見出し画像

親から大切にされていないと悟った幼少期

三兄弟の末っ子として生まれた僕は、とても体の弱い男の子でした。ガリガリに痩せて力もなく、小児喘息のせいで運動すら禁止されているような子供でした。
対して二人の兄は、体が大きくガッチリとしていて健康そのもの、運動と、弟の僕をいびる事が大好きでした。

僕はといえば、力ではとても敵わない相手だったので抵抗する事なく我慢していた…

と言うわけではなく、とにかく負けず嫌いだったため、力で敵わないと分かっていても力で対抗しようと立ち向かっていく向こう見ずな子供でした。
案の定、一方的にボコボコに殴られて蹴られて相手の自尊心を満たし、僕のプライドをズタボロにされる結果になるのですが、唯一、立ち向かった、という事実で自分を励ます毎日でした。

親は止めないのかい、と思われたでしょうか。
止めませんね。見向きすらしません。いや、見ていたのかもしれませんが、止めてくれた記憶はありません。

むしろ、親にも殴られる毎日でした。

僕の家庭には、男しかいませんでした。母親不在です。
なぜか。
僕が5歳の頃に自殺してしまったからです。
自殺の理由は聞いていません。自殺した、しか聞かされていません。

ですから、食べ盛りの三兄弟を養うのは父一人です。
父の背負う重圧は、きっと相当なものだった事でしょう。育ててくれたことに感謝はしていますが、親兄弟に殴られまくっていた当時、そんなことに気を回せるほど大人にはなれていませんでした。子供でしたからね。仕方ないですね。

前述したように僕は体が小さく弱かったのですが、食も細かったので、用意されたご飯を完食できた試しがありませんでした。
大抵、僕の家庭の食卓を彩るのは、塩が過剰に振られた焼き鮭とご飯、からあげなどの冷凍食品が三兄弟それぞれに少々、というものだったのですが、全然食べられなかったのです。自分でも不思議なくらいに。

そうすると、父はひどく怒りました。早く食え、と怒鳴りつけてくるのです。小児喘息を患う僕の前でタバコを吸い、焼酎をロックで飲みながら、テーブルと僕を交互に叩きながら罵声を僕に浴びせるのです。
そんなことされてと食べられないんだから仕方ないじゃないか、と嵐が過ぎ去るのを待っていると、父は箸で僕の頭を刺しました。

箸が頭に刺さるわけないでしょ?

と思ったそこのあなた。
いえ、刺さります。刺さるんです。実際、刺さりました。
強い力で子供の未発達な頭部に、先が丸くなっているとはいえ箸を振り下ろせば刺さるのです。
きっと痛かったことでしょう。今では痛みの記憶はありませんが、とてつもなくショックだったことは今でも覚えています。

あ、僕は大切にされていないんだな、って。

いいなと思ったら応援しよう!