読書備忘録第4回 ティモシー・アーチャーの転生 P・K・ディック 山形浩生訳
読み切ったぜ、P・K・ディック!!
若い頃から、P・K・ディックというと悪イメージしかない。当時、住んでいた(和歌山)のSFサークルのオタサーの姫が事ある事に「ディック、ディック」と連発して、鬱陶しかった。読書会の議題にしようというのだ。そこで通っていた京都のSFサークルでは、とやたらとマウントを取りたがるのである。後、お題目に、コード・ウェイナー・スミスもあったな。こういう人に限って、小松左京や筒井康隆先を読んでいなかったりするのだ。田舎者丸出しだったな。やたら、にわか仕込みの京都弁を披露する。
だから、まぁ、自分の中ではSFファンのお上りさんの御用達の代名詞になったP・K・ディック、この年になるまで、あまり読んでいないが、積読は溜まった。
最後に読んだのは、20年位前の大滝 啓裕訳の「聖なる侵入」「ヴァリス」を読んだというか、字面を追いかけたぐらいか。あれを読書と言ってどうか判らない。目がチカチカしたのと、脳みそがクラクラしたのは憶えている。
大体、三人称だった筈の小説に一人称が混じって来るんである。
まぁ、後のネットの隆盛とTwitterを見ていると、「個」なのか「集団」なのか判らない状況を予言していたのだと好意的に見ておこうか。
今回、山形浩生訳で読むと文章の混乱はなかったが、登場人物の意識の混乱はあった。
主人公はエンジェル・アーチャーという女性でその女性の語りでティモシー・アーチャーが主催する新興宗教とキリスト教の解釈、ドラッグや酒におぼれる生活が語られる。女性の主人公でドラッグカルチャー破滅的生活というと、マイケル・サーン監督の「ジョアンナ」を思い出すが、田舎育ちの彼女は一通りやりつくすとロンドンを去る。
エンジェル・アーチャーはティモシー・アーチャーが義父なので、ティモシー・アーチャーが聖地で死亡しても、去ることはなく、そこでの人間関係は続く。
自分は何を読んでいるのだろうと不思議に思って、後書きを読むと、翻訳者の山形浩生さんが簡単な粗筋を紹介してくれている。確かに、そんな粗筋の小説である。
後、山形浩生さんの大滝 啓裕氏の翻訳「聖なる侵入」「ヴァリス」に対して、反証を試みている事だ。要約すると、作者ディックが混乱しているからと言って、翻訳者まで耽溺して混乱する事もないだろう。(大意)
まぁ、私の読み方が間違っているかもしれない。なにしろ、P・K・ディックだからなぁ。
読んでいる間、ティモシー・アーチャーが主催する新興宗教の迷路に入ったような感じだった。
大体、P・K・ディックの小説は迷路に入って、頭を混乱させる為にあるから、まぁ、良いっか。^^
追記すると、キリスト教の解釈の談義や死海文書に解釈を登場人物が語っている辺り、1997年位の新世紀エヴァンゲリオンに関するアニメファンの喫茶店の会話を見るようであった。
面白かった、というより、また、変な小説を読んだという感じだった。
図書館から借りた本の中に「フロリスク8から来た友人」があるから、今度はこれを読もうか。翻訳者は大森望氏。
どれくらいで読み切れるだろう。(;^_^A