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百貨店の屋上をリノベーション、「鳥取は余白大国だ」と気づいた話

こんばんは。週のはじめの月曜日、鳥取市は先週末から梅雨に入り不快指数MAXな日々が始まりました。
今日は、日中はほぼ銀行で働いてました。夕方は、7月から販売する融資商品の営業店行員向けオンライン勉強会を開催して定時退社。そこから、鳥取駅前の百貨店で香水を買って、その後3時間くらいまちづくり会社の方の仕事をボチボチと。メール返信したり、今年度のイベント企画案を考えたり、そもそも実効性のあるまちづくり組織のあり方を勉強して思案したり。
せっかく定時で退社したのに帰宅は22時と、家族には少し申し訳なく思いつつ、、夕食を食べて風呂に入り今をむかえています。


言い訳大好き30代が、リノベーションスクールに出会って

以前にも書きましたが、鳥取銀行に働きながら、かつて建築学科でまちづくりを学んでいた僕は、街の諸先輩に誘っていただき鳥取市で開催された「リノベーションスクール」に参加することとなりました。リノベーションスクールは鳥取市で2014年ごろから計5回に渡って開催され、僕は第1回目のスクールに受講生として参加しました。鳥取市の飲屋街にある、小さな元喫茶店物件の利活用案を考える2泊3日の機会でしたが、ここで当時大学生の”りょうかん”が、スクールにおける提案に留まらず、わずか半年でブックカフェ「ホンバコ」を事業化するというハンパない行動力を見せてくれました。当時30代前半の「飲んだら言い訳大好き社会人」になりかけていた僕は、”りょうかん”の行動力の前に沈黙するほかありませんでした。中途半端に社会人経験があるんだよとスクールではファシリテートとかやっていたけど、全てを賭けて「このプロジェクト、明日から僕がやります!」という若者に、言い訳30代は勝てないなぁと、しょんぼりなった記憶があります。

(そんな彼は、今、ホンバコや色々な経験を経て、CAMPFIREの公式パートナーとして全国各地で様々な人の夢の実現をお手伝いしています)

第1回リノベーションスクール@鳥取に参加して、そんな衝撃を受けた僕は、第2回目にも参加を決意(第2回目はサブユニットマスターという取りまとめ役的な役割でした)。2回目のリノベーション対象物件がそう、今日の帰りに香水を買った鳥取駅前の百貨店の屋上だったのです。

名もなき僕らが、百貨店の屋上をリノベーション

第2回リノベーションスクールの対象物件は、鳥取駅前百貨店「鳥取大丸」(現:丸由百貨店)の屋上でした。ここをテーマにまた、2泊3日で利活用案を考え、3日目に物件オーナーである鳥取大丸の経営陣にプレゼンテーションをするという流れです。僕らは、百貨店および駅前ユーザー層が高齢者に寄りすぎている現状を課題に捉え、駅前と百貨店の顧客層をひと世代下げる(ファミリー層や若者層)ことを目的に、屋上の公共空間化を提案しました。スクール当時のプレゼンテーションがまだyoutubeに残っているので貼っておきます、メンバー一同いつ見ても恥ずかしすぎる動画ですw

※我らが「鳥取大丸」チームは1:13:40あたりから

リノベーションスクールは、地元も含めて全国からの応募者でチームを組んで2泊3日で利活用案を考えてプレゼンをします。我々のグループもこの爆笑プレゼンを経て、一旦は解散となった訳ですが、何か運命めいたものを勝手に感じた僕は、スクール修了後も希望者に呼びかけながら引き続き利活用案を検討していきました。
プレゼンだけで終わらず何か形にしていこうと考えたのは、いろいろな要因があったと思います。

  • スクールで良き仲間に恵まれたこと(現在の株式会社メンバーの谷口くん、マツトソさんや、当時手伝ってくれた学生・社会人メンバー)

  • 第1回スクールで”りょうかん”の行動力を羨ましいと思ったこと(自分も何かやらなきゃ!)

