会話が苦手
私は人と会話することが苦手である。
相手によっては、会話後の帰り道で胸がぎゅっと辛くなる時がある。
なんなら数日間引きずる。
モヤついて漠然とした苦しさが残るのだ。
自分の好きではないところと向き合うのは苦しいし、恥ずかしい気持ちもあるけれど、自分の意識を変えたくて、本などを読み漁り自分の意見がなんとなくまとまったので、記事にしてみようと思う。
会話の癖
まずは自分をモヤつかせているであろう癖をまとめてみる。
・相手が欲しそうな回答を考えてしまう
相手に楽しく会話をしてほしくて、そんなに同意していないことでも相槌したり、持ち上げたりしてしまう。
相手が楽しんでくれたらいい、相手が楽しんでくれたら、きっと私といる時間を楽しんでくれるはず、という相手ファーストな考え方。
・相手に変に思われるんじゃないか?と考えてしまう
私の発言で相手を不快にさせたり、私自身が変に思われることを恐れている。
小さいころ、知らぬ間に相手を傷つけたり、変な空気にしてしまうことがあり、それがトラウマになっている。
自分のことを話して「あなたってこんな人なのね」とレッテルを貼られることが嫌だ。
なんだか見定められているような気持ちになってしまう。
・仲間に入りたい気持ちが裏目に
私にとって難しい会話が続いたときに、私はこういう風に考えている!と無理をして話を展開してしまうときがある。
自分もその輪に入って語り合いたい、と思うのだけれど、そこまでの知見が足りず、虚勢を張ったような、浮いている感じになってしまう。
なんであんなこと言っちゃったんだろう、と後で後悔することもしばしば。
自分を深掘りする
上記の癖から、自分の頭の中をさらに掘り下げてみる。
自分がどんな思考をもっているのか。
・人目を気にしすぎている
相手がどう思っているのかが気になってしょうがなく、相手の自分に対する評価が気になる。
結果、反応が怖くて自分を出して話すことができなくなっていた。
自分の見え方ばかりに気を取られていて、相手と全く向き合えていない。
相手のことを考えているようで、自分の保身に走っている自己中的な状態。
自分をよく見せたい、という八方美人な考えだ。
・相手を優先しすぎて自分がない
相手ファーストで会話をしていたら、上辺どころか自分じゃない別の人が話しているのと同じことになってしまう。
「相手がこう言うから、こう話す」という「相手」が主語になっているので永遠に「自分」が出てこない。
「自分」がどう思うかを考える必要がないのだ。
相手の意見に決定権を委ねているから、「自分」を蔑ろにしている。
この考え方をしてきたから、いざ意見を求められたときに「自分」を見失ってしまい、うまく答えることができない。
自分を表現して会話の輪に入りたくてもうまく入れない。
・相手を上下で見ている
相手を上下で見ているせいで、上の人に対して恐縮しすぎて猫をかぶってしまう。
本当の自分を出せず、それこそ相手ファーストになりすぎる。
相手を上下で見るということは、自分自身も下に見られているんじゃないか、自分はこの中でどの位置付けにいるんだ、と話の内容とは違ったところが気になってしまう。
ありのままを受け入れる
これらの癖を緩めていくには「ありのままの自分を受け入れる」、これに限る。
変に思われてもいい!うまく話せなくても、知見がたりなくても。
自分がどうしたいかをまずは大切にして、それから相手に何ができるかを考える。
本当の自分を出した私とでも仲良くしてくれる相手と一緒に過ごせばいいのだ。
無理した自分が好かれても、それは本当の自分を好いてもらっているわけではない。
その後も仮面を被り続けることになってしまう。
相手がどう思うかではなく、自分がどう思うか。
自分がその場を自発的に楽しむことに意味がある。
私が楽しんでいれば相手にもそれが伝わってお互いの居心地がよくなり
「自分」が話している実感を得ることで心から会話を楽しむことができると思う。
そして相手を上下関係でみるのは本当にナンセンス。
相手は仲間であって、敵ではない。
良い、悪いという上下で相手を見るのではなくて、対等な立場で向き合う。
人からレッテルを貼られるのを怖がっていながら、自分がそれを人に対して行なっていたのだ。無礼にもほどがある!
自分の自信のなさからくることばかりだったが、自分を信じて、相手を信じて、気楽に会話できるようになりたい。
つらつら書いていて自分って本当に自己中だな〜と落胆する気持ちもあるけれど、それも自分であり、そういうネガティブな部分も受け入れていきたい。
自己中から脱却して、自分を満たし、相手を思いやり、楽しく生きるのだ。