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新・国立競技場問題で、サッカー界は殴り返さなくてはならない ~蹴人のジレンマ~

日本サッカーは追い詰められています。

日本サッカー協会の年間収入は約200億円に達し、ロシアワールドカップでは好成績を収めました。野球と違って少子化の割に競技人口も減っておらず、JリーグもDAZNマネーが流入し潤っています。現状、実質的にはサッカーが日本のNo.1スポーツだと考える人も多いでしょう。

しかしその絶頂に冷水を浴びせるような、こんなニュースが飛び込んできました。

新国立、球技専用からトラック存続へ変更 コスト重視
https://www.sankei.com/sports/news/190704/spo1907040010-n1.html
2020年東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場について、大会後に改修して球技専用とする方針を変更し、陸上トラックを残して陸上と球技の兼用にする方向で調整が進んでいることが4日、分かった。

「また陸上か」

このニュースを聞いた時、僕は真っ先にこう思いました。

僕はサッカーを見るため日本中を旅していますが、地方のJリーグのスタジアムは不便な場所にある陸上競技場のことが非常に多いです。陸上トラックがあると客席からピッチまでの距離が遠くなり、試合の臨場感がありません。はっきり言って、陸上トラックはサッカーを見る上では邪魔なだけです。

それでも陸上競技で使うなら多少は仕方がありません。しかし今回の新国立競技場は、サブトラックがないためオリンピック後は主要大会を開催出来ない施設だそうです。世界陸上どころかインターハイにも使えないという話です。

今回の決定の理由は、球技場化の改修に費用がかかるからとされています。しかし上のツイートにもあるように、球技場化してサッカーの使用頻度を増やさなければそもそも収支が成り立たないという試算でした。それなのになぜ計画を変更するかというと、「陸上界のメンツを立てるため」というのが大きいのでしょう。収益性?「サッカーはどうせ、陸上トラックがあっても使うだろ」とでも思われてるのでしょう。舐められてますね。

しかしサッカー界が嵌まり込んだこの新・国立競技場の問題ですが、「囚人のジレンマ」を利用することで解くことができるかもしれません。具体的には、

「サッカー界は今回裏切られたことに対して、ゲーム理論的には報復を行うことが合理的である」

ということになります。以下そのことについて述べていきます。

・囚人のジレンマとは

「囚人のジレンマ」とは、ゲーム理論における有名な状況の1つです。
内容は少しわかりにくいかもしれないので、有名なキャラクターに登場してもらいます。

のび太スネ夫が、共同で何か犯罪(振り込め詐欺辺りですかね)をおこなって逮捕されました。2人は別々に拘留されています。本来なら懲役5年ぐらいの犯罪なのですが、2人とも黙秘を貫いています。現状では証拠不十分で、どちらかの自白がなければ別件の軽い罪にしか問えなさそうで、検事は焦っています。そこでのび太とスネ夫に対し、検事は次のような司法取引を持ちかけました。

・2人のうち片方のみ自白した場合
→自白した方は無罪、黙秘した方は懲役10年

・2人とも黙秘した場合
→別件の軽い罪で、2人とも懲役2年に減刑

・2人とも自白した場合
→2人とも、本来の懲役5年

のび太とスネ夫の2人は相談出来ない状況で決断しなければならないものとします。お互いどのような戦略をとるべきでしょうか?


スネ夫が協調(黙秘)した場合、のび太も協調すれば懲役2年になります。しかしのび太がスネ夫を裏切って自白すれば、のび太は無罪で釈放されます。
スネ夫が裏切った(自白)場合、のび太は黙秘したら懲役10年を食らいますが、のび太も自白していれば5年で済みます。
以上よりのび太にとっては、スネ夫の行動がどちらであれ裏切った方が得ということになります。


しかしこの「相手がどうであれ裏切った方が得」というのは、スネ夫にとっても同じです。なので両者ともに合理的な場合、のび太・スネ夫共に裏切ることになり、必ず両者とも懲役5年という結末に落ち着きます。

のび太・スネ夫のどちらにとっても、懲役5年になるぐらいならお互い示し合わせて協調し、2人とも懲役2年に減る方が望ましいはずです。しかし、プレーヤーが最適な行動をしようとすると互いに裏切りを選ぶしかなく、そのため最良の結果に至れないということになります。合理性が不幸な結果を招くということになり、この状況が囚人のジレンマと呼ばれています。


・人間関係の基本は「協調」である

ここまでの論理には一分の隙もないのですが、実際の社会は「裏切り」にあふれているわけではありません。どちらかというと世の中には協調する人間関係の方が多いでしょう。それはどうしてでしょうか?

