体験する、空気感を肌で感じるということは何にも代えがたい素晴らしい経験だということ
先週、長男が初めてスポーツ観戦に行った。旦那と2人でJリーグを見にスタジアムへ。旦那が知り合いからチケットをもらったからだ。だが私はすごく心配で、長男を行かせるのはやめた方がいいと反対した。が、旦那はいつも通り「大丈夫、大丈夫」と言って連れて行ってしまった。心配だったのは、電車での移動が少し長いこと。(コロナ禍も相まって電車移動はほぼしていないので慣れていない。)夜の試合だったこと。(18時キックで20時終わり。いつもは20時には寝ている。)何よりも、普段テレビでサッカーの試合を見せても落ち着いてみていることはないのに、2時間も椅子に座って見ていられるわけがないと思ったこと。だが、この心配は全て杞憂に終わる。
電車移動は休日とあっておおむね空いており、なかなか見せてもらえないスマホでYouTubeを見ていたので何の問題もなくクリア。夜の試合で眠くなるのではないかと思ったが、あまり夜外に出ることがないので新鮮で興奮していたらしく、帰宅までしっかり起きていられた。帰宅後、お風呂に入ってぐずることもなく、すぐ就寝した。そして最後の心配事、2時間の試合を座って見ていられるのかということ。ここも、なんとクリアしていた。初めて感じる生のスポーツ。その迫力に見入り、応援団のチャント、チアガールと一緒に声を出して応援する。そのすべてが素晴らしい経験となり、2時間しっかり観戦してきたそうだ。帰ってきた時に、長男が発した一言がすべてだと思う。「楽しかった!また行きたい!」テレビで見るのも楽しいし、楽だし、興奮もできる。が、実際にスタジアムで感じる興奮にはまったく適わない。
私はもともとスポーツ観戦が好きだし身近な方であったと思う。生まれ育った地元にもJリーグのチームがあり、よく父親と観戦に行っていた。サッカーは生で観戦するのが当たり前と思っていた。今思うと贅沢な環境だった。スタジアムまで歩いて見に行っていたのだから。大人になってからも行っていたし、他のスポーツ観戦も積極的に行っていた。テニスは大好きでよく試合の情報を探しては見に行った。陸上も好きだ。世界陸上を生で観たときは感動した。箱根駅伝も沿道に見に行ったことがある。やはり生で観戦するのは段違いに感動するし興奮もする。だが、我が子たちはどうだ。コロナ禍で満足に観戦もできない。スポーツだけではない、アクティビティや旅行も経験させてあげることができない。何の疑問もなく、コロナ禍だから、と諦めていた。だが今更、なんて可哀相なんだと思うようになった。かといってまだ状況は変わらないのだが。
東京オリンピックとパラリンピックが閉幕した。実は我が家はパラリンピックのチケットを持っていた。陸上と、テニス。オリンピックは全て落選したが、パラリンピックが当たった時は興奮した。長男は5歳。素晴らしい経験ができると思った。が、結果は無観客開催。その時はガッカリはしたが、しかたがないか、と割り切る部分もあった。だが、テレビでオリンピックとパラリンピックが放送されると、5歳の長男も2歳の次男も毎日大興奮でテレビにかじりついていた。柔道、空手、水泳、陸上、サッカー、スケボー、ゴルフ、とにかくありとあらゆる種目を見ては興奮し、長男も次男も「ニッポン勝った?」と口癖のように言っていた。パラリンピックでは、障害のある人たちが水泳をする姿を見てびっくりしていた。どうやって泳いでいるの?なんで前に進めるの?なんで目が見えないのにまっすぐ泳げるの?それらは全てアスリートの努力の結晶であるし、奇跡なんだよと伝えると、分かったのか分かっていないのかは謎だが、真剣にテレビを見ていた。そしてその姿を見たとき、初めて無観客になったことを大きく悲しんだ。実際に、その場で観戦していたら、もっともっと素晴らしい体験と感動ができただろう。とてもとても残念だ。
ARやライブ映像でスポーツは昔よりももっともっと身近なものになっただろう。だが、やはり、現場で感じる空気感や迫力に勝るものはないのではないかと感じる。コロナ禍が終わったら、いろんなスポーツを見せに行ってあげたい。新たな私の目標ができた。
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