昨今の天理教校専修科を取り巻く情報について…ちと考えてみた

 昨年の何月だったか、専修科の元勤務者に対して送付された、志願者を募って欲しい旨の書類がX上に流出しました。おそらく今でもちょっとほじくれば見つけることができるでしょう。
 うろ覚えですが、志願者が一桁になると閉鎖もやむなし的な文言があったような気がします。
 これは教会本部側の意思なのか、教校の意思なのか、あるいは方便なのか知る由もありませんが、この文言がこの問題の本質を示していることにお気づきでしょうか?


 ご参考までに、ワタクシまるりんは専修科42回生で、からくも卒業に成功し今は地方の教会長としてぼちぼちやっています。
 卒業条件に、みかぐらの墨書を5セット提出がついたワタクシが言うのもなんですが、会長になった今、専修科で習ったことの意味が解ったり、役にたったりしています。
 そんなワタクシが、現在の知識や経験を基に、当時の薄らとした記憶を思い起こし、あーでもないこーでもないと考えてみました。

 例えば合宿修練中に行われる非常点呼。この上なく評判の悪いコンテンツですが、教会長という現場に立ってしばらくして、「あーなるほど」と思い出しました。『一刻を争うおたすけ』というのは存在するのです。
 考えより先に向かうという行動がとれることは、大切なことだと思いました。
 問題はこのことを【先生】と呼ばれる人が、体験したことがあるか否か、あるいは深く知っているか否かであるのではないかと思います。
 ワタクシが知る限り、教校の【先生】と呼ばれる人の多くが、卒業生からスカウトされますが、故に現場の現状について理解が薄いのではないかと想像します。故に、評判の悪いコンテンツは廃止の方向に向かうのでしょうか。
 更に言えば、志願者の減少は専修科に対するニーズの表れと解釈し、廃止の検討がされる、そんな気がしてなりません。

 ところで、以前の専修科は志の高い、専修科に入りたい人だけが、志願したのでしょうか?
 ワタクシ自身は、志願に対しては後ろ向きでした。
 専修科卒業時、そのままの気持ちで卒業したのかといいますと、まぁ、それなりに思いを持って卒業したように思います。
 そういう感じの人は多かったんじゃないかと思います。
 たまに目にしますが、志願の段階で、思いと違う進路を強要されることについての是非が論じられることがあります。
 確かに、その人の希望が尊重されることはとても大切なことだと思いますが、また一方では、その瞬間、瞬間、当人の判断だけでする選択は、幅が狭くなるという気もします。
 人生の岐路において、選択者の希望外の選択肢をとる時、その選択肢を何が担保するのか?それは、選択肢を示した人の信念以外の何者でもありません。親であれ、会長であれ、大教会長であれ、勧めた人の信念ですね。
 知らないことを学ぶところですよ。選択する人は知りませんからね、当然選択肢から外れるんですよ。
 先程の非常点呼に話が戻りますが、やらせてる方に「意味あんのかな?」なんて思いがチラリとあれば、それって伝わると思いますよ。なんとなくですけど。
 それが、代々続いてしまった。そういうことでしょうか?なんとなくですけどね。

 さて、遙か以前、専修科生もいちれつ会の対象にしてほしいとの要望があったとか。
 時の真柱様は
「学費はワシがだす、生活費はそっちでせい(意訳)」
と、おっしゃったとか。ワタクシの頃はいわゆる学費は0円だったと思います。必要なのは詰所の生活費と多少の経費(教科書代、ジャージ代etc)だったかな。
 これってね、誤解を恐れずにいいますと、専修科で勉強した人がどこでどう務めるかってことを前提に言われてるんです。(この時の文言をリアルに書くと多分炎上必至なんですよね)
 つまりね、そんなに多くの人が受け入れられる訳じゃないんですよ。学校の性格を。まあ、実際に想定通りの人生を歩む人なんてそんなに多くないですし、それってむしろ健全だと思えるようになったのは最近です。

 専修科ってところは、学生のニーズがあるから存在するって訳じゃないと思うんですね。おみちを広める人材育成のためにあるんですよ。
 その辺の【感じ】をわかってないから、ニーズが減ったからやめるなんてマヌケな発想が湧くんじゃないかと思うんです。
 【誰が何のために始めたか】が、解っていれば、仮に一人しか志願してくれなくても、その一人としっかり向き合って2年間歩むべきだと思います。
 学生が一人なら、いっそのこと職員も事務員も全員辞めていただいて、校長先生なり主任先生が肩書きを外して担任になれば、経費もほとんどかからないでしょう。
 校舎だって、東右4棟から出て、あいているスペース(詰所の空き部屋とか修養科の一角とか)でやれば経費だってほぼ0円です。人数が少ないということは、経費の点で見れば悪いことばかりではないのです。
 2年間、毎日本部員先生の授業!なんと素晴らしい!

 X上でどなたかが宣いました、
「教校という名前を残したいだけ」と。
 これね、かなりいいセンいってると思いますよ。
 名前を残したいって訳じゃないですど、残したい理由は本部側にあるという一点は本当にそうなんです。だって人材育成ですもん。
 「これ、ウケがいいかな?悪いかな?」なんてところに、判断基準なんてないってことですよ。
 
 実はワタクシって、いわゆる子沢山なんですけど、一人も専修科入ってないですね。正直申し訳ないと思っています。
 言い訳ですけど、進路を決めるときには勧めましたよ。全員に断られましたけど。専修科は嫌だけど上級関係への1年間もしくは複数年の伏せ込みは、どの子も努めてくれました。おみちが嫌いって訳でもないんですよねえ・・・

 嘘か誠か、先日、某詰所主任経由の情報として、専修科の来年度の存続が決まったという話が耳に入りました。
 そういう連絡経路で情報を聞くということは、存続検討中の噂は全くのガセって訳でもなさそうです。
 せめて
「志願者がいないからやめる」
と、志願する側の責任にすることなく、今日を迎えるに至ったいきさつを自分のこととして分析していただきたいと願います。
 この道の仕込みは、取り次ぎの人側に厳しくあると思いますので。 

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