誰かに聞いて欲しい 離婚を画策する話 2
前回の続き
嫌いな夫の不倫の証拠を見つけ、意気揚々と今後のライフビジョンを模索し始めた私。
私は夫の扶養の範囲ギリギリで働いているので、離婚後の心配事はただただお金のことだ。ワンオペには慣れきっているので、むしろ大人の男一人分家事が減ることは楽しみ。問題は金だ。
金の亡者がごとく、「養育費」「夫名義の家に住み続けるには」「児童扶養手当」「母子家庭 手当」などで検索履歴が埋まる日々。
毎日調べまくり、家計簿をつけて3人暮らしの収支を計算。しかし手当は計算法や条件が難しいものも多くて混乱し、養育費をいくらもらえば子どもたちに不自由なら思いをさせなくてすむのか、分からない。
瞬く間に1週間がたち、思い至った。
「なんで不倫された側がこんなに苦労して、考えて、悩まなあかんねん。」
夫にも頭を使わせよう、と「話がある」と子どもたちが寝た後に2人の時間を作った。
私は文章ではいくらでも偉そうに自分の気持ちを伝えられるのだが、人に(特に反対意見の人間に)自分の意思を伝えることが小さい頃から苦手でたまらない。自分の話をしようとすると、手足も声も震えて、悲しくないのに涙が出るのだ。
今回は絶対に泣きたくない。冷静に。冷静に。
夫に、年賀状の写真を探していた。息子の写真が見つからずSDカードを一枚ずつ見た。ここまで話したら、震えて震えて声が出なくなった。出ないというか、出したら涙が出そうな気がして出せなくなったのかもしれない。
察した夫が言った。「変な写真があった?」
「変な写真」て。心の中で突っ込んだ。
夫はその女の人は仕事関係で知り合ったこと、2年前から関係がある、と言った。
ワンナイトとかじゃないのか。2年。本気のやつ?と思った私は離婚届を見せた。すでに私の欄は埋めて押印済みだ。夫、めちゃ驚いていた。
いや、驚く?離婚したくないと私が思ってるとでも?
そこから夫は泣きじゃくった。初めて見た。義父が亡くなった時しか泣いているのを見たことない。
もうお話にならない。とにかく私は自分の思っていることを伝えたので寝た。「もう一緒に住みたくない。子どもたちはもちろん、私が悪いとは絶対に思わないので、あなた1人が出て行って欲しい。冬休み中に荷物をまとめてください」
子どもの手前、普段通り過ごした。相変わらず夫はそそくさと私と2人になるのを避け、一向に出ていく気配などもなく、これはこのままなぁなぁにするつもりなのかな、と思った頃、もう一度言った。「このままでいいとは思わない。出て行ってください」
また夫は泣いた。鼻水を垂れて泣いた。
汚いなおい、としか思わなかった。笑
籍は絶対に抜かないでほしいようなことを言っていた。籍は追々考えるが、とにかく、まず、出て行ってくれと伝えたが「もう気持ちは変わらない?」としつこく泣きながら聞いてくる。
変わったのはそちらだろう。私は結婚してから13年、ブレずに家族のためにやってきた自負がある。
しつこすぎて「これでも譲歩してるんや。本当なら子どもたちにもお父さんは不倫野郎やからもう喋るな関わるなと言いたい。相手の家庭もボロボロにしてやりたい」とキツめに怒鳴ったら黙った。
「娘が将来結婚して、同じ目にあったら、『謝ってはるし許してあげ』て言うんか!」でトドメを刺した。私だって両親に「幸せになって」と送り出された娘なんだ。
人生で初めて、大人に向かって怒鳴った。やっぱり声が震えたし、私の意思とは関係なく涙も出てしまったのが悔しかったけど、夫は驚いていた。
初めて私が本気でキレてるのを見たんだろう。私はキレると黙るタイプなので(陰湿)こんな風に目を見て大きな声で言われるなんて思わなかったんだろう。
これは後々もずっと感じてたことだが、なんで私が加害者みたいな感じなんや。いじめているような気持ちにさせられ、本当に精神に来る。
というわけで2年前の冬、夫を追い出した。出ていく前日、夫がまとめた荷物が「一泊2日か」と思うほどに少なかったので、勝手に増やしておいてあげた。
まだはっきりと離婚が決まったわけではなかったので、子どもたちには仕事の都合で、平日は職場に近い義実家で寝泊まりしていると伝えた。週末だけ夫はうちで過ごす。週末婚スタイルだが、私は「別居」と呼んでいた。
しかし、コロナ禍で夫の職場でも次々クラスターが起き、義母にまで追い出された夫は、1カ月弱で帰ってくることになる。
当時は、職場の上司と同僚に相談をしていた。私の母くらいの年齢の上司も、10個上の大学生の母をしている同僚も、離婚は勧めなかった。とにかくこれから子どもにお金がかかるから、という理由だ。
両親にも話した。父は静かに怒り、母は泣いた。だけど2人も離婚は勧めない。それどころか別居すら難色を示した。
大人たちの言い分は正論だった。だけど私は、誰も味方がいないような気持ちになった。
義母に追い出された夫に、色々と条件をつけ、離婚届にも記入させ、今度子どもに言えないようなことをしたら私のタイミングで勝手に出す、といい預かった。束の間の別居生活が終わってしまった。この時の判断を、今でも後悔している。
離婚へ向けてあんなにアドレナリン全開だった私の心は、しょんぼりと萎えてしまった。もうどうでもいいや…
この一件から、私の夫への態度は随分変わった。子どもたちの言動や予定などを夫と共有することがなくなった。少しでも子どものことを知って欲しいだとか、普段家にいない夫が疎外感を感じないようにだとか、そんなことは微塵も思わなくなったからだ。楽だな。そして私が何も伝えないようになると、みるみるうちに夫と子どもとの会話はトンチンカンになり、子どもに首を傾げられるようになっていた。ざまぁみろ。
私の性悪さが滲み出てきたところで、なぜ今再び離婚へ向けて盛り上がったかは、また次回。