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突然動けなくなったあの頃の、エッセイを振り返って。


こんばんは!
今日は、私が昨年の5月に書いていたエッセイを載せさせていただきます。

昨年の3月、突然起き上がれなくなって(予兆はあったけど見ないふりをしていた)、でもそんな自分を認められなくて(なぜなら健康や幸せということについて考え、実践していると思っていたから)、それでも向き合うしかなくて。

「ああ、私は今あるもの全てを一旦諦めて、自分の健康と身体と心に向き合わなければいけないんだ」 と覚悟した時のエッセイです。


2023/5/10の日記から
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正直、自分はこのままではヤバいと思っていた。
一旦止まらないと。でも止まる余裕もなかった。この生活を続けるためには忙しさも楽しさも両方手にしておく必要があった。
どんな時も気持ちはとにかく忙しくて、常に明日と未来と過去を行ったり来たりして、でも、その思考から抜け出せなかった。
日々予定があるなかで、引越し、卒業後のワーホリのこと、それまでに自分の体調を治すこと… パンク状態だった。期限付きの解決しなければいけない問題がたくさんありすぎた。

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それでも日々は楽しくも冷酷に過ぎていった。
卒業、大切な人や場所との別れ。
もうそれらをやり過ぎるだけでいっぱいいっぱいで、どれも全てつかみきれなくて、手の平から溢れていった感情をすくいあげるように、ほとんど乾ききった涙腺から涙を絞り出すしかなかった。
それでも手の平からはボロボロ感じきれない感情がこぼれていった。

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このエンジンのままじゃ、走り続けられない。運転しながら直感的にそう思った。 みんなに追いつきたくて、尊敬する人みたいになりたくてひたすら後を追っていたけど、このまま走っていたら大破する。
エンジンを変えるか、部品を修理するか、それは分からなかったけど、とにかく止まって、もう一度、自分がどういう自分に向かっていっているのか見直す必要があった。

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止まるのは怖いことだ。 止まらずに走り続けているほうが良いような気がするから。 みんなと一緒にいれるし、後を追っていた人の背中についていける。だから理想は走り続けることだった。そして笑顔でそれができ続ける自分でいたかった。でももう走れなくなって、気づいたら急ブレーキを踏んでいた。

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ふと周りを見回すと、一緒に走り始めた車も後を追っていた車も見えなくなっていた。 車を降りると、周りは砂漠だった。これからどんなことが待ち受けていて、この砂漠はどこまで続くのか、恵みの雨がいつ降るのかも分からない状況だった。わからない、ひとりだということを嫌というほど痛感した。 それでも自分に問うた。 『今までのように考え続けたいのか?ないものばかり追い続けて、今を否定し見ないようにし続けたいのか。』 そうすると、だんだんと目の前にあるものが見えてきた。そこには砂漠という大自然と、そのままの私と、これからも一緒に走っていく車があった。 全てが主人公であるこの世界で、間違いなく自分自身も主人公であることを思い出した。 誰かの背中を追っている時、私は主人公だったか? パンクしていても、みんなと走っているほうが安心だと走り続けた私は、主人公だったか? 止まれたことはチャンスだ。 『わたし』が本当はどういたいのか。 どう感じたいのか。 どう行動したいのか。 全ては 『わたし』から始まることを思い出す。


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meguri
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