【32歳独身女】模索し続ける女性の働き方&現在までのキャリアを振り返ってみた-前編‐
東京在住🗼一人暮らし、広告関係で働いている32歳Sです。
今回は、社会人13年目に突入、転職2回を経験した私のキャリアと、それに紐づく働くことのリアルな悩みや感情、この先時代とともに変わりゆく女性の働き方について考えてみようと思います。
まずは私のキャリアの振り返り。
【学歴の差が埋められなかった1社目】
1社目、短大を卒業して地方に本社を構える社員数1,500人程の某メーカーに就職。
1年目の初ボーナスの際、1つ上と4つ上の先輩2人に「給料明細見せて」と詰め寄られたこと以外は、基本的には人間関係の悩みはなく、今思えば素敵な先輩たちが多かったなと感じます。
ただ、12年前はパワハラやセクハラというワードはそこまで効力はない時代。今思えばナチュラルにパワハラもセクハラも勃発してたのかもしれません…
でも基本的には厳しい先輩の言うことはいつも正しく、それを乗り越えたからこそ、3年目になるころには仕事はとても楽しく、私は順調にその会社でキャリアを積んでいくと信じていました。
4年目になるころには、仕事に慣れてきてなんだか仕事が退屈だなと思い始める。上司や先輩にそれなりに信頼をされて特に怒られることもない。
プレゼンの成果もそこそこ好調。
なんだか安定してる。でも退屈だからこそもっともっと仕事をたくさんこなして新しい課題を与えられて、たくさんお金を稼ぎたい!と思い始める。
これはみんなが当たり前に訪れる感情だと思っていました。だからみんな出世したくなるのだ、と。
そんな中、ある日後輩にこんな一言を言われました。
「Sさんって短大卒業で、4年制大学の私たちより条件悪いですよね?でも何でそんなに頑張っていっぱい仕事するんですか?私は出張も多くてこんな厳しい部署にいるのに他の同期と同じ給料で、そんなに頑張れません。涙」
・・・衝撃⚡
え、仕事に頑張らない選択肢ってあるの??頑張らなくていいの?みんな頑張って出世して、お金稼いで自分の好きなように働きたくないの???
という頭の中に「?」がいっぱいになり、同時に4年制大学に行かなかったことを激しく悔やみました。
専門的な学びたいことができる学校を探し、公立の短期大学を卒業。
4年制大学も視野に入れてはいましたがセンター試験の成績振るわず&経済的に私立に行くことは視野に入れていなかったのが事実。それでも4年制大学卒の同期と同じ仕事を同じようにこなして、少し大人になった気持ちで楽しく働き、なんのビハインドも感じていなかったのに、社会にでて初めて大きな壁にぶつかる・・・だから学歴って大事なんだ。と痛感しました。
そしてそんな後輩たちの影響で、先輩や上司は「どのようにしたらそういう頑張れない子たちがやる気が出るか」ということが仕事の中心になっていきました。
しかし私は
「もっと実務をやって業績あげたい!」「頑張りたくない子は気にせず、頑張れる人だけで仕事したら早いのに!」という感情にかられ、その気持ちを態度に出していたこともあったと思います。
しかし今思えば、これがマネジメント業務の一環でもあり、いろんな思いの子をどのようにやる気にさせるべきなのかを上司や先輩は悩んでいたのかもしれません。若さゆえ、世間知らずだったなと今では少しだけ反省をしています。
しかしその他にも、自分の尊敬していた上司の女性管理職と何気なく話していた際、「女性は長いものに巻かれないとね~」といわれる。
・・・衝撃⚡
え?え?何で??長いものって何?何かに巻かれて楽しいの??
1年目から厳しく育てられ、やっとの思いで第一線で働き始めたイケイケの24歳の小娘にはすべてにおいてまったく理解が追い付きませんでした。
(これに関しては今も理解が追い付きません(笑))
ただ、今よりも男女の格差があった上司たちの時代は女性は長いものに巻かれるしかない、それが女性として出世をしていく近道だったのかもしれません。女性に限らず、サラリーマンの正しい働きなのかも…
そこからというもの、仕事を辞めるなんてことを1回も考えたことがなかった私が本気で転職を考え始めました。
とはいえ、会社の人間関係は良好、突然やめると言ったら、どうなるだろ?あと腐れなくやめられる理由ってなんだろ?
