こんなスパイダーマンが家にやってきた。 どうする?
とあるカフェでコーヒーを飲んだいたら、それは、それは唐突に始まった。
出題者は、おそらく小学校低学年の男の子。
回答者は、おそらくその彼のお母さん。
母「そりゃ……、それは逃げるよね。」驚いたように少し目をみはりながら、お母さんは答えた。
子「……こんなスパイダーマンが家にやってきた。どうする?」同じスピードで、同じトーンで、同じ質問を繰り返す。
母「……家のハエでも食べさせちゃおうかしら。クモだけに。」と有り体な回答を思いついてしまったことを隠したかったのか、はは、と笑って上を向いた。
子「いやいや、ママ。二つ目の回答にしても弱すぎる。”守破離”って言葉を知らないの?
大喜利……ひいてはお笑いっていうのはね、型を知って型を破るところ、さらにそれを独自に進化させていくところにオモシロさがあるのに。」と今にもお笑い論を語り始めそうな顔で、カップから顔を上げた。温かいチョコレートの沼で溶けかかったクリームが、小さな顎につく。
ちなみに、大喜利とは
「演芸」というと、お客さんありきの芸能。お客さんをいかに楽しませるか、が大事だろうから、面白さとか斬新さとか、何かしらの正義かどうかでジャッジがなされる気がする。
でも、”発想力の「スポーツ」”としてというと、ある種の気軽さというか、もう少し大衆的な感じがしてくる。もちろんスポーツには、勝ち負けや「ルール」に逸脱するかどうかという面もあるけれど、そういう要素だけじゃない。発想のきっかけとして、個人がもっと楽しんでもいいんだよ、と言われているような気がして、勝手ながらとてもうれしい。だから、回答が”弱い”かどうかはあくまで一解釈であって、そうじゃない解釈があっていいんじゃないかと(もちろん演芸のシーンではそういう訳にもいかないとも思うけれど)。
松本人志、の後にはさまざまな賞賛の言葉が続くだろうけど、あえて平たく言えば、本当にすごいんだなあ、と改めて思う。
……さておき。
後ろを振り返って一部始終を見届けたかったけれど、わたしはただ前を向いたまま、コーヒーを飲み続けていた。
スパイダーマンの映画を観にいってきたばかりだったのかもしれないし、
今度USJに行く話しをしていたから、そのパンフレットを見ているのかもしれない。あるいは、本当に大喜利していたのかもしれない。
ちなみに、わたしの隣に座っていたおじさんは、
「私が若い頃はねぇ、大喜利にはバンバン答えていたよ。百ほど違う回答を作るのが当たり前だったがねぇ。最近の若い者は。」と無言の圧をわたしにかけると、ずずずっとコップの底残ったコーヒーをすすった。
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