先ほどのようにゲームが一度だけであれば、相手を裏切ることが常に最適な行動です。しかし実社会のように、相手と何度もやりとりを繰り返す状況だと、話はまた違ってきます。

「次がある」と思わせれば、相手に「協調」を選ぶインセンティブが生まれてきます。過去に協調した実績があれば信用されますし、逆に「やったらやり返される」という心配もあるでしょう。このモデルは「繰り返し型の囚人のジレンマ」と呼ばれています。

ではこの「繰り返し型の囚人のジレンマ」では、どういった戦略をとるのが有効でしょうか?
常に協調するような人(カモ)だと、悪意のある人に付け込まれて懲役10年を食らい続けます。しかし常に裏切るような人も、相手に協力してもらえず高得点を得られないでしょう。繰り返し型の囚人のジレンマでは、相手を選んで協調することが期待値を高くします。そのために必要なことは何でしょう?

繰り返し型の囚人のジレンマで利得の多くなる戦略を調べるため、様々な分野の研究者から戦略を集めて対戦させる実験が1980年に行われました。その結果、最も高得点だったのは「しっぺ返し戦略」でした。


・しっぺ返し戦略:協調はするが、舐められてはいけない

「しっぺ返し戦略」は単純な内容です。初回は「協調」し、それ以降は前回相手が出した手をそのまま出すというものです。相手が協調してくれるならお互いの協調が続き、そこそこの利益を得る関係が安定して続きます。相手が裏切った場合は即座に一度裏切り、報復をします。その先どうなるのかは相手の行動次第で決まります。

1980年の実験は2回行われましたが、2回とも「しっぺ返し戦略」が優勝しました。なぜ強いのか、理由は「わかりやすさ」にあると考えられています。このゲームではお互いの「協調」が続くと高得点になるのですが、そのためには相手の「協調」をうまく引き出す、言い方を変えると「裏切り」を防止することが必要になります。

しっぺ返し戦略は、「お前が協調している限り、裏切らない」「お前が裏切ったら、すぐにこちらも裏切りで対抗する」と、相手にとってわかりやすい態度を表明しているといえます。それによって相手の裏切りを予防し、緊張感を保ちつつお互い協力を続ける関係を築くことができます。人間社会は大体そのように動いていますが、それが有利であることは学問的に実証されているということです。

「ゲーム理論では、戦略の有効性と、好きとか嫌いとかの感情は関係ない。もし相手が君のことを憎んでいても、十分に合理的であれば、君と協調することを選ぶだろう」

「でも先生、それでもあいつが裏切ってきたらどうなるんです?」
「当然、君も裏切り返すことになるだろう」
「その裏切りあいは、いつ終わるんですか?」
「相手が、協調した方が得だと合理的な判断を下すまでだ」

(『亜玖夢博士の経済入門』橘玲 文春文庫 P68)

この「囚人のジレンマ」や「しっぺ返し戦略」のようなゲーム理論の考え方を、今回の新国立競技場問題にも応用してみましょう。協調できる相手には協調した方が利益を生むのですが、相手に裏切られた場合は「しっぺ返し」を行わなければナメられて、カモにされてしまいます。


・サッカー界はいい「カモ」と見做されている

さて、本題の新国立競技場問題についてです。

残念な話です。新国立競技場はサッカーが一番使用しそうだったのに、何らかの横やりが入ってオリンピック後の球技専用化の話がなくなりそう、ということのようです。

理由として改修に費用がかかるからとされていますが、その理由は合理的ではありません。確かに改修に費用はかかりますが、それによって座席数は増えますし、そもそもサッカーやラグビーなどの開催回数が増えなければ、建設費用がどうやってもペイできないという話だったはずです。

収益面で一番大きな要因は稼働率ですが、前述のようにトラックがあったからといって陸上競技の開催が増えるわけではありません。なので、もしサッカー界が「陸上競技場では試合をしない」と言い出したら「陸上トラックがあるせいで収益性が下がる」ことになります。そのため元々の計画は球技場化だったわけです。

しかし、もし陸上トラックのあるスタジアムでもサッカーなどの球技が(我慢して)使えば、予定通りの稼働率になるかもしれません。偉い人たちはそう考えたのでしょうね。つまり「どうせサッカーは、陸上トラックがあっても使うだろ」と舐められていて、そのことが今回の計画変更を招いた可能性があります。


・蹴人のジレンマ 合理的な戦略はしっぺ返し

ここで、今の状況を「囚人のジレンマ」に当てはめてみます。「蹴人のジレンマ」とでも呼びましょうか。

囚人のび太・スネ夫とは違って、サッカーと陸上とではメリット・デメリットが異なりますので、若干状況を置き換えます。陸上にとっては球技場化が「協調」、トラック存続が「裏切り」になります。サッカーの取れる行動としては、新国立競技場を使用することが「協調」、サッカーの開催はしないことが「裏切り」になります。アウトカムについては適切な数値化が難しそうなので、何となく「懲役〇年」のままでいくことにします。

