丸窓ぽんて2019→2020→2021
「丸窓ぽんて」としてはアカウントの中の人2名がそれぞれ記事をアップします。この記事の他のもう1本の天パさんの記事はこちら
https://note.com/marumadoponte/n/n313d16593a1a
この記事はおいでよ上田さんが主催した「上田アドベント2020」の企画に賛同して投稿したものです。12月1日から25日まで毎日記事やイベントなどが公開されていきます。テーマが「上田」に関わるものということで、ちょっと宣伝もはいっちゃうけど、全部上田市で起こった話なので許してね。
「はじめまして」の方も、「いつも見てるよ」という方も、
改めまして、こんにちは。「丸窓ぽんて」中の人・二号です。
そもそも「丸窓ぽんて」って何よ?という方に簡単にご説明します。
上田電鉄・別所線を応援する
「プロジェクト名」及び商品の「ブランド名」です。
売り上げの一部は、上田市を通じて上田電鉄に寄付しています。
詳しくは、こちらの公式Twitterか、公式サイトごらんください。
製品のデザイン、Webデザインなどなどはすべて天パさん
事務局・製造は主に二号が働いている(有)オアシ工業
アドバイザー兼代表はおいでよ上田さん
メインはこの三人で行い、他にも大勢の方にご参加いただいてる市民団体みたいなものです。
デザインのコンセプトは、すべて「赤い橋梁」がモチーフとなっています。
今回の #上田アドベント2020 では、皆さんにお見せできなかった「丸窓ぽんて」の補欠たちと、Twitterでは書ききれなかった出来事をご紹介しようと思います。(かなり長文で、4600文字位あります。暇なときに読んでください。)
※ご注意:こちらに掲載されているデザインは、安全上の欠陥があるため、販売しない製品たちです。良かったらこの記事を見た方だけでも、この子たちの事を知ってもらえれば幸いです。
この子は、一番最初にできた本立てです。名前も当然ないですし、たぶん天パさんとオアシ工業の人以外、実物見てないかも。零号機(仮)です。まだ電車のモチーフもなかったですし、重たい本には耐えられないか弱い子でした。
その次に出来たのが、上記。今の「丸窓ぽんて桜バージョン」に限りなく近い形です。会社の人に塗ってもらいましたが、何か、あの・・・。
というわけで、大栄工業さんに色を塗ってもらいました。大栄工業さんは真田にある会社ですが「上田電鉄のためになるなら」と様々な場面で協力してくださいました。本当に「上田電鉄・別所線」は、愛されているんだなと思いました。
そして出来上がったものを、おいでよ上田さんのアカウントに載せてもらったところ、あまりの反響にビックリして、削除してもらいました。それが、こちら。
試作の段階では4パターン展開でした。
左から艶あり黒一色。橋梁と同系色の赤一色。橋梁のみ赤で黒一色。そして最後が艶あり赤・通称フェ〇ーリの赤です。
今考えると当時は、現行モデルと同じ色の試作は、会社の人が作ってくれたものしかなかったんですよね。ちなみにこの写真を撮影したのが昨年の11月8日。橋梁が落ちてからほぼ三週間です。「別所線みらい応援プロジェクト」のイベントに参加して、決意を固めたのも多分この頃かな??
その後、個人的に使用したり、床に落としてみたり、天パさんからデザインのテコ入れ(線路や電車、六文銭の形状、行先表示板等々)してもらったり、ケガしないかどうか撫でまわしたりした結果、現在の桜バージョンデザインになりました。
当時は、梱包をどうるすか、とういうのがネックでした。たまたま会社に来ていた某銀行の営業さんから、「持ち運びがしづらい。これじゃ買いにくい。重なるようにすれば、買う気になるかも」とアドバイスいただき、重なるように改良しました。そして翌日には天パさんが「間に色紙を挟む」というのを考えてくださり、現在の形状になりました。電車にはあまり詳しくない人にとって、この色紙が、購入の決め手となった人も多かったと後になって聞いています。
割とのんびり?!と改良していましたが、徐々に販売して、その売り上げを寄付できるようにしたい!と強く思うようになりました。小売業は全くやったことが無かったので、とりあえず勢いだけで上田電鉄さんに販売の許可を得たいと、Hさんに相談し、上田電鉄さんにつなげていただきました。(Hさんには、二号の家族もお世話になっております。本当にいつもありがとうございます。)
最初は、上田電鉄さんにうまく伝えられず、ぼんやりとした話だったのですが、事態が急に動いたのは12月に入ってからです。
上田電鉄さんから「上田市のふるさと寄附金の返礼品に使っても良いですか?」とお話をいただきました。
びっくらこいた。まだ安全性に疑問が残る段階だったのですが、お役に立てるならと、お願いしました。
そして12月25日。上田市のふるさと寄附金のページに掲載され、あれよあれよという間に、一か月ほどで用意していた50セットがなくなってしまいました。ありがたいことに「上田市内でも販売してほしい!」というお声を頂戴し、本当にたくさんの方にご協力いただき、2月から販売する運びとなりました。
その他に、こんなこともあったりしました。ONE NAGANO 長野県民放キャンペーン テレビCM 第2弾(上田・佐久篇) これは本当に急で、実は撮影の二日前に連絡が来ました。寂しいんで急遽「おいでよ上田塾」で都合がつく人にも出てもらいました。
「丸窓ぽんて」=本立てのイメージが強い方も多いかと思います。
