東京の生活
東京に出てきて20年以上経つ。気がつけば本当にやりたい事はうまく仕事にする事が出来なかった。
地元は〝ど〟がつく田舎で、大学進学はおろか地元を離れる人も皆無だった。私の東京の大学に進学したいという願いはまともに取り合っては貰えず、身の程知らずの頭のおかしい人のような扱いだった。
取り合って貰えず現役の時には志望校を受験する事さえも叶わなかった。
思春期かつ自暴自棄の大騒ぎの末に、親が1年だけの条件で予備校に通うため上京させてくれた。親を説得してくれた地元予備校の先生にも、条件付きとは言え受け入れてくれた親にも本当に感謝している。
今思うとスポーツに秀でたわけでもない普通の女子高生が〝ど〟がつく田舎の人でも知っているような東京の大学に行くというのは、本人の能力とは別の壁があった。もし男だったら状況が違ったのだろうか。
状況して1年後、無事志望校には合格した。
更に数年後、やりたい事が仕事になってきたものの、経験値と収入が必ずしも比例する業界ではなく、年齢が上がれば容赦ない現実が迫ってきた。
能力以外の装備が無いと、生活はいつこぼれ落ちてもおかしくない綱渡りだった。まわりを見渡すと生き残る人には初期装備があった。この事を知ったのはそこそこ大人になってからだった。
超絶不況のなか、装備も無く全て自分でまかなうの地方出身者には、想像していたよりもずっと困難だった。装備を後から装着する(=結婚)選択肢は選べなかった。そうしているうちに徐々に東京で好きな仕事を自力で続ける事は恐怖に変わっていった。
〝若者〟ではいられなくなる頃に、好きな事ではなくても、それなりに稼げて東京で生活することを選んでしまった。恐怖は遠ざかったものの、それからずっと感情に厚い膜がはったような感覚がいまも続いている。
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