我が子の波を待つ
学生時代、ゼミ友達にサーファーがいた。
曰く、サーフィンの楽しみは波を待つことにあるそうだ。
私はサーフィンについて全くの素人で、正直、陽キャでちょっとチャラい人たちのスポーツという浅い認識しかなかった。
波に乗ることよりも、波を待つことにサーフィンの真髄があると言われて、その趣深さにいたく感心した。
(その友達以外のサーファーと話したことがないので、サーフィンというスポーツにそういう文化があるのか、彼女独自の考え方なのかは知らない。)
また、彼女は、就活が難航していた時に「うまくいかない時は波を待つようにじっと待たないといけない。もがいてジタバタしても、どんどん悪くなる。大人しくして待っていれば、いずれ波が来る」と言った。
私は少しでもうまくいかないことがあると、焦ってすぐにジタバタしてしまうので、なんて格好良い人なんだろうと感動した。
それ以降、うまくいかない時に、度々彼女の言葉を思い出す。
ところで、育児とは「待つこと」だとよく耳にする。
子どもが成長するまで、分かるようになるまで、出来るようになるまで、辛抱強く待つ。
ついつい手や口を出したくなるのを我慢して、「いつか」を待つ。それが、場合によっては年単位だったりする。
せっかちで焦りがちな私にとっては苦行だ。
最近、子どもの体重が増えて、抱っこをする時の負担が少しずつ大きくなるのを感じている。
立ち歩いてあやす時や、お風呂に入れる時が、特に辛い。
特にお風呂で体を洗うのが重労働だ。まだ首が座っていないので、後頭部を支えながら体を洗わないといけない。
たまひよ等の雑誌やネットの情報では、赤ちゃんを大人の膝の上に乗せて洗うと書かれているが、動かれると膝からこぼれ落ちそうになる。
本人は、首を動かすことで視界が変わるのが面白いらしく、左右を見回して、後頭部を支えている私の手から積極的に離れていこうとする。
周囲に興味を持ってくれるのは良いことだが、一時も油断できない。
首さえ座ってくれれば!
早く座ってくれ!
日々願うばかりだ。
首の筋肉を鍛える腹這い運動をして、首座りを促してはいるのだが、親ができるのはそれぐらいだ。
私は躍起になって、毎日腹這い運動をしよう!と意気込むが、本人の機嫌が悪い日は泣いてしまってうまくできない。そんな日は、ひどく焦る。
こればかりは焦っても仕方ない。
ジタバタしても、その焦りが我が子に伝わったとして、良い方向に進むわけがない。
私にできることは、よっぽど発育が遅くない限り、時期が来るまで、辛抱強く待つことだ。
サーファーの言葉を思い出しながら、今日も筋肉痛の腕で我が子の後頭部を支える。