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ヘップってなんなん?【ヘップ親父の思い】 Vol.12

ヘップってなんなん?
ヘップの名称の語源として1954年、映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンが履いていたフロントオープンバックレスサンダルを親しみ込めてヘップサンダルと呼ばれた事だと業界では言い伝えられています。そのヘップサンダルを通称ヘップと業界で呼んでいます。著作権の問題があるかもしれないので画像は載せることが出来ませんが、アン王女(オードリーヘップバーン)が街にくり出すシーンの中で、露店で履物を買って履き替えるシーンがありますよね。そのシーンの履物がヘップの語源と言われてます。興味のある人は休日に映画観てみて「ローマの休日」だけに笑

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ヘップ親父の思いとタイトルに書きましたが、まだまだ半人前、屋根に乗る小鳥のように、やってきた事、やって行きたい事を語りたい。

弊社は、いわゆる量販問屋さんへの販売が中心だった。問屋さんの依頼で、各シーズンごとにバイヤー様とのセレクト会議にも参加させていただいていた。

その頃の弊社の売りは、ズバリ【履きやすさ】私たちはインソールの加工に力を入れていた。多分、低反発をインソールに使用したのも業界では最初。

バイヤー様からのあらゆる希望を取り入れる柔軟性、面白いと思う提案を小ロットでも受ける。これも弊社の売りの一つ。

とにかく、バイヤー様とのコミュニケーションは大事にしていたと言う自負はある。

履物業界へ入ってまず感じたことは、閉鎖的で横の繋がりが無いなぁと言うこと。

組合の方から異業種交流会が発足されるので参加してはどうか打診された。
私は二つ返事。「ならベンチャー21」多分1995年発足だったと記憶している。

「ウェルネス&アメニティー&エコロジーライフ21」をタイトルに

「ならベンチャー21は人と自然にやさしいものづくりをめざして,皆様に健康で, 快適な,地球にやさいい暮らしを提案します。」(HPから抜粋)

をテーマに、奈良県内のいろんな業種の方達が集まっていた。

履物屋は私だけだったと記憶している。そこで出会った方と草木染めで、生地をデザインから作ったのが懐かし。

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しかし、97年からの中国生産で、異業種交流の会合への参加頻度も落ちるに連れ、交流も少なくなっていった。

中国進出に伴い、ヘップサンダルしか作ったことがない弊社。ミュール・パンプス・ローファー・ブーツまで作るに至った。その延長上で皮革靴を生産するまでになった。

履物については講習会で学んだだけだった私。最後は中国から撤退という挫折も味わったがヘップサンダルから靴そしてブーツまで、生産できたのが1番の収穫であった。

現在は、中国進出前、下請けメーカーから買い上げていた皮革商品を、自社で生産するように。そして、MADE IN JAPAN にこだわり出来るだけ【地元奈良】での生産方法をデザイナーさんとも模索しているところである。

もちろん、奈良ではできないことは、アウトソーシングすることもあるが、最初(裁断)と最後(仕上げ)は奈良で管理できるような体制にしている。  

今年に入り、Twitteと Facebookを見直し、instagramもプライベートとビジネスにわけて投稿するように務めている。(まだ整理できてませんが)

clubhouseも始めた。ここでは、色んな化学反応が起こりそう。世代を問わず語り。

履物しか作ってこなかった私には、刺激的な事を言ってくれる。また、私からの一言もそのよう。

自分の仕事のことには気づかなくても、他の仕事の事は気づくことがよくある。この事をいい方向に進んで行けばと思う。

そして、noteを使い、ヘップの事、業界の事、ヘップ親父の事を知ってもらおうと投稿を続ける。

ONLINE SHOPも立ち上げた。SNSにはそれ以外にも、あらゆる可能性がある。そう思って、SNSを日常に、
楽しい事、面白い事を
今日も明日も••••Will continue

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ヘップ親父渾身の•••(買ってください笑)
https://marusanfootwear.stores.jp/
https://marusanfw.thebase.in/

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