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GWの連休中に「昭和16年夏の敗戦」を読み直した

こんにちは!
新型コロナウイルスの流行が長く続いてますが、最近は感染者数も横ばいからやや下向きな傾向で重症者数も減ってきていることもあり、今年のGWは昨年よりも活発だったと聞いております。

私の場合、以前より今年のGWは何も予定に入れないことに決めており近所のカフェでひたすら読書をしていましたね。その中で、これまで定期的に読み返している猪瀬直樹(著)の「昭和16年夏の敗戦」を久しぶりに読み直した。

この書籍は、民主党政権時代に国会の予算委員会で石破茂議員が米軍の基地移設問題にふれる際に、この本を引き合いにだしていたので私も興味にかられて読んでみたのがこの本との出会いです。


著者の紹介

著者:猪瀬 直樹
・1946年長野県に生まれた作家。
・1987年「帝の肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞
・1996年「日本国の研究」で文藝春秋読者賞受賞
・2002年 小泉首相より道路公団民営化委員に任命
・2007年 東京副知事に任命
・2012年 東京都知事に就任

著者の猪瀬直樹氏といえば、東京オリンピックの誘致に成功した姿を印象に残っている人が多いと思いますが
作家として猪瀬氏を知っている方はそう多くないかもしれません。

昭和16年夏の敗戦の内容

第二次世界大戦における日米開戦前夜、全国各地から集められた若手エリート集団が結論は「日本必敗!」
それでも無謀な戦争に突入したプロセスを描いたノンフィクションな内容です。

なぜ昭和16年夏の敗戦なのか?

第二次世界大戦においての太平洋戦争は、1945年(昭和20年)8月14日の御前会議でポツダム宣言を受諾し連合国側に通告したことにより敗戦を宣言し、翌15日正午の玉音放送で国民に敗戦の旨が伝えられたとされてます。

では、昭和16年の敗戦とはなんなのでしょうか?
それは、日本の教科書にも書かれていない「総力研究所」というのが開戦前に発足し、対米戦争は敗北を喫すると結論がだされた。

総力研究所とは?

総力研究所とは、太平洋戦争の開戦直前に対米戦争のシミュレーション(机上の実践)をする 当時30代くらいの知識人や超エリートの人材を官僚、民間の別け隔てなく集めた組織で構成する内閣直属の機関のことで、各分野での極秘書類等を持ち寄り「模擬内閣」をつくった。その結果、開戦の引き金となった真珠湾攻撃と長崎・広島への原爆投下以外をほぼ正確に予測していたとされています。もちろんソ連の裏切りによる侵略も予測されていました。

なぜ無謀な日米開戦を決断したのか?

総力戦研究所で研究員達が模擬内閣のメンバーとなり客観的かつ合理的に机上演習を重ね、精鋭達が同年8月に導き出したのは「日本必敗」という結論だった。

この書籍では、「日本必敗」という結論が出されるまでのプロセスも描かれいる。

「日本必敗」と出された結論が葬り去られ開戦へと突き進んだのはなぜだったのでしょうか?

極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として処刑された東条英機も昭和天皇も戦争反対の立場であったにも拘わらず、開戦に踏み切った要因はざまざまなものがありますが、当時の日本の一番の問題点は、エネルギー資源の不足(石油の不足)です。

戦闘機を飛ばすのも軍艦を動かすのも石油が必要であり、そのほとんどを輸入に頼っていた日本は、アメリカや大陸から撤退しなければ、石油輸出を禁止すると措置を取られたのが昭和16年9月のことであります。

日本陸軍がそんな要求をのむわけではなく、開戦に踏み切った場合でもインドネシアに進出し、オランダの石油施設を乗っ取ることができれば安定的な資源確保が可能という指標が提出され、総力研究所で「日本必敗」との結果が出てたとしても、「戦争はやってみなkればわからない。日露戦争も予想外のことが起こって勝った」ということで、その場の空気に流され一気に開戦へと進んだ。

この書籍の感想

負けるとわかっていながらなぜ開戦に踏み切ったのかというと、過去に戦争で負けた経験がないことにより国民世論や大手マスコミからの煽りで国内の空気を読んで開戦を決めるという今の日本社会も国民性も当時と全然変わっていないとこがわかる内容だった。


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