「個性がない」ということ〜文体への指摘と挑戦について〜
僕のヒーローアカデミアの話ではないです。
小説の文体についての私的なお話です。
私は小説を書いて30年くらい経っているのですが、その間によく言われていたのが
「きれいな文だね」
という感想でした。
自分では、美文を書いているつもりはありません。
ただ、自分なりに小説を読んで書いてを繰り返し、その中で培ったものをアウトプットとして出していった結果です。
しかしこれが、果たしていいことなのか。
私個人は、美文であるゆえに挑戦する部分があると感じます。
私は昔、好きだった作家さんに何度かファンレターを出したことがあります。そのお相手は『ジェノサイド・エンジェル』でデビューなさった吉田直先生。
のちに刊行された『トリニティ・ブラッド』の作者様と呼んだ方がわかりやすい……かな?
その、今は亡き吉田先生に言われたこと。
それが「文章が上手いしきれいだけど、尖ったものが感じられない」というものでした。
ここで注意していただきたいのは、決して私は「小説読んで!」と吉田先生に自分の作品を送ったのではない、ということです。
吉田先生は「ファンレターの中で私が小説家志望だということだけを知り、その上で手紙を読み、的確に弱点を言い当てた」のです。
美しい文章。
それは逆説的に言えば「熱に浮かされるような個性」がないという事実に当たるのではないのでしょうか。
ライトノベルでも一般文芸でも、応募要項によくありますよね。個性的であなたにしか書けないものを求める、と。
それは奇抜な設定だけの話ではないと思います。
「個」を感じさせ、かつ訴えかけるような「熱量」がある文。
そんなものも求められているのではないのでしょうか。
指摘され、そうなのか? と疑問ばかり浮かべていた当時の私でしたが、今ならはっきりと理解できます。
私は「人に刺さる文章」がまだ、書けていないと。
ありがたいことに1冊、商業で紙の本を出させていただいた私ですが、今になって思います。
「読者さんへ届ける文の熱量が足りていない」「美文かもしれないが、読みやすいだけで私というものを出せていない」事実。
(無論これは、出した本が失敗作だと言っているわけではありません。刊行した本には自信がありますし、皆様にもっと読んでいただきたいと思っています。かつ、当時挑戦してよかったと思う全てを詰め込んでおります)
だからこそ、これからもチャレンジしていくしがいがある。
完成だと思ってしまったら、そこで終わりだと思うのです、なんでも。
小説を書いている途中で、私はたまにそのことを思い返し、思いを届けるには、小説でどう表現すればいいか……を考えています。
そのためにはアップデート。
常に、あらゆることに関してアップデートする必要があると感じています。
私の挑戦はまだまだ終わらないでしょう。
あらゆることに貪欲に。いい意味で貪欲になれるよう、これからも粉骨邁進していきたいと思っています。
挑戦し続け、今のところ出せた成果の本
【忌み子の姫は夜明けを請う~四ツ国黎明譚~】
異世界中風ファンタジーとなっております。よろしくよろしく!