思春期でも父のことが大好きだった理由【家族エッセイ】
最近、中学生の娘を持つ男性がこんなことをぼやいていた。
「うちの子、最近口を利いてくれなくなっちゃった。やっと口開いたと思ったら「キモい!臭い!ウザい!」だよ。るいちゃんはお父さんが嫌いな時期あった?」
自分に置き換えて想像してみた。戦慄した。そんな言葉を私が父に投げかけたらどうなることか。
私が父を嫌っていた時期はない。
喧嘩している時以外、父のことは好きだ。
私の父は、恐かった。
怖いというよりは恐ろしかった。言い方を変えると、威厳があった。
父は基本的に明るく剽軽な性格だが、子供を叱る時は語気が別人のように変わる。恐い。本当に恐かった。子供の頃、父と同じ空間に居る時は常にやんわりと父の顔色を伺っていた。
父は私たち実子以外の子供でも、間違ったことをしていたら叱る人だ。
私と姉がまだ小学生の頃、父と3人でプールに行った。その際に飛び込み禁止のプールで飛び込みをしていた中学生男子が姉にぶつかりそうになった。父はその中学生を一喝した。幸い、聞き分けの良い男子だったから何事もなかったが、私は父が反撃されたらどうしようと肝を冷やしていたのを覚えている。大人になった今は、そういう父で良かったなと思う。今はもう見知らぬ子供を叱る程の威勢はなくなってしまったのが少し寂しい。
私が父にキモいだのウザいだのと言わなかった理由の一つが、単純に恐かったからである。そもそもキモいとは思ったことはないが、ウザいと思ったことはしょっちゅうある。父の威厳は、娘に好き勝手言わせない材料になるのだ。
しかし、ただ恐いというだけであれば、直接悪口を言わなかったとしても、私は父を今のように好いてはいなかった。
父は恐かったけど、叱る時以外はノリが良くて面白い。父と居ると楽しい。叱る時の恐さは普段との差によって増幅されている面もあると感じる。
父は剽軽という意味での面白さだけでなく、博識でいろんなことを教えてくれる面白さもあった。
父はミニバスケットボールチームの監督をしている。私は小学校1年生から6年生までそのチームに所属していた。毎週火曜、木曜、土曜、日曜は体育館で父にバスケを教わっていた。その為、小学生時代は母より父と過ごす時間の方が長かった。関わる時間が長いとそれだけ思い出も多くなる。多くの記憶を共有していることも、私が父を好きでいる理由の一つだ。
思春期に娘が父親に嫌悪感を抱くことは生物学的におかしなことではないと、聞いたことがある。確かに、幼い頃はよく父の頬にキスをしていたが、いつの頃からかできなくなった。照れとか世間体を気にして、とかそういうことではなく、言い様のない嫌さがあるのだ。説明はつかない。そういう時は、あぁ、遺伝子が拒否しているのだなと感じる。
それでも、父親のにおいが受け付けない、というようなことは特になかった。思春期の娘が嫌う父親のにおいはそういう物理的なものとは別なのかもしれないが、父を臭いと感じたことはなかった。うちの父親自体は基本的に無臭で、頭からは仄かにシャンプーの匂いが香っていた。とても綺麗好きなので臭いことはなかった。臭いことがあるとするならば、二日酔いの時とニンニクを爆食いした時だけ。あれはとんでもない。
父は身嗜みもそれなりに整えていて、友達に父を見られて恥ずかしいという感情もなかったし、親の顔が見たいと言われたら、何時何時でも連れてこられた。
最近は歳をとってきて歯茎が弱っているのか歯周病っぽい臭いがしたのでその旨を伝えたところ、
「臭い問題はデリケート過ぎて身内しか言ってくれないからね、指摘してくれるとありがたい。」
と言いながら足繁く歯医者に通っていた。切ない。けれど治って良かった。
父は私が好きなこと、楽しいと思うことを一緒にやってくれた。ミシンを使って裁縫がしたいと言えば布の問屋に連れて行ってくれたり、近所の海岸に馬が来ていたことを嬉しそうに報告しにきて、一緒に見に行ってくれたり、唐突に遊びに行こうと誘い、行き先を決めずに車を走らせて、私が行きたいと言った場所に寄ってくれたり。
楽しい時だけでなく辛い時も側にいてくれた。小学生の頃、お腹が痛くて立っていられなかった時は治るまで腸を摩ってくれたり、風邪の時は毎回3連のプリンとヨーグルトとゼリーを買ってきてくれて、きつねうどんを作ってくれた。会社から帰ってきてすぐ部屋のドアを開けて様子を見にきてくれるのが嬉しくて堪らなかったことを覚えている。
父は私が学生時代、人間関係の悩みを打ち明けると必ず親身になって聞いてくれた。そして父に話したことはなんでも解決してしまうのだ。大人になって困難にぶち当たった時、父に
「学生時代になんでもかんでも父ちゃんに相談してたから、自分の力で問題解決できない人間になってしまった。」
と弱音を吐いた。
すると父は
「そう思い込んでるだけだよ。俺は話を聞いただけで何もしてないよ。結局はるいが自分の力で解決してるんだよ。」
と言った。まあ確かにそうだ。どんな選択をするかは結局自分で決めていたけれど、父の存在は確かに心強かった。
父は私たち姉弟が幼い頃から何度も、
「大人になったら最低でも横須賀からは出なさい。」
と言い聞かせてきた。私の地元は神奈川県の横須賀市だ。揺り籠から墓場まで暮らしても何不自由のない街だ。それでも父は、広い視野を持った方が良いという意味でそう説いた。父は茨城県の常陸大宮市という自然豊かな土地で育ち、就職と共に東京都の目黒区に移り住んだ。爆速で茨城訛りを抜いたらしい。そして今は神奈川県に住んでいる。身を以て生まれ育った土地を、親元から離れることの重要性を感じたから私たちにも伝えていたのだと思う。
結果、姉弟3人共実家を離れて横須賀から出た。父の、こういう干渉し過ぎないところも好きだ。
私が東京に出てはじめの一年間で、初期設定でリボ払い方式になっているとは知らずにクレジットカードを使っていたら未払金が30万円に到達してしまった。利子を払いたくないが為に一括払いしたところ貯金残高がほぼゼロになった。その際に最短で30万円取り戻す方法を考え、ガールズバーで働くことにした。
私のモットーは‘‘親に言えないことはしない’’なので、早速両親に告げると、
「なんでも経験だよ。やってみな。」
という返答だった。そういう親の元に生まれたから、私はやりたいことやったもん勝ち精神で幸せに生きて来れたんだなと感じている。
まとめると、私が父親のことを大好きな理由は、威厳があって、臭くなくて、たくさんの時間を共有していて、話を真剣に聞いてくれて、干渉し過ぎなくて、たくさんの愛をくれるからだ。
たくさん父を好きな理由を連ねたが、父の一番好きなところは母を大切にしているところ。だから娘に嫌われたくなければ妻を大切にするのが最善策なのではないだろうか。終わり方が難しいので完全なる持論で締めさせて頂く。