自己主張が下手な日本人の悪いところと変なプライドを持ち合わせていた私は、自分の頑張りが足りないだけで、みんなもっともっと頑張っているのかもしれない、給料が低いから、条件が悪いから、なんて言うと自己評価が高いと思われ、恥ずかしくてダサくないかな?
と考えてしまい、ほんとの理由を言ってやめることができず、上手くやめる方法をひたすら考えていました。
そこで考えに考えを重ねた末、ステップアップを理由にやめようと、ある職業が思い浮かびました。
グラフィックデザイナーでした。仕事で毎日IllustratorやPhotoshopを使っていたし、何かを作り上げることは好きだったこともあり、それに加えて、当時付き合っていた人がいたので、将来を見据えた時こういう職人的な仕事をすれば、結婚しても子供が生まれても「手に職」で、どこでも働き続けられるのではないか。そう思って広告業界に興味を持ち始め、1社目をやめることを決心しました。
1度決めると後戻りしない私はいくら止められても辞めることは揺るがなかったですが、辞めると決めた後半年間、会社と話し合いを重ねてやっとの思いで退職することができました。
半年間引き止められた事は有難いことではありましたが、上司が諦めた瞬間、最後は有給休暇も使わせてもらえず、やめる予定だった2週間前に退職届を出すように言われました。
ここで私は少し大人になりました。あ、会社って冷たいんだな。口だけなんだな。と、学んだことで。
【大きな決断をした2社目】
そして晴れて転職。地元の田舎の社員数70名程度の建築系の会社の販促企画部という部署に配属され、広告の知識を得ながら、デザイナーを目指して働きました。ほんとはデザイン事務所や広告代理店に行きたかったのですが、デザイナー未経験と4大卒条件が行手を阻み、ギリギリ広告関係にありつけたという感じです。
正直、真剣に働くと、頑張りたくない人とのギャップに苦しむと1社目で学んだ私はその時1年以上付き合っていた彼がいたため、自分の中では結婚を視野に入れており、転職した先では出世や給料アップということよりも、デザイナーになり手に職をつけることだけを考えていました。
しかし、今まで出張、プレゼン、企画書づくり、飲み会、接待…とそれなりにせかせかと働いていた私が、会社の席に座って、ずっとパソコンに向かい、お客さんにお茶を出し、のんびり屋さんのメンズ先輩の3歩後ろを歩いている。のんびり屋さんのメンズ先輩に意見をすると、泣き出されてしまったこともありその日は社長室に呼ばれ、社長から「女の子だし後輩なんだから、前に出すぎないようにしてあげよう。」と説教を食らう。
・・・辛い!!!
そして毎日のタスクがすぐに終わりすぎて、仲良くなった事務のおねぇさんたちと給湯室で小1時間お茶したり、可愛がってくれる営業のおにいさんたちと仕事抜けてサボりに行ったり、なんだか毎日は楽しかったのですが、これを続けていてはダメな人間になってしまう、結婚の気配もない状況にも不安になり、もやもやとし始めました。
デザインも何となくはやっているけど、自分の思ったものをきちんと形にするまでは全然習得できていない…。やっぱりデザイン事務所などで鍛えられないと難しいのかな、でもまた転職をするとなると田舎にはデザインで食べて行ける仕事に就けないのは何となく目に見えている。
よし!思い切って東京に出よう。
急な思い付きでしたが、謎に自信が漲ってきてその時の私はそれがベストだと感じ、早々に転職活動を開始しました。
26歳の春🌸私の人生はまた新たな方向に動き出しました。
ひとまず、2社目までのキャリアを振り返ってみましたが、10年近く前の男尊女卑ってすごいなと改めて思っている今日この頃です。地方ということも相まってかもしれません。
当時はそこまで世の中も気にしていなかったと思いますが、私はずっとこの女性のキャリアに関する違和感と共に社会人人生を歩んでいます。
ただ、東京に出たことでまた新たな景色、新たな壁が立ちはだかることになります。
東京進出編は、次回の後編で…。
※あくまで主観をもとにキャリアについて記載をしています。
女性に優しい企業はたくさんあり、女性も働きやすい環境へ変化していっていると思っています。
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