『ご報告』カンボジアから無事帰国できました。
はじめまして、
私は陸上自衛官から箕輪厚介元鞄持ち専属『ミノトゥク運転手』だった男、丸ちゃんです。
カンボジアに2年間ほど関わらさせてもらってましたが、今は完全に日本に帰国し、リハビリ生活をしてます。
・なぜ日本に帰国したのか?
私は命を救ってもらった。
普通の人なら右脚を失っていた。
運が重なって命があった。
神経も、何一つ傷ついてない。
本当に命があってよかった
生きててよかった。
僕はカンボジアで、単独交通事故を起こしてしまい、死にかけのところをカンボジアで最高峰の病院に運んでもらい、すぐ手術させてもらった。
それがなかったら足も命もなにもなかった。
本当に本当に感謝しかない。
今だからわかる言葉『生きてるだけで丸儲け』
そこから合計で2週間入院して、手術は合計2回。
2回目の手術終わったあとが最大の痛み。
本当に苦しかった。何度も何度も涙した。
夜も、寝れない。
膝がパンパン、過去を悔やむ毎日。
脚が痛い、心も痛い。
だけど、過去は変えれない。
改めて、家族、カンボジアでの命の恩人、元同僚たち、仲間たち本当に本当に命を救ってくれてありがとうございました。
・もう1度自分の脚で歩きたい
退院し、日本にすぐに帰国させてもらい、すぐ入院し、復活するためにリバビリが始まる。
帰国したときは、傷口の右ひざの周りが固まって、膝が曲がらない。
手術してから2週間たっても、寝返り、お風呂、トイレ、歩くことができてなかった。
当時を振り返って、お父さんに言われた言葉は、顔が死んでいた。
常に下を向いていた……
入院してリバビリの内容は、手術した傷の周りが固まってるのでその周りを徐々に徐々に動かしたり、筋肉が使えていなのでその周りを刺激し、骨を復活させる。
リハビリだけが、生き甲斐だった。
先生には、どこまで回復するかわからないが若さと、明るい未来があれば骨も復活すると思うし、100度ぐらいまでは足が曲げれるようになると思う。
全ては自分次第だ!と言ってくれた。
ずっとベットの上だった僕は、その日から寝る以外は常に右脚を動かしたり、教えてもらった筋トレ、マッサージをひたすらやった。
少しずつ、明るい未来が、切り開いてきた。
そう、確信した。
今では、筋肉も復活してきたし、少し走れるようになってきた。
入院中だけど、病院内で毎日2キロ以上歩いたし、筋トレもひたすらやって、睡眠も、食事も徹底した。
粉砕した骨を復活させるために、筋肉を復活させるために!
今もそれは変わらず、週3回リハビリにいったり、体力を復活させるための筋トレをしたり、お風呂あがりのストレッチ、マッサージは徹底している。
来年の6月頃に、右脚に入ってるボルトを抜く手術があり、それを終えてやっと一段落する。
何度も言いますが、家族、カンボジアでの命の恩人、手を差し伸べてくれた人たち、友人に本当に本当に感謝してます。
本当に本当にありがとうございます。
こんな僕を救ってくれてありがとうございます。
挑戦をしなくなった時点で、失敗。
挑戦し続けることで、必ず結果がついてくる。
僕だけの物語がもう始まっている。
今後ラーメン修行、ラーメン、リハビリ生活など
更新していくので、もしよければフォロー、シェアなどよろしくお願いします。
豚は死ね
狼は生きろ
励みになります