良好な親子関係を築くためにしてきたことや気づいたこと。
『母のこと、大好きなのに、だいっ嫌い!!』
これは、かつて自分の中にあった「心の葛藤」です。
今から約15年ほど前、パニック障害を発症して
それをきっかけに
カウンセリングやセラピーに通い
自分自身の心をみてきました。
母の口癖は幾つかあるのですが、一番多いのは
「~しやなあかん(~しなければならない)」と
「かわいそう かわいそう」です。
当時、私と母の間に何が起こっていたのか?
そこから何を、どうしていったのか?
どのように共依存を手放して、関係性を良好にしていったのか?
書いてみたいと思います。
共依存関係
母は、子供の私をとても可愛いがり、子は宝!として大切に育ててきたと言います。
しかし、のちのち分かってくるのですが、愛するが故にかなり甘やかした子育てになったようです。
私は、母のことを世界一やさしい人だけど、ひ弱な人だと思っていたので
いい子をしたり、ピエロやマスコットになり、自分を抑圧して生きました。
カウンセリングやセラピーを長年受けていくと
今までたくさん自分を抑えたり我慢したりしていたことや、本当の自分の気持ちがどこにあるのか?と、向き合っていけたので
自然と精神的な成長が進みました。
あるとき
「あ~私は、母と共依存関係にあるんだ!」と知りました。
このままでは、マズイ!!
共依存関係とは、親との境界線が引けずにお互いがお互いに
精神的な自己責任がとれず
「この相手しかだめ!この相手がいないとダメ!」
というような精神状態になり
最終、共倒れや、死別の際は「1人では生きて行けない・・・」と
悲観的になったり、行動制限や、究極までいくと自死を選んだりと
行く末に、希望や幸が少なくなるのです。
私が20代後半のとき、父を亡くしたのですが
その時「父はスーパーマンだから大丈夫!」なんて
幼稚な精神のために大丈夫バイアスがかかっていました。
実際に父の死が訪れた時、全く受け止められずただただ泣いていることしかできませんでした。
あるとき、ふと「母が亡くなったとしたら…」
父の時と同じように、母の死も受け止められないのではなかろうか?と
焦りを感じて『このままの自分じゃヤバイ!!!』と青ざめたのでした。
共依存を脱しなきゃ!!
「このままじゃヤバイ!!!」は、本当に自分を動かしました(笑)
そこから共依存と分かっているなら、
共依存から脱する!!と腹をくくる所からでした。
それは、自分にとってはぬるま湯でいられたところから出ていくので
自分の中の甘えを振り切って進む強さを必要としました。
まずは
私が母のことをどう見ていたのか?というと
「ひ弱でかわいそうな人」と見ていたのです。
・お父さんの代わりに、色々してあげなきゃ!
・お母さんが寂しい時には、そばにいてあげなきゃ!
・心配するから、言わないでおこう!
・いつも寂しい顔してるから、楽しませて幸せにしてあげなきゃ!
・不安だろうから、病院についていってあげなきゃ!
文章にすれば、普通のことだと思う人もいるかもしれませんが、
私の場合、程度が『自分の人生よりも母を助けなきゃ!!』という
使命感にも似た気持ちが勝って
自分<母 優先だったのです。
それは『母から認められたい』「母の役に立つことで自分の居場所がある』
承認欲求の表れにすぎなかったのです。
共依存から抜けるには、痛みを伴う
「~してあげなきゃ!」が強かった私ですが、母も私に対して同じでした。
してほしい事、してほしくない事、ごちゃまぜに色々やってくれるので
断るのが悪いと思っていた私は、
母のせいにしてドンドン鬱憤をためていき、そして爆発して
何もかも母のせいだ!育て方が悪かったんだ!!と暴れたのでした。
”おそがけの反抗期”をむかえ、数年間、母との関係性は大波小波。
でも、わかってくるんですよー
『母のせいではなかった』って。
母の言いなりになってきたのは、母のせいだ!と思い込んできたのに
母に言われたとしても、最終決定と行動してきたのは
『自分自身』だったってことに。
そこらへんから、自分自身が決定してきたことや行動してきたことを
見直しはじめました。
母に対して
「~してあげなきゃ」とか「父の代わりに」ということは
母に認めてもらうためだったと気づけたので
出来そうなところから徐々にやらなくしていきました。
それに
困ることがダメなように思ってきたのですが
人は困った時に成長できるのを知っているなーと思えたので
「お母さんが困ってもいいわ!」と
冷たく感じる自分に、許可をおろしたのです。
今まで、お母さんが困らないようにと
自分なりに守ってきたのは
困るお母さんを見ていたくない自分の気持ちを守っていたことと、
お母さんのことをひ弱だと思っていたから。
ずっと信じてきたのは「お母さんひ弱」
というところから
「お母さん自身にもパワーがあるんだ!」
と信じることにして
自分で出来ることは母に任せるように、徐々にシフトしていきました。
はじめは、不器用な母を見ているのも痛々しくて
「あ~私がやってあげたら、早いのに~」
「あ~違う違う!!」 などやきもきしていました。
(これは『親子の役割逆転』が起きていることも分かります)
私にとって「母を信じる」ということを学ぶタイミングであり
同時に、「自分自身を信じる」ということも学んだように思います。
共依存は、土俵から片方が降りてしまえば、成立できないのです。
私は私、あなたはあなた
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