  • 対象物件が「鳥取大丸屋上」だったこと(幼少の頃、両親に毎週のように連れて行ってもらってた、最寄りの遊園地)

  • スクール直後にオヤジが他界したこと(スクール中も危なかったけど、ギリギリ頑張ってくれて、自分はスクールを全うできて、より一層「大丸屋上」案件は形にすべきじゃないかと感じることとなった)

そんなこんなで、スクール修了後も鳥取大丸の経営陣の方々と対話を重ね、屋上の掃除イベントや様々な企画を繰り返し、少しずつ市民権を得て、スクールで提案していた「屋上の公共空間化」を実現すべく、クラウドファンディングで資金集めをしながら、実案件化を目指していきました。


鳥取大丸屋上に「まるにわガーデン」がグランドオープン(2016.11.5)

このプロジェクトを実行するにあたって、鳥取銀行の支援もとても寛大なものでした。当時はまだ事業と呼べるようなものでもなく、手探りで「まちづくりプロジェクト」を実施しているようなものでしたが、本業の鳥取銀行としても取引のある鳥取大丸と、末端の行員が取引等を行うとあって、活動を整理する必要がありました。また、鳥取大丸側も、我々に場所を貸したり、屋上空間に対しリノベーションを行うことについて、主体社である僕らに法人格を求めることとなりました。そうして、我々は「一般社団法人まるにわ」という会社を設立し、代表に僕が就任し、まちづくり活動を開始することとなったのです。
当時、鳥取銀行の就業規則には「原則、副業することを禁ず」と記載がありましたが、「地方創生に関わる事業」であることと、事業内容について常にコミュニケーションが取れることを条件に、稟議を書いて副業を行うことを認めてもらいました。当時の地方銀行としては画期的だったように感じます。これについても、小さな銀行であるがゆえに、上司や役員が近く、常に対話が可能であることが、柔軟な判断に至ったと感じています。

行動してみて分かった「余白大国」鳥取

百貨店の屋上で活動をはじめてみると、いろいろと課題が見えてきました。
当時の夏に開催されていた屋上ビアガーデンもやはり顧客層が「50代以上の男性客」メイン。この状況を変えたいと大丸経営陣に直談判をして、ビアガーデンの真横のスペースを借りて"キッシュとワインの店"「#今日のサイトウBar」を夏場の毎週土曜日にお手製でオープンしました。当時、街でよく飲み歩いている僕をインスタにアップして「#今日のサイトウ」とPRしていただいていた(当時はホント人権なかったw)諸先輩のアイデアに乗じさせていただき、恥ずかしげもなく自分の名前を店名に使って屋上でワインバーをさせてもらったりしました。

#今日のサイトウ (ありがたいことに172件も投稿が、、)

また、屋上の芝生を生かすべく、定期型のマルシェも開催していこうと企画をしました。これは鳥取駅前を盛り上げることに加え、本業(銀行員)としても、鳥取市の起業支援要素も重ねて、起業予備軍をたくさん生み出す定期型マルシェの必要性を感じてのアイデアでした。
そうして誕生したのが「山陰三ッ星マーケット」です。
まるにわメンバーの中村彩さん(デザイナー)、当時鳥取市の中心市街地整備課でリノベーション担当をしていた同い年の田中くん(公務員)、小学校からの同級生の安藤くん(デザイナー)、そして僕(建築あがりの銀行員)と偉大なるときめきクリエイターの渡世さん(ときめきクリエイター)の5人で立ち上げて、そこから1年半、主に大丸周辺で月に1回の定期型マルシェとして運営を担いました。
その後、「山陰三ッ星マーケット」は渡世さんの事業として、以後約5年間、パワーアップし続けて現在は一大コミュニティになっています。鳥取駅前の宝=渡瀬さんについてはまたの機会にしっかりと解説させていただくこととしますが、のべ数百の出店事業者を抱え、駅前百貨店(現:丸由百貨店)の5Fに固定出店スペースを有し、最近ではデパ地価の野菜コーナーもプロデュースし始めた”今”の「山陰三ッ星マーケット」にはもはや畏敬の念しかありません。

百貨店の屋上リノベーションや、デパ地下のプロデュースなど、都会から考えたら、元々名もなき僕らができることではないんじゃないかなって最近思います。都会は完成されているがゆえに、プロセスに関与する機会が少ない。地方は完成されたサービスやコンテンツが少ないのだけれども、その代わりに関与できる余白が大きいんじゃないかと。これは好みの問題なのかもしれないけども、余白を楽しめる人にとっては地方って楽しめるんじゃないかなって思っています。そういう意味において、リノベーションやDIYはそれを測る一つの指標なのかもしれませんね。

本日もあっというまにAM1時です。
お供のハイボールも2杯目、いい酔い具合ですが、明日も早い。本日はこの辺りにしようと思います、お付き合いいただきありがとうございました。

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