現在は、本立てに加え、YOJOテープ、「橋の箸置き」親方セット、そして12/15からは完全受注生産「PREMIUME EDITION」も受付開始予定です。
実は限定100セット・おひとり様3個までしか販売してなかった幻の製品があるのです。それがこちら。アルミ製の赤いしおりです。
何を隠そう一番時間がかかったのは、このしおりです。半年ぐらいかかったのかな。デザインの形状や材質によっては、指を切ってしまう可能性があるため、熟慮し、天パさんには、本当に何回も何回もデザインしなおして貰いました。ありがとうございます。
そうです。勘の良い方ならお気づきでしょうが、一番最初のしおりのデザインは「電車」がモチーフだったのです。これからご紹介する「しおり」は、安全上の利用で没になってしまったものです。
こちらが一番最初のしおりです。六文銭の接合部が不安定な事、断面が鋭利なので、確実に指や本を切ってしまうので、没になりました。本立ての六文銭も同時期、同じ理由で変更しました。
「指を切らないために、研磨しよう!」と鏡面仕上げにしたものが、右側の二つです。表側を研磨した後、裏側も傷をつけないように研磨すると、手間と時間とコストがかかりすぎてしまうので、没にしました。詳しい方には「バフ研磨とか電解研磨で良くない?」って言われるんですが、バフ研磨や電解研磨じゃ足りませんでした。手に取ってくださった方が、ケガをしないためには、このデザインでは難しかったのです。試作の段階で見せた方からの評判は、ありがたいことにとてもよかったのですが、泣く泣く没にしました。
本立てを製作中に「電車の顔じゃなくて、側面もデザインに取り込んでほしい」というお声をいただき、試しに製作しました。こちらも形状的に、ケガの原因になってしまうのでやめました。ステンレスの素材の上に、レーザーでケガキ加工により絵をかきましたが、大人の手のひら二枚分くらいの大きさになってしまったので、やめました。
こちらも上記と同じ理由です。難しい。せっかく買ってくださっても怪我するような物は作りたくない、絶対に怪我をしないというのは難しいが、目に分かるリスクは減らしていきたい、というこだわりから、没になった「しおり」を一部公表しました。
今後改善したり、ここに載せていないデザインや、違う製法で商品化する可能性もあるので、その時は「あ、これ、改善したんだ!」と、楽しみにしててくださいね!
1年2か月、「丸窓ぽんて」として活動してきました。
私、別所線沿線住民でもなければ、鉄道も詳しくありません。ジャンル違いのヲタクです。本当にお恥ずかしい話ですが、あの台風があって始めて、上田電鉄の歴史を知り、電車の事を知りました。鉄道ファンの方、特に上田電鉄運輸部さんには、本当にいろいろ教えてもらいました。また、公共交通としての役割や、上下分離方式になるまでの顛末、新型コロナウイルスによる影響、材料の仕入れができない、等々いろいろな事がありました。
ここに書けないようなことも沢山ありましたし、情勢的にやめたほうがいいんじゃないか、と思うこともありました。
そんな時に、販売店のあるオーナーさんと話していたら、「正直、「丸窓ぽんて」では儲からないと思っている。それでも、知ってもらいたいし、応援したいからやってるんだ。それはほかのお店さんも多分一緒だと思うよ。」と言われました。
あー自分はなんて浅はかだったんだろうと思いました。苦しいのは自分だけじゃないし、応援したいのも、私達だけじゃない、皆、応援してるんだ。代表を務めてくれるおいでよ上田さん、デザイン担当してくれる天パさん、「おいでよ上田塾」の皆さん、その他製作に携わってくださるすべての皆さん、販売店の皆さん、そして購入してくださる皆さん、上田電鉄別所線を応援するすべての人が、「丸窓ぽんて」の参加者でありメンバーなんだと思いました。
そうそう。ちなみに私が何故「二号」を名乗ってるのかというと、二号車の「二号」なんですよ。上田電鉄運輸部の人と初めてお話ししたとき、昔の車両は一両だと走れなかったそうです。もう一両が、押すか、引っ張るかしないと進めなかった。私は皆さん=一号車に引っ張ってもらってるから、二号車だなって、「二号」って名乗るようになりました。
他にもTwitterで知り合った方に声をかけていただき、雑誌に載せてもらったり、テレビやラジオ、新聞に載せてもらったり、他にも書ききれないくらい沢山の出来事、出会い、経験をさせていただきました。ありがとうございます。
「3月28日に開通が決まりました。お気持ちはいかがですか?」
そんな電話がかかってきました。以前、お世話になった信濃毎日新聞の記者さんでした。芸能人みたいな事聞かれてる!!私の気持なんか正直どうでもいいだろうと思いながらも、日付が決まったことがすごく嬉しく、涙声になりながら答えたのを覚えています。ゴールではなく、やっと、スタートラインが見えてきた。そして、雨の日も風の日も、時には夜通しで修繕工事に携わってくださる現場の皆さんと、約95年頑張ってきたあの橋の姿が、コロナ禍で苦しむ全世界の姿と重なりました。あの橋も、工事してる人も、頑張っているんだから、私も頑張ろう。出来ることは少ないけれど、一日でも長く、早く、笑顔で過ごせるように、日々過ごそうと思いました。出来ることを日々積み重ね、皆で少しでも前向きになったり、幸せを感じることが出来たら、こんなうれしいことはないな、って思います。
すごく長文になってしまいましたが、皆さんにとって、2021年が幸多き年でありますように!引き続きよろしくお願いします。(二号)