その後、私も家業に入り数年経った頃、低反発(当時は衝撃吸収と言っていた)の材料を材料屋さんから提案されました。
弊社以外にもいくつかの工場に提案したようですが、商品化できたのは弊社だけでした。
そして、衝撃吸収性を試すため、卵を使って材料の一番良い厚さを試したり、使い方を工夫したりし試行錯誤しました。
結局商品化までには、ほぼ1年開発に費やしました。当然、真似する工場も出てきましたが奈良県の工場で手を出すところは皆無でした。それだけ父は人望があったんだの思います。
真似する工場は、仕入れ先の材料屋を通じて打診してきます。当時弊社は紳士ヘップが中心だったので、父は婦人と子供なら良いとあっさり許可するのには驚きました。
これも全て良いヘップをお客様に届ける。この一心だったのだと思います。結局は許可した工場は紳士ヘップにも手を出す事になるのですが、父は一言だけ。
「約束破るやつは、ほっといたらええ」
実際展示会の時も、他工場が展示ブースに幕を張って帰るのに、弊社はどうぞみてくださいと言わんばかりに、何もしない。
「真似したかったらしたらええ」
そのつもりで展示会を開催してるので、真似されたらまたもっと良い商品作ったらええだけや。そう思うように昔も今もしています。
展示会の時などは、材料を提供して頂いたメーカーから、デモンストレーション用の器具まで貸して頂いて、より良いアピールとなり、とても好評でした。
その材料メーカーは、POPの作成にも協力して頂いて、キャッチコピーまで考えた頂きました。そのコピーが
明日へ、ひとひねり
『足のウラに笑顔。』
そして、庭履きやちょこっとご近所まで、いわゆる「ワンマイルサンダル」の気軽な履物に、履き心地というスパイスを加え、そしてお客様に笑顔を届けたい。
そこから20数年ぶりにキャッチコピーを少し変えてできたのが、
『足の裏に笑顔を』
お客様が笑顔になる履物
このコピーを実現するため、今日も明日もこれからも履き心地の良い、お客様が笑顔になる履物作りに取り組んでいこうと思ってます。
ヘップ親父渾身の•••(買ってください笑)
https://marusanfootwear.stores.jp/
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