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写真とはなんだろう
とうとう手にしてしまったLeica。
正直、そんなに写真が好きでたまらない、というわけではなかったのだ。むしろ、楽器のほうが好きで、人生後半になって生き急いでいるように楽器を買いまくり、毎日練習している。若いころ、ぜんぜん練習しないからへたっぴなままだったのに、こう年を重ねていくと、したいことがビビッドに見えてくるから不思議だ。きっとドMなんだろう。もうあとちょっとしかないよって言われると、つい、スイッチが入ってしまう。そんなスイッチがまさか写真にあっただなんて自分でもおどろきだ。なんだかんだで、ぜったい縁がないと思い込んでいたLeicaが、私の手の中にちょこんとおりてきた。2024年4月。わたしの写真人生のスタートです。
それまでは、GRⅢxだった。こちらもまさか、の縁だったけれど、これがよく写ってくれて、写真の興味を引き出してくれた。
いい色の空だな〜 今日はよく晴れたな〜 あ、すてきな景色〜
その都度、GRはいい感じに写ってくれた。すてき。いいな。うれしい。
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実を言うと、私の記憶には、今すぐにでもかき消したいくらいのいやな思い出のほうがたくさんあった。あの人にあんなこと言われたとか、このときにこう動かなければよかったとか、なぜそんなことをしてしまったんだろうとか、子供のころ親から家族からこんなふうに扱われたとか・・・もっといいこともたくさんあったのに、なぜか人間はネガティヴな記憶のほうが鮮明だ。アルバムを見ると、にこにこわらっている少女のわたしがうつっているのに、なぜだろう。記憶はほんとうにあてにできない。
仕事をする人の支援(講師という仕事をしています)をしていると、毎日を楽しく、しあわせに過ごして欲しいとほんとうに思うから、目の前の人を全力で応援したいとがんばっているわたしです。ところが、なかなか人って前向きになることがなかったり、今できている自分を認めることができなかったりします。わたしからみると、ぜんぜんできているし、思いっきりいい笑顔でのびのびしているのにね。できたらそういう表情、保存しておきたいくらい。だって、人は自分自身を直接自分を見ることができないじゃない?鏡でみたとしても左右反対だし。目をそらしている自分ってなかなか見れないし。最高な自分ってわからない。だったら、写真で記録しておきたいな。
その、ふっとした表情や、いい仕事をした日の夕焼けも。とっておきたい。だって一瞬で過去になるから。わすれたくないしね。
そんなことを言っていたら、Leicaがやってきた。やってきたって言ったって、あの金額をポチッとしたのは私ですが・・・・Youtubeで、つい買ってしまってLeica沼にハマる奴らを嘲笑していたその日に、です。沼に引きずり込まれました。ずっしり、重い。シャッターボタンが感動。シャッター音がなんともいえない心地よい。
それから、写真をまじまじみるようになった。見れば見るほど、考えがめぐり、1枚をみる時間が何十倍にも増えていき、新幹線にのっては写真展にでかけて、本人のトークショーや、サイン本をうしし・・・と集め始める。撮る人に出会うと、なぜかその人の目がこう見えているのかと思うと、じつになまなましい。語る言葉はまるで哲学者じゃないか。たった1枚の写真にこれほどの思考と意識がめぐるだなんて。想像を超えた世界だと思う。
いままでスマホでとっていた、あれはなんだったんだろうか。あれは「記録」で、こっちは「記憶」だ。Leicaビギナーの私は、まだまだこういう分類でしかないけれど、せめて、その日その時の刹那をとどめておきたいという衝動がある。
写真とはなんだろう。その答えは死んでも明確にはならないだろうけれど、これからの日々にあるしあわせを忘れないために、わたしは毎日、Leicaを連れてでかけていくだろう。
その記憶をここに備忘録として記しておきたい。
メモ
一瞬を忘れないために。
拙いながらも・・・日々を記録していこう。
こんなに幸福な毎日にまみれていたことを 忘れないために。
Leica M-11P summilux-m 1:1.4/35
GRⅢx