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可能性の塊
本日はおせち作りや発酵作業はお休み。
子どもらは冬休みに入り、お友達との遊びに親もお付き合いします。
とにかく元気元気!
遊び、あそび、食べて、遊ぶ。
食べて、遊んで、食べながらあそんで。
普段なら見てるだけで疲れてげっそりしてしまうけれど、親同士のおしゃべりでガス抜きしながらなら見てられる。
気心の知れた数少ない友人との時間はありがたいですね。
子どものころは可能性の塊、と褒められていた。
似たような記憶は皆さんにもあるかと思います。
特に神童というわけでもない存在が、ただニコニコしてるだけでそう言われてしまう。
親になった今、自分の子どもや友人の子どもを見て同じ思いを抱く。
でもそれは、子どもに対してだけじゃない。
大人にだって感じるのだ。
『かたまり』と表現する時、これから先何にでもなれる、そんな意味が込められているとおもう。
対して、おとなに可能性を感じる時、その人の持つ人間性の輝きが価値を放つようなイメージを持つのだとおもう。
才能があるとか、特技がある。そんなことではなく、(それはそれですごいことだけども)
優しいとか、困っている人を放っておけないとか、すぐ行動に移すとか…
今までの人生でその人が積み重ねてきたであろうことが木の年輪みたいに刻まれているというか。
直接的にお金を生み出すことじゃなくても、その人の魅力を語るのに十分なこと。
それを感じるとき、相手に尊敬を覚えるし、こんな素敵な人と長く友人でいたいと感謝できる。
そしてそれに気付けた自分も誇れる。
利害関係のない友人と出会えることは何年に一度あるかどうか。
おとなの可能性は、
人と人とのつながりの中で発揮されるもの、
なのかもしれませんね。
私も相手にそう感じてもらえる人に成長したい。
人に恵まれている時は、『類は友を呼ぶ』ってことわざも素直に受け取れるんだけどな。
なんとなく2025年の目標も定まってきましたかね。
やはり内面の成長と充実でしょうか^ ^