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推しのいる生活

『推し』の存在って本当に偉大だ。

『推し』がいるだけで、生きる活力になるし、この笑顔を守るためならと思えば、どんなことでも頑張れる気がする。


私は、いわゆるヲタクである。

数年前からあるアプリのコンテンツを追っている。

最初の頃はすごく楽しかった。

ゲーム内の推しのストーリーを読んで、新しい推しの一面を知ればどんどん好きになるし、グッズを買えばいつも側に推しがいる気がする。

さらに、ゲーム内で課金したり、グッズを買えば買うほど、推しに貢献出来ていて、推しの役にたっている、つまり推しに私の価値を認められている…そんなあるはずもない承認欲求のようなものが満たされていっている気がして、どんどんハマっていった。

推しに関連するものが増えるたびに所有欲、というのか、私は推しを手に入れた!!!という欲が満たされていく。

多少、無理をしてでも色々買っていた。

さらに、そういったコンテンツ専用のSNSアカウントを開けば、私よりもっと膨大な時間とお金をかけている人たちもいて。

私なんてまだまだ、全然大丈夫でしょ

…そんな風に思っていた。


よくヲタク活動をしていて言われることがある。

「推しがいなくても死なないでしょ?なんでそんなに貢いでいるの??」

…確かにそうだと思う。

推しがいなくても死ぬことはない。

推しがいなければ、使うお金も減り、もっと他のことにお金を回せるし、貯金もたくさん出来る。

でも、私はこう思っていた。

「推しがいるからこそ、生活に彩りが増えるんだ」と。

私がよく使っていた手口で、こんなものがある。

「これを手に入れたら、もっとお仕事頑張れるから、これはある意味必要経費だ」

「仕事を続けていくために、これが必要なんだ」

そんな風に自分に言い訳していた。

でも、本当にそうなんだろうか。

確かに、推しのおかげで頑張れてきたことはたくさんある。

理不尽なことや、かなりキツく指導を頂いた時、推しのブロマイドをみると笑顔になることが出来た。

嫌な仕事も、推しの曲を聴くとモチベーションがあがった。

それは紛れも無い事実である。


しかし、最近私の中で今後のヲタク活動を揺るがす大きな出来事が起きたのだ。


それは周年記念のグッズたちだ。

「周年イベント」と聞いて、心踊らぬヲタクたちがいるだろうか。

普段は全く課金しないヲタクたちも、この時期ばかりはこぞってお金を落とす。

嬉しいけど、恐ろしい存在である。



そんなグッズたちの中に、こんな物があった。

『イメージフレグランス』だ。

推しの匂いを纏える…それはヲタクにとって至高の幸せではないだろうか。

だが、ここで1つ問題が発生する。

そう、何人の推しの匂いを手に入れるかだ。

推しが1人の場合は良い。

その1人を購入し、存分に推しを堪能すればいいのだ。

だが、推しが複数いる場合はどうすればいいのだろうか。

香水って普通に購入してもそれなりの値段はする。

だから当然といえば当然であるのだが、イメージフレグランスも1個が5000円以上するのである。

普段500円の缶バッジを集めているヲタクからすれば、とんでもない値段である。

もちろん『香水』とみれば相応の値段であるが『推しのグッズ』として考えればなかなかの値段だ。

しかも、それが複数個となれば…なおさらである。


私は今回の件について友人たちに意見を求めた。

その中で、はっとさせられた友人の意見が1つある。

『最推しは必ず買う。ほかの推しは本当に欲しいなら、生活費以外の給料をつぎ込むかって考えて、この月の貯金は諦めて残りの給料をつぎ込む』

ここで私が問われたのは、生活費以外の給料をつぎ込む価値があるのかどうか。ということだと思う。

今まで「これ欲しい=買う」という方程式のようなものが自分の中に無意識にあった。

たまにもらうアドバイスで、「迷っている理由が値段なら買う、使用頻度なら買わない」

この原理に則ると、今回の私のケースでは「買う」になる。

だがしかし、今回の友人の意見を反芻すると、正直「無理」が1番最初に浮かんだ感情である。

「お金」って不思議で、ちゃんと意識しないとその価値が自分でわからなくなる。

それはとても怖いことだ。


「生活に彩りを与えてくれたり、一時的にモチベーションを高めてくれるのは確かに推しである。」

しかし、人間関係と同じで節度のある関わり方をしないと自分がどんどん苦しくなってしまう。

経済的なことはもちろんであるが、精神的にもそうである。

「推しがいるから頑張れる」

そういう考え方ってとても素敵だ。

しかし、一歩間違えると「頑張るためには推しが必要だ」となり、最終的には「推しがいないから頑張れない」という状態になりかねない。

一種の依存のようなものである。

そうなってしまうと、とても悲しい。


私が今回の件で学んだことは「生活に彩りを与えてくれるのは推しである。しかし、経済的にも精神的にも生活を脅かすのも推しである。」


推しがいる生活って本当に楽しい。

私自身、仕事や人間関係に疲れた時、推しに助けられた思い出はたくさんある。

しかし「推しごとは節度を保った距離感で行うべし」だということを肝に銘じたい。



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