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Webライターになるまでにやってきた仕事のこと

Webライターのまる きょうこです。
ご覧いただきありがとうございます。

今日は、プロフィールに書ききれなかった私の経歴をこちらに書きたいと思います。私がやってきた仕事には、主に以下のようなものがあります。

  • ブライダル奏者

  • 音楽療法士

  • アロマセラピスト

  • 美容部員

  • 図書館員

  • ハローワーク職員

  • 介護職員

  • 准看護師

  • デスクワーク(事務/営業事務/受付/カスタマーサポート)

わけのわからない職歴ですね。これが一人の人間の職歴か、と疑われそうなほどです。「主な」と書いたのは、まだ他にもあるからですが、短期間のものは外しました。

私がたくさんの仕事に就いた理由

これだけの職歴になったのには、以下のような理由があります。

  1. 氷河期世代のピークだったから

  2. 音大出身で余計に就職が困難だったから

  3. 自分にしっくり来る仕事が見つかるまで諦められなかったから

1と2は半分言い訳で、3が一番の理由でした。就職することがピンと来ず、何をやってもしっくり来ない気持ちが常にあったのです。
仕事なんてそんなものだよ、楽しい仕事なんてあるわけないよ」と周りから言われても、どうしても諦められない気持ちがあり、転職を繰り返しました。

究極の仕事に就いてからようやく気づいたこと

どの仕事も一応こなせはするものの、心から夢中になれる仕事はなかなか見つかりません。
それなら人の命と向き合う、医療という究極の現場なら仕事に打ち込めるのではないかと考えた私は、40歳を目前に看護学校へ通い、これが最後の転職という気持ちで看護職に就いたのです。

つらい実習に耐え抜いてなんとか学校を卒業し、現場の厳しさに直面しながらも仕事を頑張り、病院から福祉施設へと環境を変えた私は、そこで管理職にもなりました。

しかしそこまで来てようやく、自分がそもそも勤めることに向いていなかったことに気づいたのです。

皮肉ですが、最後の転職と思って選んだ究極の仕事で、しかも人の上に立ったことによって、「もうこれ以上どこに勤めても私のやりたいことは見つからない。私は自分で仕事がしたかったんだ」と気づいてしまったのです。

はっと気づいたというよりは、じわじわとその気持ちが膨らんでいき、その気持ちと現実の仕事とのギャップが最大限になったとき、体調を崩して仕事を辞めることになりました。

自分の仕事を探す過程で出会ったWebライター

看護の仕事を離れた私は、自分でできることを探し始めました。

余談ですが、職場で一緒に働いていたパートナーも同じように独立したい気持ちがあったため、カフェや本屋など二人でできることも含めて、さまざまな選択肢を探りました。
そのことについてはまた別の記事で書きたいと思います。

とにかくそうして自分でできる仕事を探すなかで出会ったのが、Webライターの仕事です。

正直それまで、Webライターという仕事が存在することすら知らなかったのですが、元々書くことが好きだったため、仕事の面白さにどんどん引き込まれていきました。

自分の経験を生かせるWebライターの仕事

ここにたどり着くまで、本当にたくさんの仕事を経験し、回り道ばかりしてきました。
履歴書にも書ききれないし、正直いつどの仕事をしたのか、時系列ではっきりと思い出せません。
そんな自分にコンプレックスも感じていました。

しかし、Webライターになってよかったと思うのは、それらの経験がすべて生きるに違いないことです。
自分のなかにあるたくさんの引き出しは、きっと今後書いていく記事に役立っていくのではないかと思っています。

また、ライティングを通してさまざまな可能性が広がることも感じているので、Webライターという仕事を軸にして、今後自分のやりたいことをさらにやっていくつもりです。

お読みいただきありがとうございました。
次回はWebライターを始めたきっかけについて書きたいと思います。



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