4つのパターンについてそれぞれ囚人のジレンマに当てはめていきます。

・トラック存続、サッカーで使わない
両者の「裏切り」になります。陸上界にとっては、陸上トラックが残るのでプライドは保たれるでしょう。しかし陸上が巨額な赤字の責任を全て背負わされることになります。サッカーにとってはせっかくのスタジアム整備の機会を失い残念ではあるのですが、今回のゴタゴタとは無関係な立場に収まることが出来ます。サッカー、陸上両者とも懲役5年のパターンです。

・トラック存続、サッカーが使う
陸上の「裏切り」、サッカーは「協調」のパターンです。というか今の状況ですね。陸上界にとっては、陸上トラックが存続するのでプライドが保たれます。時々思い出したようにマラソン大会のゴールか何かでも使えるでしょう。サッカーにとっては、臨場感のないスタジアムで試合させられた上に、日常的に使っていると世間からこっちに赤字の責任を押し付けられる可能性もあり、踏んだり蹴ったりです。陸上は無罪放免、サッカーは懲役10年です。

・球技場化、サッカーが使う
陸上、サッカー両者の「協調」です。陸上にとってはプライドは傷つけられるかもしれませんが、陸上界としてオリンピック後の維持費用を考える必要はなくなります。サッカーとしてはそこそこ(後述します)臨場感のあるスタジアムを手に入れることが出来ますが、逆にサッカー界としてスタジアムの維持を考えなくてはなりません。サッカー、陸上とも懲役2年ですが、繰り返しの関係なので今後の協調にもつながります。

・球技場化、サッカーで使わない
あまり考えづらいパターンですが、新国立競技場はそもそもの基本設計がいまいちで、「球技場化してもそんなに見やすくならない」と言われていました。そこで、陸上界が協調してくれて球技場化したところで、サッカー側が「こんなダメなスタジアム、サッカーは使わねーよ」と梯子を外す、という鬼畜プレイに当たります。陸上としてはプライドを傷つけられた上に、自分たちでは使えない競技場を押し付けられるという踏んだり蹴ったりで懲役10年です。サッカーとしてはセンセーショナルな話題になり、今後の全国のスタジアム整備に一石、というか隕石を投じる感じになり無罪放免……、ですがここまでの「協調できない奴」という評判は今後のスポーツ界での立ち位置にどう影響を及ぼすかわかりません。


・サッカー界は新国立競技場問題について、殴り返すべきである

囚人のジレンマに当てはめるとこのようになります。本来、サッカーと陸上とは、お互い協調して全国の競技場を整備していくのが望ましい関係です。何も「陸上競技場を一切作るな!」と言っているわけではありません。立地や観客席の収容人数などを考えて、お互いに相応しい施設を整備していければよいのです。しかし実際は、国体(=国民体育大会)のためと称して10000席程度の陸上競技場が全国にバンバン建てられ、不便な場所にある臨場感のないスタジアムがJリーグのチームに押し付けられています。

これまでのサッカー界は、他競技に対して協調的だったと思います。スタジアム問題でも、例えば「野球場をつぶしてサッカー場にした」みたいな、他競技の領域を侵害するような話は聞いたことがありません。しかしそういった、協調を続けた結果が今回の新国立競技場の顛末を招いたと言えます。「あいつらには陸上競技場を使わせておけばいい」と、舐められているということになります。

舐められているのに協調を続けると、「カモ」と位置付けられ他のプレーヤーからもどんどん裏切られるようになります。ゲーム理論は全てを説明しています。サッカー界は新国立競技場問題について、しっぺ返し、というか殴り返すべきです。具体的には、新国立競技場をサッカーでは一切使わず赤字化させましょう

そして「サッカーが協力しなければ巨大スタジアムはひどい赤字になって、まともに運営できない」ということを世間に知らしめ、今後のスタジアム整備に一石を投じるべきです。サッカー界としては、ゲーム理論的に合理的な行動をとるのは当然のことですから、ためらう必要は全くありません。

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著者 円子文佳(まるこふみよし)
Twitter https://twitter.com/maruko2344

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以上、サッカー界が(陸連に対して?)報復をすることが、ゲーム理論的には合理的であるという話でした。本文は以上です。本文だけで完結している文章ですが、おまけ部分として田嶋JFA会長の話をします。もしかしたら田嶋会長は「サッカーの敵」かもしれないという思考実験をしています。本文同様、悪意を持って決めつけているわけではなく、「個人として合理的に振舞うとこうなるのではないか」というパターンを何通りか考えていくという話です。


・このままでは田嶋会長は「サッカーの敵」である

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