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何もない日の何もない一日こそ育児難易度MAXな気がする。

本日は休日。だが主婦に休日など存在しない。洗濯物は嫌でもしなければいけないし、ご飯だって用意せねば出てこない。用意したということは片づけまでせねばならない。掃除はサボった。というか朝からピリピリしている私のプレッシャーに負けて旦那が掃除機をかけた。トイレ掃除だって毎日しなければいけないわけじゃない。手を抜くところは思いっきり抜いている。はずなのに、やらねばいけないことは尽きない。それが私の、というか日本の、全主婦の現実ではなかろうか。

私の父親は、私が12歳のころから、3年くらい前までインドネシアに住んでいた。勤めている会社のインドネシア支店を任されていたからだ。幸か不幸か、私は思春期真っ盛りの時期に父親と過ごしていない。年に2回帰ってくるだけの存在だった。父親は家事は一切しない。今でもしているところは見ない。そんな父親が、海外で、一人暮らしだなんて、できるのだろうかと子供ながらに心配したことがある。高校三年生の夏、私は初めて一人で飛行機に乗り父親の住むインドネシアに会いに行った。今思えば凄い経験をさせてもらった。英語もしゃべれない小娘が、シンガポールでトランジットし、ジャカルタ空港へ。税関も何も分からないまま、よくもまぁ行って帰ってきたものだ。ちなみにそれが私の人生初海外旅行だ。空港で父親に会い、父親の住む家へ。そこは日本人駐在者や海外駐在者が多く住む、セキュリティのしっかりした一つの町のような区画にあった。そしてびっくりしたのは、家にはお手伝いさんがいたのだ。現地の女性、2名が代わるがわる出入りし、洗濯掃除、簡単な軽食の準備などなど...。まるで自分がお姫様になった気分。専属のドライバーがいて、その人がどこへでも連れて行ってくれる。通訳だってしてくれる。父親は凄い富豪になってしまったのか、と聞くとそうではない、と言う。ここに住む駐在の人ほとんどみんなそうしている。と。別の社員さんはまだ若く、小さな子供と奥さんも一緒にインドネシアに来ていたが、やはり同等の生活をしているそうだ。シッターなる存在もおり、子育てを手伝ってもらっている、とも聞いた。カルチャーショックだった。

という記憶を思い出した今日。何が言いたかったかというと、別に毎日ではなくていいので、たった1日そんな生活がしたいな、ということです。お金を出せば当然受けられるサービスなのですが、しがない主婦に支払えるだけのお小遣いは存在しません...。

雨だし止んでも公園には行けないし、本日はひたすらお家時間。いろいろ工夫してみましたが結局は子供たちは大暴れ(戦いごっこ)が一番楽しいようで、家は大変なことに。狭くてもなんでも、一戸建てに住めて良かったと心の底から思う。マンションだったら騒音が気になって気になって、もっと精神的ストレスがあったと思う。あと私の怒鳴り声も近所に丸聞こえになっていたかと思うと...あ、それは今でもそうか。涼しいので窓を開けていたのでした。明日からまた1週間。まったく休まってはいないので疲れは取れていませんが、がんばりましょう。

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