
「もっとわがままになってほしい」
先日、子どもの保育所等訪問支援の事業者との面談があった。
担当の先生はとても素敵な方で、話している最中に何度涙が出たかわからない。
「息子、思ったよりも保育園で我慢しているのかもしれない」
それが、一番の感想だった。
先生は、私が保健師であり、今も障害児支援をしていることを知っているからか、言葉を慎重に選びながら話してくれた。
その言葉が心に沁みて、気がつくとまた涙がこぼれていた。
先生と話すうちに、保育所に伝えたい課題が見えてきた。
今、息子は言葉によるコミュニケーションが苦手だ。
特に、口が立つ同級生と一緒にいると、それを強く感じる。
でも、家では違う。
家族には期待してとことんわがままを言い、欲しいものがあれば全力で伝えてくる。
UFOキャッチャーで「これが欲しい!」となれば、どうしたら取れるかを一緒に作戦会議するほどだ。
だから、保育所で「すごく良い子ちゃん」と言われると、違和感がある。
先生から見れば、扱いやすく、穏やかで、手がかからない存在。
でも、私はもっとわがままになってほしい。
もっと自由に、遠慮せず、自分の気持ちを表に出せる子でいてほしい。
その子がその子らしく、ありのままでいてほしい。
そして、そんな子どもたちが「そのままでいい」と受け入れられる社会であってほしい。
だけど、これって高望みなんだろうか?
最近、あちこちで「インクルーシブ」「みんなのウェルビーイング」という言葉を耳にする。
でも、それは本当に "All" なのだろうか?
そもそも、障害のある人にもウェルビーイングを考えた社会になっているだろうか?
定型発達の人なら当たり前に「幸せ」を望めるのに、
そうじゃない人は、それすら望めない社会っておかしくない?
それって、生きにくさの象徴じゃないか。
この感覚を、定型発達の人に伝えたとき、どこまで理解してもらえるんだろう。
この問いの答えはまだ見つからないけど、
少なくとも私は、わが子に「もっとわがままでいていい」と言い続けたいと思う。