【エッセイ】落語会で「たちぎれ線香」を聞いていた時に起きたこと

寄席やホールでの落語会に行くと
「開演に先立ちましてスマートフォンや携帯電話の電源をお切り下さい」と場内アナウンスが流れるが開演すると必ずと言っていいほど客席のどこかで着信音かバイブが鳴る。
鳴ったとたん集中力が切れ頭に描いていた絵が消え、何度も聞いたことのある噺でも「この噺は今どの辺りだった?」と噺が飛んでしまってそこから絵が出てこなくなる。

以前行った落語会では個人的に好きな
「たちぎれ線香」(たちぎれ、たちきれとも言う)を聞いていた時に真後ろの方が次の展開を言うわ終盤の涙を誘う三味線の音が聴こえてくるシーンのところで登場人物の名前を言うわで完全に集中力が切れて気持ちがメラメラし出した。
振り返って何か言おうかとも思ったが客席の空気をブチ壊してしまうため数回の深呼吸でその場を凌ぎメラメラは鎮火。
周囲の方々も私と似たような気持ちだったのではないかと思う。
CDで桂米朝師匠のこの噺を聞いた時初めて泣いたこともあり演者さんは違っても「たちぎれ線香」は上方の噺でも江戸の噺でも感慨深くこの事はとてもショックな出来事だった。

あれから数年経過するがその事があってから今も事が起きた寄席には行けていないし
「生」の「たちぎれ線香」は聞けていない。
真後ろで展開や登場人物の名前が聞けるなんてことは千載一遇のことかも知れないがこんな千載一遇はいらない、これからもいらない。

「たちぎれ線香」のヒロイン小糸(敬称略)が若旦那を純粋に、一途に想うシーンをイメージ出来る日は来るのか。